無差別殺傷事件における加害者家族のドラマ

6月18日に公開される『葛城事件』について、今回は書いてみようと思う。国や背景が違うとはいえ、アメリカフロリダ州オーランドにおいて50人以上が犠牲となった銃乱射事件があった翌週にこのような映画が公開とは何とも言葉に表せない心境にある。

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(C)2016「葛城事件」製作委員会


どんな人間でも、みんな父と母から生まれた子どもである。たとえそれが、無差別殺傷事件の加害者だとしても。
二人の子どもと一軒家。一見、ごく普通の幸せを得たように見える葛城家だが、過度に抑圧的な父親の清(三浦友和)を中心に発せられる不穏な空気が、この家族を包んでいる。

清の妻である伸子(南果歩)は、その空気の中で少しずつ心を壊していき、妻と子を抱える長男・保(新井浩文)は職を失っても、家族にも言い出すことが出来ず一人でプレッシャーを抱え込む。次男の稔(若葉竜也)は自室にひきこもり、父親の恐怖に怯えながらも何も出来ず、日に日に募るその鬱屈した思いがピークを迎えた時、無差別殺傷事件を起こして死刑囚となってしまう。



本作は、「事件」の前後の時系列を巧みに並べ替えながら、「事件」へ至るまでに家族が徐々に崩壊していく様子と、「事件」後に死刑制度反対の立場から稔と獄中結婚をした女・星野(田中麗奈)を交えたドラマを、ギスギスと荒んだ現実と対比するような弦楽の美しい旋律と共に描いていく。

時系列の入れ替えは、清が事件後に持つことになった杖の有無でそのシーンがいつなのか見分けがつき、混乱しにくい演出になっている。
監督は、本作が『その夜の侍』(2012年)に続く2作目となる赤堀雅秋。『葛城事件』は、自身が作・演出した2013年に上演の同名舞台を自らメガホンを取り映画化した作品である。

映画化にあたっては、監督自身が新たに改稿し「凄惨な無差別殺傷事件を引き起こすような人間は、なぜ生み出されてしまったのか」という、舞台版とは異なる角度から焦点を当てたテーマとなっている。

大罪を犯した加害者の父親へ向ける周囲の視線に対し、清は「俺が一体、何をした」と叫ぶ。しかし、劇中での清の家族に対する態度や振る舞いの一端を見ているだけで、こうした事態を招いてしまった原因が理解出来る。

この清のパーソナリティを説得力あるものにしているのが、三浦友和の演技力。抑圧的で他者を見下し、いかなるものにも激しい主張を繰り返す父親役は、監督をして「清役は三浦さん以外に考えられない」と言うほどで、本作において圧倒的な存在感を発揮している。

父・清も、決して極悪人を生み出そうとしたり、不幸にしようとしたりして家族と接していたわけではないはずだ。しかし人間は、周りを取り巻く環境によって形作られる生き物である。

自身が営む金物店のレジから、清が日々見続けてきた光景のなんと狭いことか。

では、清はどうすればよかったのか。この問いかけは、鑑賞したひとりひとりが家族の中の子どもとして、兄弟・姉妹として、また人によっては子を持つ親として、映画館を出た後も考え続けなければならない。

日々、聞こえてくる痛ましいニュース。本作で描かれている「事件」は、誰にとっても起こらないとは言い切れないものだ。

『葛城事件』は、6月18日(土)新宿バルト9他全国ロードショー。

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