俳優・映画人コラム

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2016年05月01日

「な?」と微笑んだときの偉大なる映画スター三船敏郎の人間的魅力

「な?」と微笑んだときの偉大なる映画スター三船敏郎の人間的魅力


黒澤明との出会い
そして国際スターの道へ


翌48年、『銀嶺の果て』の脚本を執筆していた黒澤明監督による『酔いどれ天使』に三船は起用されます。本来これは志村喬扮する酔いどれ医者が主人公だったのですが、復員崩れで肺病持ちのやくざを演じた三船のピカレスクな魅力に観客の目線は注がれていきました。

以後、黒澤明×三船敏郎による珠玉の名作群が次々と放たれていくことになり、結果として『酔いどれ天使』から『赤ひげ』(65)までの黒澤映画の中で『生きる』(52)を除くすべての作品に、三船敏郎は主演することになりました。

この中で、黒澤監督が大映で撮った『羅生門』(51)がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)およびアカデミー賞名誉賞(=外国映画賞)を受賞したことから、主演・三船敏郎の存在も世界的に伝わっていきます。

そして今では世界映画史上第1位の誉れも高き『七人の侍』(54)が同映画祭で銀獅子賞を受賞するとともに海外でも公開されるようになり、彼の人気は世界的なものと化していくのでした。

同時期、稲垣浩監督による主演時代劇『宮本武蔵』3部作のうち、第一部(54)がアカデミー賞名誉賞を受賞したことも、追い風となりました。

稲垣監督×三船敏郎コンビ作も好調で、『無法松の一生』(58)もヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞しています。

こうした黒澤、稲垣監督らの大作群の狭間を縫うかのように、東宝のプログラムピクチュアにも多数出演してはいますが、やはり黒澤作品の撮影が入ると掛け持ちは許されず、それ1本に集中しなければなりません。

そんなとき、逆にプログラムピクチュアばかりやらされてうんざり気味の若手俳優たちに、三船敏郎は「いいなあ、君たちはいろいろな映画にいっぱい出られて。俺なんか黒澤のせいで、これ1本しか出られないから、全然稼げやしない!」と、冗談を言いながら励ましていたとのことです。

若手らもまた「黒澤明のバカヤロー!」と、撮影所のあちこちで叫びながら、自分たちを笑わせ励ます三船敏郎の優しさ、および黒澤明との絆の深さを感じとっていたと聞きます。

61年、海外での評価が高まっていく三船敏郎はメキシコ映画『価値ある男』に主演し、全編スペイン語の台詞を覚えて撮影に臨みました(残念ながら完成品は吹替になってしまいましたが)。

またこの年、黒澤映画の至宝ともいえる『用心棒』で、65年の名コンビの最終作ともなった『赤ひげ』で、三船はともにヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞しました。

こういった流れの中、“世界のミフネ”の名声がますます高まっていき、ジョン・フランケンハイマー監督の『グランプリ』(67)、ジョン・ブアマン監督『太平洋の地獄』(68)、テレンス・ヤング監督『レッドサン』(71)など数多くの外国映画に出演し続けていきます。

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