映画コラム

REGULAR

2018年03月16日

『モンスターズ・ユニバーシティ』注目してほしいのは“光と影”!もっと面白くなる3つのポイントを本気で語る!

『モンスターズ・ユニバーシティ』注目してほしいのは“光と影”!もっと面白くなる3つのポイントを本気で語る!



(C)2013 Disney/Pixar. All Rights Reserved.


本日3月16日、『モンスターズ・ユニバーシティ』が金曜プレミアムにて本編ノーカットで地上波放送されます。

本作は2001年に公開された『モンスターズ・インク』の12年ぶりのシリーズ第2弾にして、ピクサー初となる“過去の物語”である前日談。2人の“怖がらせ屋”が大学時代にどのような出会いをし、成長していくかが描かれています。

ここでは、劇中の“ライティングの演出の意味”と、“過去のピクサーでも描かれた才能と夢との向き合い方”を中心に、もっと面白くなるポイントを解説してみます!

※以下からは『モンスターズ・ユニバーシティ』の内容に触れています。核心的なネタバレは避けているので未見の方でも大丈夫と思われますが、予備知識なく映画を観たい場合はご注意を!

1:ライティングが感情や立場の変化を表していた!




(C)2013 Disney/Pixar. All Rights Reserved.


『モンスターズ・ユニバーシティ』で注目して欲しいのは、光と影を演出するライティングです。夕暮れに差し掛かっているキャンパスの雰囲気や、暗い講堂に鮮烈に差し込む光など、それぞれの場面での光の当て方は繊細かつ的確で、アニメーションの世界が現実に存在するかのようなリアリティがありました。

実は、そのライティングにより作り出される光と影は、キャラクターそれぞれの関係性や成長にリンクしていたりもするのです。

例えば、サリーとマイクそれぞれが“怖がらせ具合”を先生にチェックしてもらう時、マイクは勉強をしっかりしておいたおかげでさまざまな状況に対応できましたが、努力をしないサリーは通り一辺倒の怖がらせ方しかできませんでした。この時、マイクは光の中に、サリーは影の中にいたりするのです。

光と影はキャラクターの感情の変化、もっと言えば“どの立場にいるか”の目安になっている、光と影の境目はそのまま“境界線”と考えてもいいでしょう。

他にも、チーム戦の第1競技が終わった後、マイクはメンバーに「ひとりひとりの力を出し切らなければいいんだ」などとコーチとして失格なアドバイスをしていましたが、この時にマイクは影におり、他のメンバーは“木漏れ日”の中にいます。この木漏れ日は光でも影でもない、メンバーの考え方がはっきりと定まっていない状況とも考えられます。

サリーはその後すぐにメンバーと離れて光の中に向かう一方、マイクは木漏れ日の中にいるメンバーに歩み寄っていきました。つまり、“サリーよりもマイクのほうがチームに近いところにいる”ことが、この光と影の描写でもわかるようになっているのです。

さらに、ライティングが作り出しているのは、キャラクターの変化だけではありません。チーム戦の第1試合では暗くて不気味なフィールドと、怪しく光るウニのトラップと相対するように、囃し立てる観客たちや実況者にはまぶしいスポットライトが浴びせされていました。最終決戦が終わった後の黄味がかかったライティングは(後で起こる事態を見越した)不穏な空気も醸し出していたりもします。キャラクターが感じている“その場所の不安”さえも、ライティングにより表現されているのです。

さらにさらに、(ライティングというよりは色味の変化によるものですが)サリーとマイクが人間の世界に飛び込んだ時は、まるでモノクローム映画のような画に変化しています。これは、その後の“ホラー映画のような演出”を見越したためでもあるのでしょう。

このモノクロームのような人間の世界で、サリーは湖の前で落ち込んでいるマイクのところへやってきて、ずっと不安だった自分の気持ちを吐露します。この時、サリーは“影から光”へ逃げることなく入っていきました。今までいがみあっていた2人の距離が、グッと近くなった瞬間と言えるでしょう。

ちなみに、本作の物語と絡めたライティングの演出には、日本人のアートディレクターの堤大介さんが関わっているそうです。後半のトレーニングシーンを屋外、しかも雨が降りしきる中で行うというのは堤さんが強く推したアイデアでもあったのだとか。ピクサーという世界一とも言ってもよい実績を誇るアニメ製作会社に、確かな技術と才能を持ち、作品をよりよくするための提案もできる日本人がいたという事実にもうれしくなりますね。(なお、現在の堤さんはピクサーから離れて独立しています)

余談ではありますが、序盤で大学にやってきたマイクが、“影から光”へ一歩踏み出すシーンを覚えておくこともおすすめします。終盤、この大学の門の前、まったく同じ場所で光と影がどのような演出がされているかに注目すると、さらに感動できるでしょう。ラストシーンでも、しっかりと“光と影の境界線を越える”演出が活かされていますよ。

2:今までのピクサー作品でも“夢と才能”は辛辣な描かれ方がされていた!




(C)2013 Disney/Pixar. All Rights Reserved.


