映画コラム
『スリー・ビルボード』が永遠に語り継がれるべき、3つの大いなる魅力
『スリー・ビルボード』が永遠に語り継がれるべき、3つの大いなる魅力
(C)2017 Twentieth Century Fox
アカデミー賞6部門で7つノミネートの本作、素晴らしいです。でも正直に告げます。私は元々『シェイプ・オブ・ウォーター』を第一に応援していました。そのため、まさか『スリー・ビルボード』が『シェイプ・オブ・ウォーター』に迫るほどの傑作ではないだろう」とたかをくくっていました。
しかし、そんな私は何もわかっていなかったのです。『スリー・ビルボード』がとんでもない傑作ということを。なぜ素晴らしいかというと、本作は、「アメリカ南部の独特さ」と、「普遍的なテーマ」を両立させている奇跡的な映画だからです。
舞台のミズーリ州(エビングは架空の町)といえば、大統領選挙では共和党が強く、さらに2016年の選挙でトランプ大統領が誕生して以降、良くも悪くも注目が集まっているアメリカ南部地域。映画監督、作家やジャーナリスト、テレビ製作者たちからは、「何か得体が知れない」、「田舎者」、「暴力的」、「差別的」と見られがちです。実際に、白人警官による黒人青年射殺事件、ファーガソン事件などもありました。
そこで、「アメリカ南部の独特さ」、「普遍的なテーマ」について、キャラクターの魅力なども交えて紹介していきます。
あらすじ紹介
娘を殺されたシングルマザーのミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、地元警察の捜査がなかなか進展しないことに対し、エビング広告社に、署長のウィロビー(ウディ・ハレルソン)がきちんと捜査を進めるよう看板の制作を依頼。その看板を見た地元警察のディクソン(サム・ロックウェル)は、ウィロビーを慕っていることもあり、広告社のレッド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)にクレームを入れる。しかし、レッドもミルドレッドも引き下がらない。そこで、ウィロビーは捜査の状況について彼女に説明するも、聞き入れない。そういった状況が続いていく中、ある決定的な事件によって、彼らエビングの住人を取り巻く状況は変わっていく。
「アメリカ南部の独特さ」といったら、「聖書地帯(バイブル・ベルト)」と言われるように、他の地域よりキリスト教がなじんでいます。本作に登場する道路際の3枚の立て看板には、本来、個別の教会の案内や、一般の通行人に向けたイエス・キリストからの直接の「呼びかけ」を意味するものなどがあります。それが本作ではウィロビー署長について書かれており、ここの解釈については、解釈の根幹の部分でもあるため、後述します。
また、移民の祖先の伝統から、「自主自立の精神」、「好戦的で軍人を数多く輩出」といった地域性も特徴的です。
登場人物たちが「たしかにそこで暮らしている」と思わせてくれる存在感
本作は、ポスター・ヴィジュアルや事前情報からは、クライムサスペンスと予想すると思います。私も、ポスターの「不吉なにおいはするけど、かっこいい」という雰囲気から、そう思っていました。そして、そう思いながら見ていた人は肩透かしをくらうかもしれません。「地味でたいして大きなことが起きないから面白さがよくわからない」と思う人もいるでしょう。
(C)2017 Twentieth Century Fox
でも、当記事を読んだことで、未見の人も、すでに鑑賞済みという人も、「『スリー・ビルボード』っておもしろい」もしくは「おもしろそう」って思ってもらえたらうれしいです。
ただ、実はキャラクターたちの日々の生活が繊細かつ豊かに描かれるヒューマンドラマであり、おかしみも散りばめられたコメディでもあるのです。ヒューマンドラマと言い切るくらいなので、「物語の進行やテーマ性のためにキャラクターを動かす」のではなく、「キャラクターの日々の生活があり、彼らのストーリーが主要キャラクターとからんでいくことで、全体のストーリーが紡がれる」といった語りの形式です。
さらに、とくに主要キャラクター三人の演技は素晴らしいので、直接関係ない、横道に脱線するようなシーンでも、味わい深いのです。では、主要キャラクターについて見ていきましょう。
3枚の立て看板と同じように表面的な顔と裏側の顔がある
マッチョなヒロイン?! の母ミルドレッド
(C)2017 Twentieth Century Fox
ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、表向きはたくましく、自分の正義を貫こうとするタイプのキャラクターです。娘がレイプされて殺された事件に関してエビング署がなかなか動かないことから、自分で広告会社を通し、3枚の看板によって、ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)に捜査を進展させるよう圧力をかけます。
