映画コラム

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2018年01月19日

『ルパン三世 カリオストロの城』徹底解説!痛快過ぎる5つの理由!

『ルパン三世 カリオストロの城』徹底解説!痛快過ぎる5つの理由!



原作:モンキー・パンチ (C)TMS




『ルパン三世 カリオストロの城』、宮崎駿が初めて劇場映画の監督を務めた本作が、名シーンと名台詞の宝庫、何度観ても色あせない魅力があるのは言うまでもないことです。

ここでは、その面白さの理由がどこにあるのを分析し、また“ルパンの性格が変わった理由”や“クラリスがルパンについて行かなかった理由”についても解説してみます!

1:アクションの“再登場”がすごい! あの“大ジャンプ”があってこそのハラハラとは?

『カリオストロの城』のアクションはどれもがハラハラドキドキでき、そのアイデアの面白さも半端なものではありません。それらのアクションが、形を変えて“再登場”していることにお気づきでしょうか。

例えば、印象に残っている方が多いであろう、ルパンが城の屋根を連続で大ジャンプをしていくシーン。冒頭のカジノを襲撃するシーンを振り返ってみると、この大ジャンプと同様に、ルパンと次元が一緒に連続でジャンプをしています。つまり似たアクションが、後でパワーアップした形で登場しているのですね。

これらの大ジャンプは笑ってしまうほどに荒唐無稽なので、意地悪な言いかたをすれば「ルパンは人間離れしている無敵の存在なんだなあ」と観客が“安心してしまう”ことにもつながるとも言っていいでしょう。

しかしながら、その後のクラリスを連れて脱出しようとしたルパンが撃たれてしまうシーンでは、ルパンの身体は“屋根を転がるように”落ちていったため、クラリスが必死に覆いかぶさって止めています。これは、「屋根から屋根へ大ジャンプするほどの身体能力を持つルパンだけど、無敵なんかじゃない。銃で撃たれれば当然のように屋根から落ちてしまうんだ!」という、荒唐無稽な大ジャンプとの落差がはっきりと表れた、現実的なサスペンスになっているのです。

他にも、追われるクラリスを救うカーチェイスは基本的にコミカルなものでしたが、その後には“カゲ”の暗殺部隊から命からがら逃げるというややシリアス寄りのカーチェイスへと変わっています。

“高所から落ちかける”というハラハラも何度も繰り返されており、それはカリオストロ公爵によりルパンが“地獄へ通ずる穴”に落とされてしまうという絶望的なシーンにも繋がっています。(その後に穴の途中で引っかかっていたルパンが、「聞いちゃった 聞いちゃった。お宝目当ての結婚式!」と囃し立てるのが愉快痛快!)

さらには、ルパンお得意の変装や、ルパンが手から出すロープや、水路を泳いでの潜入や、水路の中にあった“歯車”がクライマックスの戦いの舞台になっていたりと、劇中では同様の(しかし全くの同一ではない)アクションが繰り返されています。

ただアクションを並び立てるのではなく、「こうなると命の危険がある」というサスペンスも入れて、観客を“まったく安心させてくれない”こと。同じようなアクションにおいても、その面白さがさらにさらにパワーアップしていくこと。本作を何度も観てもハラハラドキドキするのは、こうした巧みなアクションの“再登場”のためでもあるのでしょう。


2:“普段の生活ではできないこと”を叶えてくれる痛快さが満載だ!

映画は“普段の生活ではできないこと”を叶えてくれる娯楽です。本作は「囚われの姫を救い出す」という男の子の夢そのものなのですから、それだけで楽しくて痛快であることは言うまでもありません。

クラリスも、カリオストロ家のしきたりでがんじがらめになり、公国の独裁を狙う伯爵に結婚を強要されてしまっていましたが、大泥棒と共にそこから抜けし、大冒険をすることができました。お姫様でなくても、社会のルールや勝手な価値観に縛られて“やりたいことができない”というのは現実でよくあること。そんなところから華麗に逃がしてくれる物語の、なんと素敵なことでしょうか。

銭形警部も、偽札作りの現場を見つけたのにも関わらず、カリオストロ公爵の人脈や国家間の事情により、一時は撤退せざるを得なくなっていました。そんな銭形は、不二子から「ルパンが相手なら天下御免で出動できるんでしょ?」という知らせを受けて「その手があったか!」とウキウキでお城の現場に戻り、テレビで偽札作りの現場をおおっぴらに報道できました。現実ではなかなか覆せない“大人の事情”を、ルパンという長年の(愛しているとも言える)ライバルのおかげで取っ払えるというのも、愉快痛快です。


原作:モンキー・パンチ (C)TMS


庭師のおじいさんが、去りゆくルパンと銭形警部を見て「なんと気持ちのいい連中だろう」と言うことにも、物語の本質が表れています。「国のしきたり?大人の事情?そんなものは大泥棒が丸ごと奪ってやるよ!」というような……。銭形警部の「やつはとんでもないものを盗んでいきました」も含めて、本当に気持ちがいい!

