『紅の豚』ポルコはなぜ豚になったのか?その疑問を解き明かす5つの事実
余談その2.そもそも豚になったことに明確な理由なんてない?そして物語の結末について
実は宮崎駿自身、「ポルコはなぜ豚になってしまったの?」という質問にうんざりしているようです。まだ『紅の豚』が機内上映用の15分の短編映画として製作されていたとき、鈴木敏夫プロデューサーが「そもそもなんでこいつ豚なんですか?」と聞くと、宮崎駿は「すぐ原因と結果を明らかにしようとする!」と怒っていたそうです。
上映後のアンケートでよく書かれていた“最後にポルコは人間に戻れたんですか”という質問に対しても、「人間に戻るということがそれほど大事なことなんでしょうか?」と答えています。
これは、『紅の豚』の主人公を豚にしたのは論理的に説明できるものではなく、感覚的なことが理由であるという訴えのようにも、はたまた“観客それぞれが想像してほしい”という宮崎駿の願いのようにも思えてきます。
ただし、物語の結末において、宮崎駿は「人間の顔に戻ってしまうこともあるかもしれないけど、(庭で)ジーナが出てきたら、また豚になって飛んでいっちゃいますよ。僕はそのほうが、(ポルコが)自分を許さないというほうが好きです」と答えています。
監督自身が「そのほうが好きです」などと“想像”で結末を語っているわけですから、ぜひ皆さんにも、ポルコが豚になった理由や、最後に人間に戻ったのかという疑問について「こういうことだ」と1つに断定せず、いろいろと想像を巡らせてほしいです。
こうして1つの作品に、いくつもの“後日談”が広がっていくことも、『紅の豚』の素敵なところなのですから。
自分もそんな想像の物語を1つ挙げてみます。
映画のラストで、ホテル・アドリアーノに赤い飛行艇が停泊しているので、世間的には“ジーナは(ポルコが庭に来るという)賭けに勝ったんだ!”という説が濃厚になっていますが……このシーンでは、ほかにも飛行艇がたくさん停留しているんですよね。
ひょっとすると、ポルコは庭に来たけれど、お店がまた大繁盛している、ほかの男から求婚されているのを見て、ジーナには会わず、また自由気ままにどこかに去ったのではないか……とも思えるのです。その方が、ポルコらしいかな、と。
※参考文献
『宮崎駿の雑想ノート』:大日本絵画 1992年『ジブリの教科書7 紅の豚』:文藝春秋 2014年
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(文:ヒナタカ)
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