『チワワちゃん』が傑作映画である「5つ」の理由!青春の爆発と終わりがここにある!
(C)2019「チワワちゃん」製作委員会
本日1月18日より映画『チワワちゃん』が公開されます。先に結論を申し上げておけば、本作は間違いなく日本映画、青春映画、マンガの実写映画化作品として、新たな傑作と断言できる出来栄えでした!
詳しくは後述しますが、冒頭の“掴み”がバッチリで、豪華若手俳優が全員ハマりにハマっており、監督の作家性と原作の相性も抜群で、(R15+指定であり性描写もありますが)幅広い方におすすめできるエンターテインメント性と普遍的に通じる尊いメッセージも備えていたのですから。その魅力を、大きなネタバレのない範囲でたっぷりと紹介します。
1:“愛しい女性の死”から始まる物語……
だけど疾走感もフルスロットルだった!
本作の物語は、若者のグループの間で“チワワちゃん”と呼ばれマスコット的に親しまれていた女性が、バラバラ遺体となって東京湾で発見されるという凄惨な事実の提示から幕を開けます。登場人物の死から始まり、“狂言回し”となる人物がその故人の過去を追っていくというプロットから、『市民ケーン』や『嫌われ松子の一生』を思い浮かべる方も多いでしょう。
重要なのは、劇中に「死んじゃったら何もできないじゃん」というセリフがあるように、(言うまでもないことですが)“死”というものが絶対的に覆らない、不可逆的な事実であるということです。故人の過去をいくら調べたところで、その人が死んだという事実は変わらない、生き返ることは決してない、だからこそ過去が“二度とは戻ってこない青春”としてかけがえのない、忘れがたいものになっていく……ここにこそ、本作『チワワちゃん』の物語としての魅力が詰まっていると言っていいでしょう。
その故人の過去を追うという主軸にも十分なエンターテインメント性があるのですが、本作はさらに“掴み”が抜群であることも重要です。具体的には、そのチワワちゃんが政治家のお金を強奪し、“出たこと勝負”で若者グループとも連携を取りながら逃走するという、ハラハラできるシーンが冒頭に据えられているのです。ミュージックバーと夜の街の煌びやかなビジュアルもさることながら、見事な音楽も合わさった文字通りの“疾走感”があるこのオープニングだけで、一気に映画の世界に引き込むパワーがありました。
さらに、この疾走シーンだけでもチワワちゃんというキャラクターがエキセントリックで、犯罪も平然と行うほどの危うさがあり、同時に愛嬌もたっぷりという、“みんなの記憶に残る人物”であることも存分に示されています。しかも、前述した通りチワワちゃんがすでに死んでいるという事実が初めに提示されているため、疾走感と高揚感に溢れる一方で、寂寥感と喪失感にも包まれるという……このアンビバレントな気持ちに一気に追い込んでくれるオープニングは、もう満点と断言できる完成度でした。
さらにさらに、その後は奪ったお金(600万円!)で“豪遊”する夢のようなシーンに繋がります。いわゆる“パリピ”な人たちが思いつくままにお金を湯水のように使っていき、カット割りもアゲアゲな音楽に合わせてノリノリ、頭がクラクラしてしまうようなテンションの高さで持って行ってくれるのです。この“盗んだ大金で青春を味わい尽くす”というのは『リリィ・シュシュのすべて』の沖縄旅行のシーンにも似ていますね。倫理的にはなかなかにアウトである一方で痛快愉快、「こんな体験をしてみたい!」と思わせる乱痴気パーティぶりは『ウルフ・オブ・ウォールストリート』をも彷彿とさせました。
(C)2019「チワワちゃん」製作委員会
2:豪華若手俳優が全員ハマり役!
浅野忠信が良い意味で超きもちわるい!
