映画コラム

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2017年06月17日

地味にスゴイ!ウェスタン・ノワール『ある決闘―セントヘレナの掟―』

地味にスゴイ!ウェスタン・ノワール『ある決闘―セントヘレナの掟―』

■「キネマニア共和国」



(C)MISSISSIPPIX STUDIOS, LLC 2015



西部劇というジャンルそのものがとりたてて騒がれることはなくなってしまいましたが、今も(いや、むしろ最近のほうが)西部劇は定期的に作られています。

もっとも、その中に20世紀半ばの西部劇全盛期に顕著だったフロンティア・スピリット(開拓精神)などを見出すことはできません。特にヴェトナム戦争の敗北以降、アイデンティティを見失って今なお迷走を続けるアメリカにおいて、フロンティア・スピリットを訴えることがいかに空しい行為か……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.239》

とはいえ、ここに来て西部劇はアメリカの歴史と真に向き合いながら、アーティステイックな面持ちで作られるようになってきているようにも感じられます。

一見地味ではあるけど奥深い!『ある決闘―セントヘレナの掟―』もその1本です。

西部劇版『地獄の黙示録』は
川を遡ってカリスマと対峙する



『ある決闘―セントヘレナの掟―』は、1888年、アメリカとメキシコを隔てるリオ・グランデ川から20キロほど上流にあるテキサス州マウントハーモンを舞台に繰り広げられていきます。

リオ・グランデ川にメキシコ人の死体が毎日のように流れ着くようになり、その謎を調べるべく、テキサス・レンジャーのデヴィッド(リアム・ヘムズワース)は妻マリソル(アリシー・ブラガ)を伴い、マウントハーモンの町へ赴きました。

町は“説教師”エイブラハム(ウディ・ハレルソン)に牛耳られています。そして彼こそは、22年前にヘレナ流の決闘でデヴィッドの父親を殺害した男なのでした……。

ヘレナ流の決闘とは、お互いの左手を布でつなぐように縛り、右手のナイフでどちらかが死ぬまで戦い続けるもので、本作の大きな象徴にもなり得ています。

新興宗教の町という設定もどこかしらアメリカを象徴している節はあり、この国は昔も今も大小さまざまな宗教によって成り立っているところがあり、それが最近よく用いられる“アメリカ第一主義”といった排他的かつ優越的な気運を増長させている節も感じられないではありません。

そして本作は主人公が川を上ってカリスマが支配する町へ赴きますが、これはジャングルの奥地に王国を築き上げたカリスマを殺害すべく主人公が川を下るヴェトナム戦争映画の代名詞でもある『地獄の黙示録』(79)と同じ趣向であり、スキンヘッドでおなじみウディ・ハレルソン扮するエイブラハム役は、まさに『地獄の黙示録』でマーロン・ブランドが演じたカリスマ、カーツ大佐と共通する貫禄で登場します。

一方、『ハンガー・ゲーム』シリーズ(12~15)でおなじみリアム・ヘムズワース扮するデヴィッドは、ここでは謎を探るスパイ的な役割を任じますが、彼が属するテキサス・レンジャーはかつて西部劇のヒーローとして著名な集団でしたが、歴史のふたを開けると、国境付近のメキシコ人とアメリカ人とのいさかいを治めるためのアメリカ側の自警団で、実際はかなり残虐非道な行為を働いていたことも今では周知の事実となっています。

シャイアン族との戦いを終えて帰還したばかりのデヴィッドも、その腕のすごさは映画をご覧になっていただくことで理解していただけるかと思いますが、いざトラブルに対処したときの身構えひとつとっても、どこかしら非情で凄惨な趣が感じられます。

それゆえか、妻との間も今ひとつしっくりいってないようで、それが後々の障害としてドラマの大きな焦点にもなっていきます。



(C)MISSISSIPPIX STUDIOS, LLC 2015



昔も今も、西部劇こそは
エンタテインメントの原点!



そう、本作は西部開拓時代を背景に、スパイ・ミステリ映画として、戦争哲学映画として、宗教を問う映画として、そして壮絶なヴァイオレンス映画として、さまざまな要素を兼ね備えた活劇として屹立しているのです。

これぞ即ちエンタテインメントであり、そもそも西部劇とは映画が大きく備え持つエンタメの原点でもあったわけですが、一方で旧来の西部劇に顕著であった復讐の要素は、意外にも本作は希薄です。

デヴィッドは父の死があくまでも決闘の結果であり、そのことでエイブラハムを逆恨みしようという気はあまり持っていないのです。

しかし、それをはるかに超えるほどエイブラハムへの憎悪の念を抱かせる事態へと、ドラマは発展していきます。

やがてエイブラハムとデヴィッドの関係性が、単なる敵対する者同士の域を越えた不可思議な愛憎の絆で結ばれていくあたりも妙味で、それが“何”であるかは実際にご覧いただければと思います。

正直なところ、本作の前半部は実に淡々としたもので、ストーリーとしてさほど前に進んでもいかないのですが、そんな一見地味な中からジワジワと後半の衝撃的展開へと至る伏線などが巧みに醸し出されていて、実はまったく飽きさせるところがありません。

監督はオーストラリア出身のキーラン・ダーシン=スミス。日本ではまだなじみのない存在ですが、母国では俳優兼監督として数々の賞を受賞し、堂々ハリウッドに進出した彼の異邦人的ならではの目線が、本作の重要なモチーフでもあるアメリカの闇を濃厚に浮かび上がらせることに成功しているとってもいいでしょう。

デンマーク人のクリスチャン・レヴリング監督による『悪党に粛清を』(14)や、ナタリー・ポートマンが銃を持つヒロイン西部劇『ジェーン』(16)、多国籍キャストで『荒野の七人』(60)をリメイクした『マグニフィセント・セブン』(16)など、最近の西部劇は国や性を超越した個性を伴いながら復活の狼煙を上げ始めてきているような感もあり、『ある決闘―セントヘレナの掟―』も間違いなく、そんな未来の期待まで否が応にも高めてくれる快作です。

一見通好みなように思われるかもしれませんが、実は幅広い客層に門戸が開かれている作品ですのでご心配なく。そこはやはり、何といっても西部劇こそはエンタメの原点ですので!

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(文:増當竜也)

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