BLを読みすぎた人なら分かる『裏切りのサーカス』あの結末の意味
難解映画は先にネタバレを読むのもアリ!?
ジョン・ル・カレ原作『われらが背きし者』(2016年 ユアン・マクレガー主演)、レンタル開始されましたね。
自身も英国諜報機関の職員だったル・カレのスパイ小説、映画化作品も名作が揃っています。
中でも私のイチオシは、『裏切りのサーカス』(2011年)。人気ヒーローのジョージ・スマイリーを主人公とする『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を映画化した作品です。
登場人物が多い上、時系列がシャッフルされている難解作・・・。ほぼ確実に、一度観ただけでは理解できない作品なので、いっそ割り切ってネタバレを片手に観るというのもアリかと。
サスペンス作品をネタバレ片手になんて!と思われるかもしれませんが、大丈夫、表面上の謎が解けても、物語の核心にはまだまだ辿り着けませんから。
(以下はラストシーンまで完全にネタバレしていますのでご注意ください。)
ストーリー
舞台は東西冷戦時代の英国秘密情報部・通称「サーカス」。
ジム・プリドー(マーク・ストロング)は、コントロール(管理官)の命令で、「東」のブダペストへ。
「西」への亡命を希望する要人と取引し、サーカスに潜む「モグラ」=二重スパイの名前を聞き出すことがプリドーの任務でしたが、何故か彼の行動は全て「東」に筒抜け。挙句、プリドーはブダペストで「東」の諜報員に撃たれて消息不明になってしまいます。
政府はこの事件をサーカスの失態として非難し、トップの交代と組織の刷新が図られます。
しかし、その後も依然漏れ続ける情報・・・。さらに、死んだと思われていたプリドーが密かにイギリスに帰国していることが明らかになるなど、サーカス内部は疑心暗鬼に。
そんな中で、「モグラ」の調査を引き受けたサーカス幹部のジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)は、ついに「モグラ」につながる手掛かりを掴みます。
果たして「モグラ」の正体とは・・・
本作最大の謎:ラストシーンのジム・プリドーの行動の意味
すでに観た方はご存知の通り、二重スパイだったのはコリン・ファース演じるビル・ヘイドン。
しかし、一通り話が見えても分からないのは、ラストシーンのプリドーの行動の意味です。
彼は何故、ソ連への送還を待つ身だったヘイドンを殺したのか?――その理由は全く説明されません。
勿論彼には動機はあります。プリドーがブダペストで撃たれたのは、ヘイドンがプリドーのブダペスト行きを東側にリークしたせいですから。
ただ、2人の関係を考えると、それだけの話とは思えません。
2人の間にあったのは「友情」ではなく「愛」
ヘイドンとプリドー。本作では2人を、単に「同僚」・「友人」ではなく「恋人」として描いています。
腐女子の妄想? いいえ、この件に限っては信用してください。原作小説にもはっきりと、プリドーはヘイドンの「愛人」(早川書房 村上博基訳)と書かれていますから。
実は、モグラが誰なのか?ということよりも、モグラと彼の被害者であるプリドーの本当の関係こそが、この作品の核心。これは2人が異性ではなく同性同士だから謎になりうる部分でもあって、本作ならではの面白さですよね。
原作と違って映画では、2人の昔の同僚が「2人は一心同体だった」と意味深な表現をするだけ。
しかし、2人の関係を暗示するシーンは何カ所かあります。
中でも最も印象駅なのは、プリドーがヘイドンを撃つシーンの直前に挿入されたパーティーの夜(これはプリドーがハンガリーに発つ前の出来事です)、2人がお互いを遠くから見交わすシーン。
なにしろ、このシーンのヘイドンことコリン・ファースの色気が凄まじい・・・言葉すら交わさないのに、愛の存在を確信させられます。
愛はあった――ただ、捨て身になれたプリドーと違って、ヘイドンには自分の保身のほうが愛よりも重かったということ。