本作『チワワちゃん』の大きな売りとなっているのは、門脇麦、成田凌、寛一郎、玉城ティナ、村上虹郎などの豪華若手俳優が集結していること。結論から言えば、その全員がハマり役であり、「彼らのファンであれば是が非でも観なければいけない!」と断言できる名演を見せていました。
門脇麦は、キーパーソンである故人のチワワちゃんを“太陽”のような存在とするのであれば、それと相対する“月”のような存在として考えてキャスティングされたのだとか。彼女ではチワワちゃんのことを想いながらも、彼女の過去とその他の登場人物人物をまとめ上げるという俯瞰的な視点のキャラであり、観客が最も自分を投影しやすい人物になっていると言っていいでしょう。
成田凌は本当に軽薄で不遜な若者にしか見えなくてイライラでき(褒めています)、寛一郎(佐藤浩市の息子さん)はグループの中ではマジメに見える好青年に扮し、玉城ティナは純粋な少女のイメージにぴったりで、村上虹郎は感情がすぐに顔に出るという素直でわかりやすいキャラになっています。村上虹郎が演じる若手カメラマンは原作から唯一ガラリと変わったキャラになっていますが、それは二宮健監督曰く「そういうキャラが1人いないと今の若い人は物語に入っていけないから」ということが理由だそう。確かに、彼の存在は作品そのものの親しみやすさに一役も二役も買っていました。
そして、チワワちゃん役の吉田志織はオーディションで選ばれた新人です。製作陣には「この子は誰?」という驚きを観客に与えたいという意図もあったようで、その「誰なのかわからない」「ぜんぜん知らない」ということが、「無名だけどひょんなことから注目されスターダムに上り詰める」という劇中の役ともシンクロしていました。もちろん彼女自身、エキセントリックだけど天真爛漫で愛おしいチワワちゃんのキャラに最大限にマッチしています(しかも、門脇麦といわゆる“百合”な関係になるシーンも用意されています)。
さらに、“大人”な役として、雑誌の女性記者を栗山千明、先輩カメラマンを浅野忠信が演じています。この浅野忠信の言動がとにかくムカつく上に、とある“世にもきもちわるいイメージ映像”も登場!「この浅野忠信大嫌い!超きもちわるい!」と思えたこともまたとない映画体験になりました(もちろん良い意味で)。
(C)2019「チワワちゃん」製作委員会
3:二宮健監督の作家性と、岡崎京子の原作マンガとの相性が抜群の理由とは?
監督である二宮健の作家性と、岡崎京子による原作マンガとの相性の良さも特筆に値します。結論から端的に述べるのであれば、二宮健の過去作のエッセンスが今回の『チワワちゃん』にもハッキリと表れており、岡崎京子作品にあった退廃的な思想や倦怠感、そして痛ましい青春群像劇という要素が、その作家性により“強化”されていていたのです。
例えば、二宮健が大阪芸術大学の卒業制作として手がけた『SLUM-POLIS』は、ミュージックバー(クラブ)のシーンが冒頭に据えられ、やはり“疾走”するシーンがあり、1人の女性に対して無償の愛情を注いでいることなど、『チワワちゃん』と一致する要素がたくさんありました。同作は低予算ながら『スワロウテイル』を彷彿とさせる退廃した世界観を作り上げており、その才気がほとばしっている作品なので、合わせて観てみるのも良いでしょう
『THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY リミット・オブ・スリーピング ビューティ』では、愛おしい人物(演じているのは高橋一生!)の死が前提にあり、過去を追想しながらアイデンティティを模索するという物語となっており、やはり『チワワちゃん』との共通点を見出すことができました。こちらは現実と妄想が交錯し、過去も未来をも入り乱れて展開するという、やや玄人向けの内容ではありますが、ハマる人にはたまらない内容になるでしょう。
その二宮健監督は、現在なんと若干27歳(『チワワちゃん』の制作時には26歳)という俊英です。彼が『チワワちゃん』を読んだのは大阪から上京してきた22歳の時で、映画監督として思うように事が進まず、マンガで描かれていていた“青春の爆発と終わり”や“何かを乗り越えようと足掻く若者たちの姿”が印象的で、自分のやりたいテーマはここに詰まっていると考えたことから、映画化を決意したのだとか。その監督の目標が、過去作にあったエッセンスを受け継ぎつつ見事に映画『チワワちゃん』で達成されているということにも、感動を覚えました。
さらに二宮健監督はディーン・フジオカのミュージックビデオなども手掛けており、音楽に合わせた映像を作り上げることにそもそも長けています。冒頭の疾走シーンの高揚感も、そのキャリアがあってこそでしょう。
