パリと映画 『アメリ』のロケ地を巡る
パリを舞台にした映画といえば、どの映画を思い浮かべますか。2001年に公開されたジャン=ピエール・ジュネ監督作、「アメリ」と答える方は多いのではないでしょうか。日本でもヒットして、この映画を見てパリに憧れを持つ人は増えました。「アメリ」の中のパリは独特な描写が印象的です。映画「アメリ」では、パリはどのように描かれているのでしょうか。
ファンタジーな街としてのパリ
モンマルトルのサクレクール寺院
「アメリ」はパリジャンの日常を描いています。映画の中のパリはセットではなく、カフェやショップなどは現実に存在しています。映画の撮影地を訪れれば、そこには映画で見た風景があるのです。
しかし、「アメリ」は実在する場所が舞台になっているにもかかわらず、リアリティーはありません。現実のパリの一片を切り取り、ファンタスティックな要素を引き出した映画なのです。実際、登場人物のパリジャンもデフォルメされています。
また「アメリ」の映画の映像は、色鮮やかで、全体的に黄色がかかっているのが特徴的。現実目にするパリの姿とは違います。こういった視覚的効果もあって、映画「アメリ」は、現在のパリのおとぎ話のようにさえ感じられます。
子ども目線で描いたパリ
アメリの通った映画館
アメリは父親に心臓に障害があると診断され、学校に行かせてもらえず、人とコミュニケーションが絶たれた状況で育ちます。そんなアメリは空想して過ごすことが大好き。アメリが大人になってカフェで働き始めても、子ども時代と変わらず、一人で子どものように遊び、空想をして過ごします。
アメリの見たパリの景色
そんなアメリを通してみる街は、子どもの目線で描かれています。例えば、サンマルタン運河のシーンでは、水切りをして遊ぶアメリ。そしてパリの街を見渡しては、何人がオルガズムを感じたのかという変わった想像をして過ごします。(子どもは勿論そんなことは空想しませんが !)
そんな自身の少し変わった遊びについて、アメリは観客の私たちに向かって語りかけます。それはまるで子どもの独り言のよう。小さな子どもが秘密を打ち明けるような、そんな印象を受けます。同時に、語りかけるというこの行為は、アメリ自体、俯瞰的なポジションにいるように感じられます。この映画パリの住民であって、まだ住民でない。冒頭でパリに住みながらも人間関係をまだ持たないアメリの特有さが表れています。
アメリが水切りをして遊んだサンマルタン運河
またフランスでは「アメリ」を見て、どこか懐かしさを感じたという感想を持った人が多いと聞きます。それは子どもの頃に見たり感じたパリの姿が映画で描かれているからではないでしょうか。川を見れば思わず石を投げてみたくなったり、街を見渡す場所に行けば色んなことを想像してみたり、想像の中で生きていた子ども時代が蘇るといいます。ジャン=ピエール・ジュネはそんな大人になれないアメリを否定的でも肯定的でもなく淡々と描いているのです。
現在と過去が交差する街
パリのアパート
パリの街には古い建築物が残っています。築百年なんていうアパートはざらにある話。フランス人は新しいアパートよりも、古いアパートの方に価値を置いています。そんなパリのアパートは現在と過去が交差するドラマチックな要素で溢れています。
映画「アメリ」ではある日アパートのバスルームのタイルの中から以前ここに住んでいた男の子の「宝物箱」を発見しました。感情があまりないように見えるアメリにとっても、どこか懐かしく、心を揺すぶられる出来事。アメリはこの宝箱を持ち主に届けようとします。そして持ち主を探し出し届けることができた時、ナレーションが入ります。「アメリはこの時、初めて世界と調和が取れた気がした」。
盲目の老人を送った駅
過去が突如現在に現れることによって、主人公アメリと宝物も持ち主の人生が動き出す、映画の中でも重要なシーンとなっています。ここからアメリは人を喜ばせることに楽しみを見つけ、誰かに恋をし、自身の幸福を見つけ出すのですのです。実際映画の中で動き出したアメリの人生はスピード感を持って描写。直後の盲目の老人を駅まで送るシーンでは早回しされ、アメリの変化がデェフォルメして描かれています。
パリジャンとカフェ
アメリの働くカフェCafé de Deux Moulins/カフェドドゥムーラン
フランス映画といえばカフェは必ずといっていいほど、映画の一節で描かれています。アメリも実際にモンマルトルに存在するCafé de Deux Moulins/カフェドドゥムーランで働いています。カフェはただコーヒーを飲んだりランチをしたりするだけでなく、人々の交流の場。パリでは1920年代にカフェ文化が華やぎ、文化人たちがカフェに集まり連日議論を交わしました。カフェはパリの文化において重要な役割を果たしたのです。