その様子は西部劇の主人公さながらで、「俺が(私が)法律だ」といわんばかりのマッチョな印象を受けます。実際に「(往年の西部劇のスター俳優)ジョン・ウェインの姿勢を意識した」とマクドーマンド自身も語っています。
しかし、ウィロビーは街中の人から好かれていたこともあり、彼に敵意をむき出しにするミルドレッドに対し、不快に思う人も出てきます。たとえば街の歯科医です。彼は麻酔なしで彼女の歯を治療しようとします。しかし、彼女は歯科医からドリルを取り上げ、爪の肉を削ることで逆襲します。その件に対して、ウィロビーは彼女を問いただしますが、そのとき「いや、やっていることはおもしろいんだが」とさり気なくギャグを言います。シリアスなお話ではありますが、全体がこういったトーンでもあります。
その後、彼女の正義感はひとりよがりのものだとわかってきます。実は、末期がんを患っていたウィロビーの事情も知りながら、追い詰めていたのです。「ミルドレッドの件が原因」ということはウィロビーから否定されていましたが、彼は病に苦しみながら生きることに耐えられなくなり、自殺を遂げます。
そこから、自殺は「ミルドレッドが看板でウィロビーを追い詰めたせいではないか」と街中で疑念が広がります。そんな中、彼女は息子を学校まで車で送ったところで、他の生徒から、「あいつが署長を殺した」と言われ、「そういったことをいうのは誰だ」と、彼らの股間を蹴り上げます。そういったところも、キャラクターを反映した笑えるポイントです。
そんなマッチョな彼女ですが、中盤から、彼女のもろい面も次第にクローズアップされていきます。印象的なシーンはいくつもあります。
たとえば、ウィロビー自殺のニュースをテレビで見るシーンです。彼の死を知り、ぼう然として目だけゆっくり下に向けていきます。ここで、彼女は「自分がウィロビーを追いつめたからなのか」自問自答しているように見えます。
また、後の印象的なシーンでもありますが、ウィロビーの妻アン(アビー・コーニッシュ)が、ウィロビーからミルドレッドへの手紙を渡すシーンでは、ミルドレッドの手にそれが渡っても、気持ちのこもっていないような、心ここにあらずの空返事をします。このように、ちょっとした細かい演技からも、彼女の心情やその背景は伝わってきます。しかし、それはミルドレッドだけではなく、主要キャラクター3人にもいえます。
ちなみに、ストーリーと直接関係ないところでは、ジェームズ(ピーター・ディンクレイジ)との関係性も挙げられます。ミルドレッドが警察署に火炎瓶を投げて騒ぎになった際、外で偶然通りかかったジェームズと話し込み、捜査にきていた警官から、「何をやっていたんだい」と聞かれたところ、「デートの約束をしていた」とジェームズが答えます。その後、実際にデートするシーンもあり、この一連の流れは微笑ましく見られます。
暴力警官のディクソン
(C)2017 Twentieth Century Fox
ディクソン(サム・ロックウェル)は、表向きは差別的、暴力的ですが、実はウィロビー署長のことは慕い、さらにマザコンでもあります。道端でウィロビー署長を責める看板を見つけたら、エビング広告社に殴り込みをかけたり、黒人の被疑者に対しては気に入らないと暴力をふるったりします。
彼は、どうしてもミルドレッドが引き下がらないことに対して怒りを覚え、自宅で母親に、「どうすればいいか」相談します。そこで、「仲間を誘拐すれば引き下がる」と言われ、ミルドレッドが勤める雑貨屋の店員を事情聴取します。それに対して今度はミルドレッドが怒り、エビング警察署を訪ね、ディクソンを責めます。そのとき、彼の誘拐まがいの行為に対して、彼女は「どうせ母親から入れ知恵されたんでしょ」と聞かれ、彼はそれまで張り合っていたのに、いきなり小さくなって「うん」とうなずきます。
ウィロビーが自殺してから、ディクソンは怒り狂い、エビング広告社の青年レッドを、二階から窓ガラスを破り、道端に突き落とします。その件で、ディクソンはバッジと拳銃を没収され、実質警察をクビになります。
その後、ある夜、エビング警察署を訪れ、ウィロビーの手紙から、「警察官にもっとも大切なものは、愛だ。愛は平静を導き、平静は思考を導く。拳銃は要らない。憎しみも要らない」(新約聖書における「コリント人への手紙」からヒントを得たものと思われる)という遺言を目にします。その直後、エビング広告社のレッドへの暴力が原因で、ミルドレッドは警察署に火炎瓶を投げつけます。そこで、彼は全身大やけどの重傷を負いました。しかし、それでもディクソンは、怒りを覚えた人間に対しても、極力暴力を抑えるようになっていきます。