なお、これまでの岡崎京子原作のマンガの映画化作品には、蜷川実花監督による『ヘルタースケルター』と、行定勲監督の『リバーズ・エッジ』がありました。前者は煌びやかなファッション界で生きる女性をビビッドな色調で描き、後者は2018年に発表された映画とは思えない90年代の雰囲気で充満していた、どちらも監督の資質に十分すぎるほどマッチしていた作品ではあったのですが、映画としてはやや冗長かつ散漫に感じてしまったところもありました。岡崎京子らしい倦怠感や哲学的な思考、“死と隣り合わせ”な危険な感覚、もっと言えば物語の軸がとらえにくい特殊な作劇も、良くも悪くもそのまま原作マンガから受け継がれており、観る人を選んでしまうところがあったことも否定できません。
しかし、この『チワワちゃん』は、前2作の岡崎京子原作の映画よりさらに監督の資質とマッチしているばかりか、格段にエンターテインメント性も増しており、岡崎京子という作家の“入門”としてもうってつけの親みやすさを備えているのです。その理由は、二宮健監督の過去作と岡崎京子作品のどちらにも“青春の爆発と終わり”や“何かを乗り越えようと足掻く若者たちの姿”が丹念に描かれており、同時に(詳しくは後述しますが)映画という媒体にマッチした原作からのアレンジもたくさん込められていたからでしょう。この監督と原作マンガとの巡り合わせは、もはや奇跡と呼んでも過言ではありません。
なお、映画『チワワちゃん』の劇中にはR15+指定納得の性描写があり、それだけは観る人を選んでしまうポイントになり得ます。しかし、岡崎京子作品で描かれる事が多い“誰かと繋がることができる手段としてのセックス”は、間違いなく作品に必要なこと。原作をリスペクトした誠実なアプローチと言えます。恐らくは『時計じかけのオレンジ』のオマージュと思しきセックスシーンもありますよ。
(C)2019「チワワちゃん」製作委員会
4:原作はわずか34ページの短編だった!
映画でアレンジされたポイントとは?
実は、岡崎京子による原作マンガは、わずか34ページの短編作品でした。つまり1本の長編映画作品にするには“どのように物語を膨らませるか”がキモなのですが、その点でも本作は申し分のない内容になっていました。具体的に映画で新たに描かれていることには、前述した“掴みが抜群の疾走シーン”もあるのです。
さらに、映画では「みんながチワワちゃんといたのは、どんな時間だったのか」ということを丹念に描き出していきます。二宮健監督によると、それは「チワワちゃんが全く登場しない方向も、誰に殺されたのかを探るミステリーにするという選択肢もあったけれど、チワワちゃんが死んだことで、彼らにどんな試練があったのかを明確にしたほうが、ラストのカタルシスがあると考え、正面からの青春映画にした」からなのだとか。
さらに、原作が発表されたのは1994年のことで、インターネットが普及する前の時代設定になっているのですが、映画では現代に変更されスマートフォンやインスタグラムも登場します。これもうまく作品に落とし込まれ、チワワちゃんが(SNSのおかげで)世間から注目される過程に説得力を持たせることにも成功していました。
同時に、むやみやたらに現代らしさを追求するのだけでなく、原作漫画にある“愛おしい誰かの死による喪失感と寂寥感”と“キラキラしているだけじゃない青春の痛みと影”という普遍性は全く失われてはいません。原作のエッセンスの抽出、および映画独自の解釈とアレンジ、それらのバランスが上手く取れていることも、本作が青春映画として成功した大きな理由でしょう。
(C)2019「チワワちゃん」製作委員会
5:ラストシーンも映画オリジナル!
主題歌にも聴き入って……!
映画のラストシーンも、原作とは違うオリジナルのものです。ここでまさに“青春の終わり”を観客に実感させてくれることが、さらに青春映画として一段上の作品に仕上がった理由だと断言します。監督が目指した“ラストのカタルシス”のために周到に物語が積み上げられていることも含めて、忘れがたい余韻を残してくれました。
そのラストをさらに特別な体験にしてくれるのが、気鋭のロックバンドHave a Nice Day!(ハバナイ)が手がけた主題歌「僕らの時代」です。
二宮健監督は以前にもHave a Nice Day!に短編の劇伴を依頼した事があり、今回も依頼したところ「ピッタリな曲がある」と逆オファーをされたのだとか。ポップである一方、少し切なさも感じさせる曲調と歌詞は、まさに“青春の爆発と終わり”を感じさせる、『チワワちゃん』のためにあるとも思えるものになっていました。
豪華若手俳優の魅力をもっと知りたい、テンポの良い音楽と編集でとにかく楽しみたい、昔に読んだ事がある岡崎京子作品の面白さを再発見したい、キラキラしているだけじゃない青春を体験したい……理由はなんでも構いません。唯一無二の映画館体験を、ぜひ劇場で堪能してください。
(文:ヒナタカ)
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