2人の愛は、これ以上なく残酷な形で試されたわけです。
愛と憎しみは表裏一体
2人の間にある感情が、友情ではなく愛情だったことは、クライマックス・シーンの意味に大きく関わってきます。
プリドーが手を下す場面を描かなかった原作に対して、まさにその瞬間の2人の視線・プリドーの涙まで描いた映画版は、プリドーの思いの在り処を観客に示そうとしているかのように見えます。
その想いとは・・・やはり、愛と憎しみ、その両方ではないかと。
一見矛盾しているようで、不可分の2つの想い・・・仮に憎しみがまさっていたとしても、その裏側に愛と執着あってこその憎悪ではないでしょうか。
ヘイドン殺害後のプリドーを一切描かずに終わる映画版は、彼の行動を或る種無理心中のようにも見せています。
ピーター・ギラム、リッキー・ターの恋は、ヘイドンとプリドーに重なる
トム・ハーディ演じるサーカスの「スカルプハンター(首狩り人)」リッキー・ターと、ソ連諜報員・イリーナ(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)との、体制に引き裂かれた恋の顛末や、ピーター・ギラム(ベネディクト・カンバーバッチ)と同性の恋人との、理由を告げることすら許されない、辛い別れ。
サーカスのメンバーの群像劇でもある本作には、人を欺く宿命を背負った彼らの、無残に引き裂かれた恋も描かれています。
原作では異性愛者のギラムが映画ではゲイとして描かれている(恋人は教師)のは、ヘイドンとプリドーの関係のアナロジー。2人の恋愛を直截的には描かない分、ギラムの姿を通じて連想させる仕掛けでしょう。
プリドーがひそかに帰国し教職についてからも、ヘイドンとつながっていた可能性も示唆しているように思えます。
クライマックスを盛り上げる『ラ・メール』には2つの意味がある
プリドーがヘイドンを撃つシーン以降ラストの暗転までを情感たっぷりに盛り上げているのが、フリオ・イグレシアス版の『ラ・メール』。海への憧憬を歌った曲です。
しかし、この曲には英語版の別の歌詞(″Beyond the Sea”)もあり、こちらは愛の歌。英語圏の人には、こちらの歌詞が頭に浮かぶのでは・・・?
つまりこの歌には、2つの意味があります。どちらの歌詞も、この作品のラストシーンにはふさわしい。
プリドーの秘めた想いの激しさ、愛を失い、雨に濡れながら佇むリッキー・ターの姿、そして、海の向こうの敵との、熾烈な、しかし虚しい戦いに挑み続けるサーカスの面々・・・
「難解さ」という固い表皮の下に、思いがけないほどに切なく、情感豊かな果実が隠されていることを、『ラ・メール』は雄弁に物語ってくれている気がします。
ヘイドンのコードネームが「テイラー」だったワケ
余談になりますが・・・
「モグラ」容疑のかかったサーカス幹部たち5人には、マザーグースに由来するコードネームが付けられていますね。命名者はコントロール。
ヘイドンに「テイラー(仕立屋)」というコードネームをつけた後、コントロールは「セイラー(船乗り)を使うのはやめよう、テイラーと似ているから」と言います。
「セイラー」は、西洋では何故か同性愛のイメージと結びついているので、ヘイドンと「セイラー」を重ねてみせたこのセリフも伏線のひとつかもしれません。
つまりヘイドンは「セイラー」であるがために「テイラー」と名付けられたのではないでしょうか。(原作では、ヘイドンの愛人(女性)が、ヘイドンが「鼻たれ小僧の船乗り」を追いかけている、と話す場面があり、ここでもゲイと船乗りが重ねられています。)
テイラーと言えば、『キングスマン』でコリン・ファースが演じたスパイ・ハリーの表稼業も、仕立屋でしたね。
原作コミックスでは、ハリーにあたる人物は仕立屋ではないので、もしかしたらこの設定は『裏切りのサーカス』のオマージュなんでしょうか。
(文:阿刀ゼルダ)
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