映画コラム

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2016年11月20日

今、『この世界の片隅に』が熱い!時を超えるメッセージが胸に迫る珠玉の一本

今、『この世界の片隅に』が熱い!時を超えるメッセージが胸に迫る珠玉の一本

■「映画音楽の世界」

この世界の片隅に01

(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会


みなさん、こんにちは。11月12日より、能年玲奈改めのんが主演声優を務めた『この世界の片隅に』が公開されました。クラウドファンディングで出資を募り制作された本作は公開前から既に高評価が続出し、作品への期待が高まっていました。

結果、初週公開館数63という圧倒的不利な状況下で動員ランキング10位にランクイン。同じ週の公開となった『ミュージアム』が331館で2位、『オケ老人』が155館で9位に登場していることからも、いかに本作の1館当たりのアベレージが高稼働を見せているかが窺えます。

こうの史代原作の同名漫画を、『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督がアニメ映画化した本作。広島と呉を舞台に、一人の女性、すずに焦点を当てて昭和の人々と戦争を俯瞰します。

今回の「映画音楽の世界」では、そんな『この世界の片隅に』を紹介したいと思います。

物語に息吹を与えたのんの「声」

昭和18年、広島。絵を描くことが大好きな18歳のすずは家族と共に海苔作りを営みながら暮らす中で幼少期に見染めらた北條周作に求婚され、翌年、彼の住む呉へと嫁ぐ。家族の元を離れ、慣れない習慣と戦況の後退で生活も慎ましくなる中、周作の人柄と愛情に決意を改め不器用ながらも妻として成長するすず。一方で戦禍は軍港である呉に及び、度重なる空襲が呉市民の平和を容赦なく切り崩し、その被害はついにはすず、北條家にまで及ぶ。

そして、昭和20年8月6日。強い閃光が瞬き、すずは広島の空に沸き立つ巨大な雲を目の当たりにする──。

本作は戦争という歴史の転換点で市井の人々を描いた作品であり、「普通」に生きようとしながらも、当たり前のように思えた日常すら奪われて行く様子がすずの視点を通して刻々と描かれています。そんな日々の中で、ちょっと間が抜けつつも健気なすずの魅力に観客はすぐに感情移入するはず。

常に鉛筆を握り紙に走らせるその眼差し。或いは、へにゃあと顔を崩し照れるその表情。彼女の言わばありふれた日常に命を吹き込んだのは、片渕監督らアニメーターと声優を務めたのんの熱演があってこそだと感じました。

違和感のない広島弁で抑揚を効かせつつ、はにかむようなのんの声音は純粋そのもので、ただ演じるだけではない、やがて破綻へと向かう生活の中で徐々に純粋だったその声が翳りを帯び、戦争に対する憎しみを込めたトーンに支配されていくその声を通して、のんがすずに命を吹き込んだ立役者として大きな存在感を発揮していました。だからこそ、観客はすずという一人の女性に魅入り、すずの目を通して彼女が生活した当時を垣間見、苦しみを共有することになります。

片渕監督の演出も見事で、空を見上げたすずの柔らかな風景画に爆撃機が加わることですぐそばに忍び寄る戦況を描き、やがて土を掘り下げた防空壕での避難生活が日常を侵食していく対比。すずの見上げていた青い空がいつしか味気ない土色に変化し、或いは黒村親子を見送りに出掛けた先で起きた悲劇を乱雑な筆致で描き、すずから豊かな色彩と才能そのものが奪われていくことで戦争がもたらす不条理を描いていたようにも思えました。

それでも、片渕監督が描く『この世界の片隅に』は重々しくなりすぎず、適所に温もりを与えていることも魅力の一つ。すずの運命を決定付ける広島の橋の上での出来事をファンタジーとして捉えた視点。過去の記憶が交錯する遊郭の遊女、リンとの出会い。すずが淡い想いを寄せていた旧友水原哲が呉の北條家を訪れ、嫉妬心を隠し切れずもすずと哲に時間を与える周作と、自身の気持ちに答えを出したすずの夫婦としての恋愛模様。そして大切なものを喪い、多大な犠牲を払ったすずが周作へ述べた言葉と、最後にすず夫婦が手を差し伸べた涙がこみ上げる人間ドラマ。

『この世界の片隅に』はどの場面を切り取っても、必ず観客の胸に染み入るエピソードで積み上げられています。

この世界の片隅に02

(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

コトリンゴが紡ぐ慈しみの音色

『この世界の片隅に』の音楽を担当したのはコトリンゴ。KIRINJIのメンバーでもある女性シンガーソングライターのコトリンゴが紡いだ音楽は、CGアニメーション全盛期の今には珍しくなった柔らかなタッチのアニメーションと同様に、全体的に優しげなトーンに溢れすずの健気な生き方に寄り添うように、時には戦争という不条理の世界に軋むすずの苦悩を表現するように繊細なメロディで構成されています。

本作ではメロディセンスだけでなく曲の配置も印象的。自身が2010年に発表したアルバムの中でカヴァーしたザ・フォーク・クルセダーズの[悲しくてやりきれない]を劇中歌としてリカヴァー。ストリングスを主体にしてより感情的に仕上げたその楽曲はオープニングで使用されていますが、空を見上げ、眺めながら綴られたような切ない歌詞の心情がすずの視点と重なり、オープニングの時点で映画の方向性である主人公のすずが広島から呉に嫁ぎ、古里の家族や友人を思いながらやがて戦禍に巻き込まれていく様子が端的に観客に示されたとも言えます(正直筆者はこの楽曲ですずの先を案じていきなり落涙しそうになりました)。

そしてエンディング曲[たんぽぽ]はそんなオープニングと対になった楽曲で、タンポポの生涯をすずの生きざまと重ね合わせて、愛した人と共に地に根を下ろして生きていくという強いメッセージが歌詞には込められていて(本編にも暗喩的にタンポポが描かれています)、その[たんぽぽ]=すずの姿がそのまま映画のキャッチコピーである「昭和20年、広島・呉。わたしはここで生きている。」という文脈に回帰して繋がっているので、特にこの楽曲は歌詞に耳を傾けてほしい一曲となっています。

オープニング曲で展開し、エンディング曲でそっと閉じる。劇伴だけでなく劇中曲も担当することで音楽の面からコトリンゴが大切に映画を物語る、映画音楽として最高の形ではないでしょうか。

この世界の片隅に03

(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

まとめ

公開前の宣伝展開が少なく、しかし映画公開後はSNSなど口コミが爆発的な拡がりを見せている『この世界の片隅に』。63館という上映規模ながら、観客の満足度も高く、高評価が続き依然高稼働を見せるならもしかすると今後上映館数も増えるかも知れません。

この時代に、こんな作品が作られること自体が奇跡とも言える本作が鑑賞リストから漏れていた方も多いかも知れませんが、公開はまだ始まったばかりです。あの当時の日本の日常と不条理な戦争を、それでも世界の中で輝いていたすずたちの姿を、ぜひともスクリーンで見て欲しいと思います。

監督が伝えたかったもの。それに呼応するのんの熱演。繰り返します。『この世界の片隅に』は2016年、ぜひともスクリーンで見てほしい一本です。

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(文:葦見川和哉)

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