3:全力で“大切な人を救う”気持ち良さにも溢れていた!

本作を語るにおいて、クラリスというヒロインの“強さ”は外せません。例えば、クラリスは冒頭から自らクルマを運転して追っ手から逃げていますし、気絶したルパンの傷に水を浸した手袋をつけて介抱していたこともありました。さらに、屋根から落ちかけたルパンに覆いかぶさって救うばかりか、「この方と不二子さんを助けなければ、(指輪を)湖に捨てます」と公爵に取引を持ちかけて、オートジャイロを狙ったマシンガンの向きを変えさせたりもします。極めつけは、クライマックスでクラリスは公爵の腕を強く掴んだまま、湖に身を投げ出すのです。

一見するとおしとやかなお姫様だったクラリスのこれらの強さについて、宮崎駿監督はこのように語っています。

「カリオストロ伯爵から、ルパンを身を挺して守るクラリスの強さ、あれはクラリスだけが持っているものじゃないと、ぼくは思っています。人間だれでも、ある状況の中では、強くなるんです」
「今はもやもやした日常生活が延々と続く、とみんな思っているから、そんな強さは自分にはないと思い込んでいる。だけど、実は人のために生きたいとか、雄々しく生きたいっていう気持ちは、誰でも持ち合わせているんですよね。そして状況さえあれば、その強さが発揮されてくるものなんだと、ぼくは思います」

この言葉は、前述した“普段の生活ではできないこと”を叶えてくれる面白さ、痛快さそのものです。普段ではなかなか発揮できない「大切な人を、身を投げうってでも救う」という切なる行動を思いっきり提示してくれるからこそ、本作は気持ちが良く、そして面白いのでしょう。

そして、クラリスが必死にルパンを救おうとしたように、ルパンも文字通り命がけでクラリスを守ります。ルパンの「その子が信じてくれたなら、ドロボーは空を飛ぶことだって、湖の水を飲み干すことだってできるのに」という言葉は冗談のようでもあり、本当にそれだけの力を発揮できるようにも思えます。その後に手から出した花からスルスルと旗を引き出し、「今はこれが精一杯」と言ってクラリスを笑顔にしてあげるルパンの、なんと“粋”なことでしょうか!


原作:モンキー・パンチ (C)TMS

4:ルパンの性格はどうして変わったのか?

『ルパン三世 カリオストロの城』は、ルパンの性格がとにかく優しく紳士的であるため、「こんなのルパンじゃない!」という否定的な意見もあるようです。(原作マンガのルパンは暴力や殺人もいとわない悪どい性格であり、原作者のモンキー・パンチも「ルパンは義賊ではない」と言い切っています)

実は宮崎駿監督自身、ルパンというキャラクターが時代によって変遷していっていると認識していったところもあるようです。

例えば、1971年から1972年にかけて放送された、全23話の“旧アニメ版”の「ルパン三世」では、宮崎駿は「前半の1/3と後半の2/3ではルパンの性格は大きく異なっている」ことを踏まえた上で、「スタート時のルパンは、(高度経済成長期の背景もあり)モノやお金にあくせくせず、倦怠を紛らわすために時たま泥棒をやっているというキャラに基本設定された」、「(旧アニメ版の)路線変更はスタッフのあずかり知らぬところで強要されたものだったが、ぼくらは“シラケ”を払拭したかった」「ルパンは快活で陽気、知恵と体術だけであくことなく目的を追う。次元は気のイイ朗らかな男になり、五ェ門はアナクロこっけいな男になり、不二子は安っぽい色気を売り物にしない」などと語っていました。

その旧アニメ版の終了後も、石油ショックや公害、テロや戦争が起こりうる世の中を目の当たりにした宮崎駿監督は「ルパンの世界よりも、現実の世界のほうがはるかにさわがしくなってしまった」、「現実の世界に取り残されたルパンに、一体何ができるのだろうか、せいぜい少女の心を盗むくらいしかない」などと考えるようになったそうです。