ディクソンは、先ほど挙げたようなミルドレッドとの署内でのやりとりで、「お母さんから入れ知恵されたんでしょ」と問われ、口ごもる演技などもおかしくて印象的ですが、他にも素晴らしいところはあります。とくに、警官を実質クビになったあとです。足元がふらつくような歩き方をし始め、どこか人生に絶望し、うなだれている気持ちがうかがえます。もう少し細かいところだと、退院後、自宅のデッキでたばこを吸うシーンも、彼のやさぐれ具合や、生きる希望を失いかけている心情が伝わってきます。
事なかれ主義のウィロビー署長
(C)2017 Twentieth Century Fox
彼はエビング警察署の署長でありますが、ミルドレッドから見たら、捜査を進めているようには思えませんでした。しかし、温厚な性格から、ディクソン含め、エビングの住人から慕われている存在でもあります。ミルドレッドからの圧力に対しても、誠実に進展状況などを説明しようとしました。そんな彼は、捜査の進展がないことに対して、例の立て看板でミルドレッドから圧力をかけられます。
彼の演技で印象的なシーンの1つに、ミルドレッドが歯科医の爪肉を削った件で事情聴取するとき、「いや、やっていることはおもしろいんだが」と眉毛をハの字にして問いかけるところです。ここは彼の人柄を反映させたシーンでもあり、おかしみに満ちたところです。また、このシーンに限らず、ウィロビーは大変温厚な性格なので、日常生活の中で家族と過ごすシーンも印象的です。まぶしい陽の光の中、2人の子供たちと川遊びをしているシーンは、見ている側も心温まります。
ここで考察したいのが、本来、「バイブル・ベルト」と呼ばれる地域では、立て看板には、上記のようなキリスト教色の強い内容が提示されていることです。ミルドレッドは、理不尽な運命によって、娘の命を奪われたことから、作品世界での不条理を嘆き、神の存在を当初は否定していることがうかがえます。
しかし、ウィロビーの遺言に従おうとするディクソンの誠意や、手紙を通してのウィロビーからのミルドレッドに対する誠意を感じたことから、彼女の信念は揺るがされます。ここまでの過程で、「ウィロビーはイエス・キリストの象徴」ともいえます。
本作は、後半、イエス=ウィロビーの教えに導かれるように、ミルドレッドとディクソンは接近していきます。そして、彼の協力も得て、彼女の娘を殺した犯人を探していきます。
小説家フラナリー・オコナーの作家性から何が読みとれるのか?
本作のイマジネーションの源泉とされる「善人はなかなかいない」の著者、フラナリー・オコナーの作家性にも触れます。彼女はアメリカ南部育ちの敬虔なクリスチャンでありながら、南部の独特さを排した作品を書き続けてきました。
(C)2017 Twentieth Century Fox
しかし、そこでは、現代社会に適応させつつも、キリスト教色を強く残した作品を著してきました。そんな彼女にとっては、さまざまな人生経験や、そこで形成された思考から、「まず神ありきで、イエス・キリストの教えに従うことで、社会の秩序が守られる」といった考えの元で、作品を書き続けたとされています。
ちなみに、本作でのイエス・キリストの教えとは、簡潔にいうと「自分自身を愛するように、隣人を愛せよ」といった内容といえます。でも、この言葉は、キリスト教徒ではなくても、普遍的に響く内容ではないでしょうか?!
以上の点から、「アメリカ南部らしさ」と「普遍的なテーマ」 の共存した、「今見られるべきであり、永遠に見られ続けるような映画」といえます。
おわりに
クライマックス、ディクソンは、事件の犯人と思しき男と酒場で遭遇します。そこで、彼はその青年から顔の皮膚をえぐり、後でDNA捜査の素材に役立てようとします。しかし、例の青年は無実であることが証明されます。事件の起きた時期に、中東に戦争に行っていたことがその理由です。そういった脇のキャラクター造形でも、アメリカ南部の男っぽさが象徴されています。
それでも、例の青年がレイプ事件を起こしたこと自体は事実であるため、ミルドレッドとともに、彼を追っていきます。その際、ディクソンはショットガンを所持します。例の青年の自宅へ向かう道中で、最後、「殺すか、殺さないか」の話になります。ここも含め、見た人によって、本作の解釈は色々と変わるでしょう。
(C)2017 Twentieth Century Fox
ちなみに、私は、「善人はなかなかいない」の著者フラナリー・オコナーの作家性である、「イエス・キリストの教えを元に人生を進もうとする」ということから、「理不尽な世界でも、“他人への誠意”によって、個人の幸せや社会の秩序を守れるのではないか?」と問いかけられていると考えています。
(文:梅澤亮介)
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