本作『モンスターズ・ユニバーシティ』で描かれるテーマは“夢との向き合い方”。しかも、「努力すれば夢はきっと叶う」という型通りの訴えでは終わらせず、夢というものの厳しさもしっかりと描き、なおかつ夢を叶えるための努力は無駄にはならない、別の道を選ぶことで何かが実ることもある……と、普遍的かつ今日的、極めて誠実なメッセージが込められていました。

そんな圧倒的に正しいテーマとメッセージを主軸とした『モンスターズ・ユニバーシティ』の物語ですが、実は過去のピクサー作品においても「なりたい夢と、その人が持つ才能とは一致しない」ことは、辛辣に描かれていることがよくありました。

・『トイストーリー』
⇒バズ・ライトイヤーは、自身が大量生産されるおもちゃであるとは気づいておらず、本物のスペースレンジャーだと信じ、空も飛べると思っていた。

・『Mr.インクレディブル』
⇒シンドロームはMr. インクレディブルの相棒になることを夢見ていたが、断られたことを逆恨みして、スーパーヒーローを憎むようになる。優秀な頭脳の持ち主であったため、その才能を活かして多数の兵器を生み出すことになった。

・『レミーのおいしいレストラン』
⇒リングイニには料理の才能がなかったが、ずば抜けたセンスを持つネズミのレミーとタッグを組みさまざまな料理を作り出していく。ただし、料理場にネズミがいることは不衛生とみられるので、リングイニはそのことを隠さなければならなかった。

・『メリダとおそろしの森』
⇒メリダは次期の女王候補であったが、弓の名手で乗馬の才能もあるおてんばな少女だった。メリダは大人になるために、ある大切なことを学んでいく。

これらのピクサー作品の登場人物は、なりたい自分になれず、立ちはだかる障壁を越えらずに塞ぎ込んだり、周りから認められなかったりしています。特に『トイストーリー』や『Mr.インクレディブル』では突き放したように残酷な事実を知らせたりもしていました。それは『モンスターズ・ユニバーシティ』のマイクも同様で、彼は“怖がらせ屋”になりたくても、“怖くない”という努力ではどうしようもないことを知り、夢を諦めそうになってしまうのですから。



(C)2013 Disney/Pixar. All Rights Reserved.


しかし、『モンスターズ・ユニバーシティ』では、今までのピクサー作品の辛辣さを備えつつも、さらに抜きん出て「夢を諦めそうになった(諦めた)時にどうすればいいか」「才能とどう向き合うか」について、前述したように正しい“答え”を用意しています。ピクサーは物語の全体構造のみならず、細かいシーンの1つ1つに意見を言い合って、さらにブラッシュアップを続けている製作会社であるので、もしかすると、これらの“夢と才能”が描かれた過去作品から学んだことを『モンスターズ・ユニバーシティ』に落とし込んだのかもしれません。

さらに、次のピクサー作品『インサイド・ヘッド』では、リーダー格のキャラクターであるヨロコビが、職場で余計なことばかりするカナシミを「この円の中にずっといてね!」と押さえつけようとしたという展開もあります。その後にどのようにして才能を活かしていくか、誰かの必要性を見出していくというのも、『モンスターズ・ユニバーシティ』に通ずるところがありますね。

余談ですが、『モンスターズ・ユニバーシティ』と最も似た物語構図になっているピクサー作品は、『カーズ』でしょう。レーシングカーのマックイーンはサリーと同じように自信過剰で自分勝手な性格のせいで痛い目に合い、そんな彼をオンボロなレッカー車のメーターのある才能が救うことになるのですから。こうしてピクサー作品を並べてみると、一貫した精神性やテーマがあることに気づける、というのも面白いところです。

3:字幕版のみで気づけることもあった!




(C)2013 Disney/Pixar. All Rights Reserved.


『モンスターズ・インク』および『モンスターズ・ユニバーシティ』は田中裕二さんと石塚英彦さんの吹替が「完璧!」と断言できるほどにハマっていることもあり、吹替版でしか観たことがないという方も多いでしょう。実は、『モンスターズ・ユニバーシティ』では、字幕版(原語)でしか気付けない小ネタもあったりするのです。

字幕版で序盤の大学の入学案内のシーンを観ると、それぞれの紹介の全てのセリフが「DAY」や「WAY」などで終わっている、つまり“過剰に韻を踏んでいる”ものになっていました。これは、よく言えば矢継ぎ早でテンポよく、悪く言えば大雑把に大学の紹介が進んでいくこと自体をギャグにしているのでしょう。

また、終盤にマイクが「俺はすごくなんかない(I’m not great)」と自己を卑下し、「普通でいいさ(I’m just OK)」と言うシーンもあります。OKとはマイクたちのチームであるウーズマカッパの略称でもあり、ボードにもOKと書かれていましたね。ともすれば、この時にマイクが言ったOKとは、「俺はウーズマカッパのメンバーだよ」ということもちょっぴり示唆しているのではないでしょうか。そのウーズマカッパのメンバーたちが普通で平凡(OK)であっても、その後の人生がよりよいものになると想像できるのも、『モンスターズ・ユニバーシティ』の素敵なところです。

このほかにも、『モンスターズ・ユニバーシティ』を(字幕版で)もう一度観ると、きっと新たな発見があることでしょう。さらに、「ランドールは出会った時はいいヤツだったのに、どうして悪役になった?」や「ナメクジ型モンスターのロズや、イエティなどのインパクトの強いキャラがこっそりカメオ出演している」など、その後の物語となる『モンスターズ・インク』への“くすぐり”もふんだんに込められているのですから、ぜひ繰り返し観てみることをおすすめします!

(文:ヒナタカ)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!