今夜放送!『ベイマックス』はなぜ大傑作なのか!?その5つの理由と気付きにくい盲点!
3:キャラハン教授がしていた“決めつけ”とは?
キャラハン教授は、ヒロから“マイクロボット”を買い取ろうとする大企業の社長のクレイについて、「この男は科学の発展よりも金儲けを優先して今の地位に着いたんだ。信用できないぞ」などとヒロに教えていました。
そのクレイは終盤に「このキャンパスを作り上げることに人生のすべてを捧げてきました。いくつもの失敗をし、乗り越えることで、我々は強くなり、未来を作るのです」と演説しており、カイジンとして現れたキャラハンは「私の娘を“失敗”を呼ぶのか?」とその言葉に憤っていました。
これらは、キャラハンの勝手な“決めつけ”だったのではないでしょうか。
クレイが金儲けを優先にして出世をしたのは事実だとしても、それは演説の通りに“夢を叶える”ためでもあるでしょうし、その演説のおける“失敗”とは事故に遭ってしまったキャラハンの娘のアビゲイルを指しているものではありません(クレイはこの演説で「我々」と言っており、特定の事実ではなく、普遍的な失敗について語っています)。キャラハンは自分の行動が正しいと信じているのでしょうが、肝心のことが“見えていない”ため、クレイへの勝手な復讐に走ってしまったのですね。
また、クレイはクライマックスでベイマックスとヒロがポータルに飛び込もうとするとき、「不安定になっているんだ!」などとその行動に反対をしていました。クレイにも、自分の判断により友人の娘を事故に遭わせてしまったという負い目があり、もうこれ以上犠牲者を増やしたくない、と思っていたのではないでしょうか。
なお、冒頭のキャラハンとクレイの会話では、クレイは「ロバート」とキャラハンを下の名前で呼んでいました。一方、キャラハンはクレイのことを「クレイさん(Mr.Krei)」と呼んでいます。おそらくなのですが、彼らは元々親友であり、本来であれば下の名前で呼び合うような関係だったのではないでしょうか。クレイが別れ際に「じゃあな、ロバート」と言っていたのは、いがみ合う関係ではなく、また昔のような親友の関係に戻りたい、というクレイの意思表示だったのかもしれません。
4:ベイマックスは本当のケア・ロボットになっていく!
人を救うケア・ロボットとして開発されたベイマックスですが、はじめのほうは“表面上のデータ”ばかりを参考に分析をしていたところもありました。
タダシが亡くなった後、ヒロの目の前に登場したベイマックスは、ヒロの“痛い”という音声データが入る度に物理的な痛みを10段間で知ろうとしたり、彼の今の健康状態を“思春期”と分析したりと、ヒロの最愛の兄を亡くしたという“心の痛み”がわかりませんでした。
ベイマックスとヒロが初めて空を飛んだ時は、ベイマックスはヒロの神経伝達物質がよく分泌されていることを知ったため、水面ギリギリまで落下してから飛行をするという危ないこともやっていました。スリルを与えようとするあまり、命の危険があることをするのはケア・ロボットとしてどうなんでしょうか(笑)。
この後にベイマックスは、空を飛ぶ体験を終えたヒロを分析して、まだカイジンを見つけていないにも関わらず、「満足できたのであれば、ケアを終了します」と素っ気ないことを言っていました。ここでは、ベイマックスはあくまでプログラム化されていたロボットであり、数値でしか人間の感情を測れないのではないか、とも思わせます。
素晴らしいのは、この事実を踏まえた、ヒロとベイマックスの別れのシーンです。ベイマックスは「大丈夫と言っていただかないと、離れられません」とヒロに言っており、表面上はケア・ロボットの“対象者が満足できないとケアを終了できない”というプログラム上の都合から出た言葉のようにも思えます。
でも、ベイマックスがヒロにこう言ったのは、ヒロに直接感情を聞くことで、数値では測ることのできない人間の“心”をわかろうとした……プログラムという概念を超えた、自己を犠牲にしてでも大切なヒロを救おうとしたというベイマックスの感情が表れたようにも思えるのです。
また、ベイマックスがロケットで飛んでいく腕にヘルスケアチップを忍ばせていたところ考えると、ベイマックスは自己を犠牲にする気なんてなく、「いつもヒロのそばにいます(後でまた会えます)」という自分の目的をただただ成し遂げようとした、とも取れますね。
©2014 Disney. All Rights Reserved.
5:主体的に大切なことを学ぶ物語だった
『ベイマックス』の物語において何よりも大好きだったのは、「復讐はよくない!」といった直接的な言葉からではなく、ヒロが主体的に大切なことを学ぶことでした。
ヒロにヘルスケアチップを抜かれ、戦闘チップだけになったベイマックスは、キャラハン教授を殺害しかけてしまいます。仲間たちのおかげでベイマックスは元に戻りましたが、ヒロはまだ復讐したいという気持ちを抑えられませんでした。
そんなヒロは、ベイマックスの胸に映された、兄のタダシが努力に努力を重ね、困難を乗り越え、84回ものテストを経てベイマックスを開発する記録映像を観ます。
ここでタダシが言った「みんなお前を必要としているんだ」「これからたくさんの人を救うんだ」というのは、ヒロに向けてではなく、あくまでベイマックスに向けた言葉なのですが、ヒロはそこで学ぶのです。「たくさんの人を救いたい」というタダシの思いとは反対に、ベイマックスを復讐の道具として使おうとしていたことを。それを反省し、これから正しいことをしようと……。
この後にタダシがキャラハンに告げていたのは、「こんなことをしても何も変わらない」「僕も同じ気持ちだった」ということでした。ヒロもまた、復讐をやめろとただ言うだけでなく、敵であるキャラハンの気持ちに同調し、説得を試みようとしていたのです。
戦うヒーローである前に、無用な戦いをしようとはしないヒロのことが大好きになりました。ロボットを賭けごとの道具にしていたうぬぼれ屋の少年が、ここまで成長するなんて!
戦いを終えたビッグヒーロー6たちがまったく喜んだ表情をせず、さびしそうに警察に連行されるキャラハンを見ていたのも、どこかで“彼に道を誤らせない方法があったのではないか”という彼らの切ない気持ちが垣間見えました。
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まとめ:“見かたを変える”素晴らしさを描いた作品だ!
本作には“見かたを変えてみよう”というメッセージがあります。
キャラハン教授は、娘を失った悲しみに我を忘れ、クレイをただただ恨み続け、自分を救おうとしてくれたタダシを「バカなやつだ」と侮辱するなど、一辺倒な考え方しか持っていませんでした。そのキャラハンへ復讐をしようとしていたヒロもまた、そのような“見かたを変えられない”人間になっていた可能性もあるのです。
でも……ほんの少し見かたを変えることで、ヒロはマイクロボットのアイデアを思いついただけでなく、タダシが残した記録映像から正しい道を知ることが知ることができました。クライマックスのビッグヒーロー6たちも、見かたを変えることでピンチを脱していましたね。
このように、物事の見かたが一辺倒である危険性、多様な価値観があることの素晴らしさは、“偏見と差別”という形で、この次に公開されたディズニー映画の大傑作『ズートピア』にも引き継がれていましたね。本当に、最近のディズニーは素晴らしい!心の底から「作ってくれてありがとう」と感謝したくなる映画でした!
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(文:ヒナタカ)
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