ひと足早く<大河ドラマ『真田丸』>を勉強してみた!
2016年1月10日より、大河ドラマ『真田丸』の放送がスタートします。
戦国時代を代表する「日の本一の兵」とも言われた真田幸村(さなだ ゆきむら)を堺雅人さんが演じます。
放送に先立って、今回は真田家についてご紹介します。
大河ドラマをより面白く、よりわかりやすく見るために、ぜひご覧ください。
【真田家】
まずは物語の中心となる、真田家と幸村の行動についてです。
真田家は、武田信玄の代から武田家に仕えています。ドラマでは、武田信玄の庶子(=婚姻関係にない両親から生まれた子ども)である武田勝頼(かつより)以降の武田家が登場します。
のちに武田家は滅亡してしまい、その後は織田信長の織田家に仕えるのですが、数ヶ月のうちに「本能寺の変」で信長が亡くなったため、他の勢力と緊張関係になります。
その間、幸村は父親を参考にしながら真田流の処世術を学びました。
その後もいくつかの勢力に仕えますが、次第に徳川家と対立を深めたこともあり、上杉家に仕えます。その際、人質として上杉家に入ったのが幸村です。
上杉謙信の息子、上杉景勝(かげかつ)と心を通わせた幸村が、景勝の許可を得て戦いに参加し、真田家の勝利に貢献しています。
この後に豊臣秀吉に臣従(=仕えて従うこと)し、幸村はその親衛隊として大坂で多くの人と交流することになります。
【真田丸とは?】
では、ドラマのタイトルとなっている「真田丸」とはなんでしょうか。
真田丸とは、大坂城の一番外側の平野口につくられた外敵を防御・攻撃するための建造物の呼び名です。一般に、「砦(とりで)」や「出城」と言います。
「丸」とつくので、船をイメージしていた方もいるかもしれませんが、「真田丸」の正しい意味を覚えてくださいね!
そもそも大坂城は、1583年に豊臣秀吉が築きました。
徳川家康軍と、豊臣秀吉軍が激突した戦いとして今も語り継がれている「大坂の陣」は具体的に「大坂冬の陣(1614)」と「大阪夏の陣(1615)」があります。冬の陣が先なのもポイントです。
「大坂冬の陣」を戦い抜くために、それまでの大坂城の弱点でもあった守備を強化するために真田幸村が築いたのが「真田丸」です。しかし、現在でも幸村がイチから築いたものなのか、元からあったものに手を加え改築したものかなど、詳細はわかっていないようです。
この砦の広さについても複数の説がありますが、もっとも多く語り継がれているのは180メートル四方の大きさということです。
それでは、真田家について知っておくとドラマがわかりやすくなる情報をお伝えします!
まずは大河ドラマの主人公、真田幸村についてです。堺雅人さんが演じます。
【真田信繁 さなだ のぶしげ(通称:幸村)】
真田家では「源次郎」と呼ばれています。
戦国時代を代表する武将のひとりであり、多くの人が知っている「幸村」は通称で、正しくは「真田信繁」といいます。
ドラマでは、幸村が百姓に扮したときと、武士姿では髪の長さや服装が違うのにぜひ注目してみてください。百姓姿では、服や肌は薄汚く汚れ、髪も長く伸ばしっぱなし、といった感じですが武士姿では短めに切られた髪をきっちりまとめ、精悍さがあります。
若い頃のイメージカラーは青と白で、着物の色のベースになっているのにも注目ですね。
【真田信幸 のぶゆき】
真田昌幸の長男で、幸村の兄にあたります。真田家では「源三郎」と呼ばれ、秀才でありながら、生真面目で慎重な人物です。大泉洋さんが演じます。
緑をイメージカラーとし、着物も緑色が多いようです。髪型は、カツラにもパーマをあてこだわりがあるようです。
ちなみに、顔に泥を塗るシーンでは、実際に塗っているようですが、本物の泥ではなく、汚すための化粧品と食品を混ぜて作成されているようです。
安全性や肌への負担にも考慮しているんですね!
【真田昌幸 まさゆき】
真田家の当主であり、幸村、信幸の父親です。仕えていた武田信玄とその息子・勝頼に慕われ重要な地位にいました。
やる時はやる男、のようですがだらしない部分やおちゃめな部分も持ち合わせているようです。
衣装や、刀の鞘には毛皮を使用し、ワイルドさを演出しています。男らしく、野生味のある雰囲気が特徴的です。
今回は、基本情報ばかりでしたが、知ってから見ると、より入り込みやすくなること間違いなし。ドラマの放送スタートを楽しみに待ちましょう!
(文:kamito努)
『大河ドラマ 真田丸』公式サイト:http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/
参考資料:
真田丸 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)
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