現在では朝仕事前にコーヒーを飲みに来たり、仕事帰りに一杯ワインを飲みに寄ったり、カフェが生活の一部になっているパリジャンも少なくはありません。映画の中でもアメリの働くカフェはいつも同じ顔ぶれの常連が登場します。彼らもまたCafé de Deux Moulins/カフェドドゥムーランでカフェを飲むことが、習慣の一つになっているのです。
また映画の中で、カフェの印象的なシーンが一つあります。アメリがアパートで見つけた宝物を渡すことに成功したあと、その人をつけてカフェに入ります。カフェのカウンターで宝物も持ち主が自分に起きたことを感動しながら話すシーンがあります。感激してたとはいえ、公共の場であるカフェで自分の感情をさらけ出すという、かなり感傷的な場面。このシーンはアップで撮影されています。パリのカフェが精神の繋がりが持てる場所として描かれています。
パリの駅
アベス駅
東駅
映画「アメリ」の中で、駅は物語のキーを握る重要な場所の一つとして登場します。まずアメリは愛を歌ったエディットピアフの歌に導かれるままに、アベス駅でニノに出会います。スピード写真のボックスの下に破られた写真を収集するのが趣味なニノにアメリは恋をします。そして次に再びニノに会うのが、東駅。そこでアメリは置き忘れたニノの収集アルバムを手に入れるのです。
東駅構内
駅は電車が発着し、人々が行き交う場所。そんな中で出会い、二つの人生が交差するようになるというのは、象徴的。ロマンチックなシチュエーションです。映画「アメリ」ではパリの駅は恋人を結びつける場所として描かれています。
隠れたパリジャンの姿
アメリが買い物をする近所のお店
リアリティーを追求していない映画なのに「アメリ」がパリジャンの日常を描いたと言われるのは、映画の主人公に絶対なり得ない、日々私たちが目にするパリジャンが登場人物として描かれているからではないでしょうか。フランス映画といえば、パリの中心部に住む上流階級の人々が描かれているような印象がありますね。そしてパリジャンといえば、どうもそういう人々をイメージしがちです。
しかし、映画「アメリ」は下町モンマルトルが舞台。カフェの同僚や何をして生計を立てているのかよくわからないカフェの常連(こういう人たちは実際パリのカフェに結構いるのです)、アダルトビデオショップで働く人たち、街の商人など、映画や文学の中ではなかなか登場しない隠れたパリジャンの姿が描かれているのです。
古き良きパリ
古き良きパリの残る下町モンマルトルの街並み
アメリが同僚や住人たちとコミュニケーションが取れるようになるにつれて、映画の中では古き良きパリの姿が描かれています。どこの大都会でも同じですが、人々との交流が希薄になりつつあるというのがこのご時世のあり方。古き良き時代のパリといえば、近所の人々や街の八百屋や魚屋との交流がありました。「アメリ」の中でも、覗き見をお互いずっとしていたルノワールの絵を複写し続ける画家や同じアパートの住人との交流を持つようになります。
映画の最後でニノの前にためらうアメリをこの画家がチャーミングな方法で後押しします。
アメリの部屋のテレビがいきなりついて、画家からのビデオメッセージが流れるのです。犯罪ギリギリな部分があって奇妙だけれど、彼らたちとの温かな交流に古き良きパリの姿を見ることができます。
ロマンチックなパリの街
パリの街
アメリとニノは映画の最後で結ばれます。ラストはアメリとニノが幸せそうにバイクでパリの街中を走り回るシーン。この場面は映画好きな方なら、お判りになるでしょう「ローマの休日」を彷彿させまね。
恋人たちにとってパリはロマンチックな街。映画のラストでは道に車も通らず、まるでパリの街がアメリとニノのためにあるかのごとく、二人っきりの甘い世界です。恋する二人には他のことは何も目に入らないということの表れなのかもしれません。
映画「アメリ」の中のパリには不思議な魅力があります。そういえば何年も「アメリ」を見ていなかったというあなた、「アメリ」をパリという視点から見てみると、また違った楽しみ方ができますよ。ぜひ、「アメリ」の中のパリを考察してみてください。
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(取材・文:北川菜々子)
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