俳優・映画人コラム

REGULAR

2016年10月16日

『君の名は』から始まり国際派スターへ、大きく飛躍した大女優・岸惠子

『君の名は』から始まり国際派スターへ、大きく飛躍した大女優・岸惠子

■「キネマニア共和国」

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.46


現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。




現在、アニメーション映画『君の名は。』が興収130億円を超える大ヒットとなり、今も話題の焦点となり続けていますが、遡ることおよそ60年前、それと同じくらい大ヒットした松竹のメロドラマ『君の名は』3部作でスターダムに躍り出た1人の女優がいました。
岸惠子。この後彼女は国際派スターとして飛躍し、同時に市川崑監督作品のシンボルとしても輝かしい功績を刻み続けていくのでした……。

映画好きが昂じて映画女優に
『君の名は』でスターの座を獲得


岸惠子は1932年8月11日、神奈川県横浜市の生まれ。女学生時代から映画が好きで、高校の同級生だった田中敦子の叔父が松竹大船撮影所長・高村潔の友人だった縁で、ふたりで撮影所を見学できるようになり、そのうち吉村公三郎監督の目に留まって『真昼の円舞曲』(49)にちょこっと出してもらったりしているうちに、50年、松竹ニューフェイスを受験して田中(入所後、小園蓉子の芸名で活躍)と共に合格。翌51年2月、高校卒業を目前して中村登監督の『我が家は楽し』で正式にデビューすることになりました。

松竹は岸惠子の才能にほれ込み、『獣の宿』(51)『母恋草』(51)『鞍馬の火祭』(51)『治郎吉格子』(52)『本日休診』(52)『悲しき小鳩』(52)などなど、大きく売り出し、52年度の雑誌『平凡』では読者の人気投票第5位にランクインされました。

もっとも、そもそも映画好きが高じて女優になった岸惠子は、もっともっと良い映画に出たいと願うようになり、マキノ雅弘監督『弥太郎笠』(52)や松林宗惠&マキノ監督の『ハワイの夜』(53)と他社出演し、これらがヒットしたことで、松竹も彼女を自社で抱え込もうと画策。その中のひとつが52年4月から始まり、放送時間中は銭湯の女湯が空になるとまで謳われた同名ラジオドラマの実写映画『君の名は』3部作(53~54)でした。

すれ違いメロドラマの代名詞でもある『君の名は』は3部作合わせて10億円の配収(興収から映画館の収益を引いた額・ちなみに入場料金およそ120円の時代です)を計上。劇中でヒロインが巻くストール姿は「真知子巻き」として全国の女性たちの間で大流行し、ブロマイドは第1位、岸惠子のもとには毎日400通のファンレターが届けられたといいます。

この大ヒットのおかげで、彼女自身、出たい作品に出やすくなり、小林正樹監督の反戦映画『壁あつき部屋』(53/公開は56年)や、中村監督の『家族会議』(54)、木下惠介監督の『女の園』(54)などの意欲作に出演しています。

54年4月にはフリーの久我美子、当時東宝だった有馬稲子と3人で「文藝プロダクションにんじんくらぶ」を設立し、映画製作企画にも乗り出していきます。

国際スターとしての豊かな活動と
日本での名匠たちとの秀逸な仕事


55年には野村芳太郎監督の『亡命記』が第2回東南アジア映画祭に出品され、日本代表団の1人としてシンガポールへ赴いた彼女は、そこで最優秀女優賞を受賞。これが岸惠子の国際派女優としての大きなきっかけとなっていきます。

このとき審査委員デヴィッド・リーン監督に、彼女は新作『風は知らない』のオファーを受け、これが日本で大きな話題となりました。残念ながらこの作品、撮影開始が大幅に伸びて、結果としてリーンも岸惠子も降板(その後ラルフ・トーマス監督、谷洋子主演で58年に完成します)。しかし同時期、フランスのイヴ・シャンピ監督が『忘れえぬ慕情』(56)ヒロインとして彼女を抜擢。これが縁となって57年にふたりは結婚。75年に離婚して以降も、日本とフランスを行き来する生活を続けています。

海外ではジャン・コクトーの舞台『ぬれぎぬの妻』(60)の主演や、日仏合作のテレビドラマ『真夜中の太陽』(64)、映画『太陽が目にしみる』(65)などで活躍。シドニー・ポラック監督、高倉健主演の『ザ・ヤクザ』(74)にも出演しています。
国内では60年、市川崑監督の『おとうと』に主演し、毎日映画コンクールやブルーリボン賞の女優主演賞を受賞。『からみ合い』(62)『怪談』(64)『化石』(75)と小林正樹監督作品の常連にもなり、73年には山田洋次監督『男はつらいよ 私の寅さん』で12代目マドンナにも抜擢されました。

そして77年、久々に市川監督に呼ばれてヒロインを務めた『悪魔の手毬唄』が大好評となり、以後『女王蜂』(79)『古都』(80)『細雪』(83)『天河伝説殺人事件』(91)『かあちゃん』(01)と、市川作品を代表する“顔”にもなっていきました。『かあちゃん』は山路ふみ子文化財団特別賞や日刊スポーツ映画大賞主演女優賞、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しています。

最近は映画出演こそ途絶えていますが、2013年に熟年男女の恋愛小説『わりなき恋』を発表し、14年にはそれを原作とした一人舞台にも挑戦しています。

半世紀以上にわたって世界を飛び回り続ける、第一級のベテラン女優の活動は今もって活気あふれているのでした。

■「キネマニア共和国」の連載をもっと読みたい方は、こちら

(文:増當竜也)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!