『カリオストロの城』劇中のルパンの回想にて、「もう10年以上昔だ……俺は1人で売り出そうと躍起になっている青二才だった」という言葉があったのも、宮崎駿自身が、“かつてのルパン像”への寂寥感、懐かしさを感じたためでもあったのでしょう。

少し前の日本では、ハングリー精神のあるルパン像も成り立った……でも今はそうではなく、かつて少女から命を救われて、その恩を返すようなルパンの姿こそがふさわしいのではないか、と……。つまり、『カリオストロの城』におけるルパンの性格が変わったのは、宮崎駿が製作当時の世相に合わせた結果でもあるのです。

ルパン三世 カリオストロの城 MX4D版

原作:モンキー・パンチ (C)TMS

5:なぜクラリスはルパンについて行かなかったのか?

物語の最後に、クラリスは「私も連れてって、ドロボーはまだ出来ないけどきっと覚えます!」とルパンに抱きついていましたが、ルパンは「バカなこと言うんじゃないよ、また闇の中へ戻りたいのか、やっとお陽さまの下に 出られたんじゃないか、お前さんの人生は、これから始まるんだぜ」と、それを良しとはしませんでした。

クラリスがルパンを追いかけなかったことについて、宮崎駿監督は以下のように語っています。

「出会いと別れは同時にあるもんなんですよね。そして、うまい別れ方ができるのなら、別れは素晴らしいもんなんです」

「相手の迷惑を考えずにくっついちゃっていっちゃうというのは、自分の感情を噴出させているかもしれない。けれど、放出させているだけで、ある意味でとてもエゴイスティックな行為かもしれない。それは本当に自己に忠実に生きているということなのかどうか……」

「(ルパンとクラリスが再び)会った時には、クラリスはルパンに対してベタベタした関係を保とうとはしない。ルパンという男の限界もよくわきまえた人間に成長しているんじゃないかな。また、僕はそれを望みます」

確かに、相手の事情や価値観を顧みず、その人生に寄り添おうとするのは、子どもじみた考えにも思えます。そして、大切な人のことを想ってこその“別れ”は素晴らしいものである……映画を観終わってみれば、これらの言葉に納得できますね。

同時に、ルパンが“まだ子ども”のクラリスに告げた「お前さんの人生はこれから始まるんだぜ」と言う言葉は、彼女と結婚しようとして「このロリコン伯爵!」とまで言われた独善的なカリオストロ公爵との対比にもなっています。

余談ですが、クラリスというキャラのモチーフの1つは、モーリス・ルブランのルパンシリーズ「緑の目の令嬢」に登場するオーレリィという美少女なのだとか。オーレリィはルパンと恋仲になるものの、芸術家として生きようとする“自立”したキャラだそうで、そこにも宮崎駿の考える“強い女性”の憧れや希望が表れているのでしょうね。

おまけ:後日談がプレイステーションのゲームになっていた!




宮崎駿監督の映画は、基本的にはそれぞれ1作限りで、続編は製作されないことがほとんどです。(『となりのトトロ』には、三鷹の森ジブリ美術館のみで公開されている後日談『めいとこねこバス』がありますが)

しかしながら、この『カリオストロの城』には後日談と呼べる、1997年に発売されたプレイステーション用ゲーム「ルパン三世 カリオストロの城 -再会-」が存在しています。

ゲームの設定は、一大モニュメントパークとして開放されたカリオストロ公国にて、記憶をなくしたオリジナルの主人公が“ルパン・シンジケード”の一員としてルパンたちと行動を共にするというもの。城下町や城の内部が3DCGで再現されているため「映画の舞台を冒険できる!」という嬉しさが満載、映画を再現した謎解きや小ネタもふんだんにありました。

ゲームとしてはやや淡白な印象も否めませんが、映画の名シーンがそのまま収録されていたり、マニアックな解説文を読むことができたり、オリジナルと同じ豪華キャストがフルボイスでしゃべってくれたり(ただし、ルパン役の山田康雄だけは1995年に亡くなっているので栗田貫一に変わっている)と、映画のファンにはたまらない内容になっています。現在でも、中古で安く売られていることが多いようなので映画の後に遊んでみるのもおすすめですよ!

参考図書:あれから4年…クラリス回想 (アニメージュ文庫 (C‐004))

(文:ヒナタカ)

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