『がっこうぐらし!』が実写化大成功となった「5つ」の理由!
(C)2019「がっこうぐらし!」製作委員会
本日1月25日より、実写映画『がっこうぐらし!』が公開となります。
まず、結論を申し上げておきます。本作は映画としてまれに見る大傑作、実写映画化作品としても大成功例と断言できる出来栄えでした! 筆者はクライマックスでもうドッシャドッシャに泣き崩れ、『カメラを止めるな!』や『若おかみは小学生!』に続き「いいから本当に観て!超面白いから!」と心から願ったほど。アイドル映画という枠に囚われることもない普遍性、エンターテインメント性も存分で、若者から大人の映画ファンまでオススメできる間口の広さも備えていたのです。
その『がっこうぐらし!』の原作マンガは累計発行部数で250万部を超え、アニメ版もニコニコ生放送での配信数が200万回を超えるなど大人気を博していました。そのファンの絶対数が多いこと以上に、本作は後述する理由により他作品に比べても、実写映画化という企画そのものにとどまらず、プロモーションにも多くの拒否反応の声が寄せられていました。
それも致し方のないところもあるのですが、間違いなく言えるのは、映画本編に「実写映画化作品への先入観や偏見を覆すほどのパワーがある」ということ。原作マンガおよびアニメ版のファンにこそ、観てほしいと訴えたくなる要素もたくさんあったのです。事実、先行上映および試写会では『がっこうぐらし!』ファンの方からも賞賛・絶賛の声が相次いでいたのですから!そこまでではなくとも、高確率で「アリかナシかで言えばぜんぜんアリ」「思ったよりも全然いい」などと、よく出来ていると感心する内容になっているのではないでしょうか。
何より、筆者はこの実写映画版で「そうか、『がっこうぐらし!』という作品の素晴らしさはここにあったんだ!」と気づくことができました。それは、(詳しくはたっぷりと後述しますが)原作の正しい理解とリスペクト、スタッフとキャストの尽力、そして映画ならではの見事な再構成と新たな解釈などの工夫の賜物。実写映画化作品は数あれど、原作とアニメ版を読み返した(観返した)際に、作品そのものの素晴らしさ、内包されていた精神性とメッセージに気づき、映画のとあるシーンを反芻して、さらに涙を流したというのは初めての経験でした。
また、もしも『がっこうぐらし!』という作品を知らない、聞いたことがないという方は、“アイドルが主演の映画”以外の情報を入れずに映画館に足を運んでみることをオススメします。もちろん前情報を知っていても存分に楽しめるのですが、“何も知らない”状態で観られるというのは、本作においては非常に貴重なのです(その理由も後述します)。
そんなわけで、原作とアニメのファンの方はもちろん、“何も知らない”という方も、ここまでの情報だけで十分です。以下の劇場情報を確認して、映画館に足を運んでください!
<『がっこうぐらし!』上映劇場>
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=82aJRbFa
さてさて、ここからは実写映画版『がっこうぐらし!』の魅力を、大きなネタバレのない範囲で、たっぷりと紹介していきます(予告やポスターでわかることは書いています)。重ねて書きますが、ただただ「面白い映画を観たい!」という方は、予備知識がないままでもいいので観てください。もちろん、原作マンガおよびアニメ版を先に触れておくのもいいですよ!
1:実は“あのジャンル”の映画だった!
しかし、それだけが重要じゃない!
もうハッキリと書いてしまいますが、本作のジャンルは“ゾンビ映画”になります。この「かわいい女の子たちがキャッハウフフする楽しい日常ものかな?」と思っていたら「ゾンビものだったのかよ!」というのは原作マンガおよびアニメ版の第1話でのサプライズとして用意されていたもの。そのアニメ版の第1話が放送されると原作マンガの売上げが前週の10倍に伸びたそうで、とにかく話題を集めていたのです。(ちなみに『がっこうぐらし!』という作品群においてゾンビという呼称は避けられており、概ねで“かれら”と呼ばれています)
学校内(世界)にゾンビが発生したが、主人公(の1人)は「平和な日常が続いているという妄想をする」ようになり、“学園生活部”という部活の中で幸せのままでいる。他の部員と顧問の先生は、その状況に陥ってしまった主人公を見守るような立場となり、ゾンビの恐怖に怯えながらも懸命に毎日をサバイバルしている……この基本設定が、『がっこうぐらし!』という作品の一番の特徴と言っていいでしょう。
重要なのは、原作とアニメ版同様に、この実写映画版『がっこうぐらし!』が、ジャンルとしてはゾンビものと呼べたとしても、そのホラー描写だけに一辺倒にはなっていないということです。「実はゾンビものでした!」というのは確かに“掴み”としても設定上も重要ではあるのですが、実際はそのサプライズの以外のこと、“日常もの”としての側面も多く描かれており、それこそがクライマックスの感動につながっていく作品でもあるのです。
同時に、かなりの絶望感のある“あのシーン”など、ゾンビものとしてのツボを押さえた展開もたっぷりと用意されています。それでいて、原作マンガやアニメ版のファンが愛してやまない“日常もの”としての描写も外しておらず、ただご飯を食べたりすることなどへの喜び、「愛おしい誰かのために行動をする」という尊さはそのまま……この両者のバランスが上手いことも、本作が実写映画化作品として成功した理由の1つでしょう。
何より、「『がっこうぐらし!』という作品の魅力はゾンビものということだけじゃない」と考えている原作およびアニメ版のファンは、きっと多いはずです(その“だけじゃない”ポイントはさらに後述します)。まず、その期待だけは裏切られないと、保証します!
(C)2019「がっこうぐらし!」製作委員会
2:“2パターンの校舎”を作り上げた美術のこだわりも半端じゃない!
十分に信じられる世界が構築されていた!
実写映画化の成功において大切なことには、「その作品内世界を信じられるかどうか」ということもあります。それは美術がチープであったり、矛盾する設定が見つかってしまったり、はたまた“コスプレっぽい”見た目で簡単に崩れてしまうもの。それだけで実写映画化作品の評価が決まってしまうと言っても過言ではないのですが……結論から言えば、この実写映画版『がっこうぐらし!』はその点も抜かりはありませんでした。
まず、柴田一成監督は「ピンクのかつらをかぶるようなところではないアプローチからやりました」と、現実では成立しにくい見た目、もっと言えば“コスプレっぽさ”を排除するところから『がっこうぐらし!』の実写映画化の企画に着手しています。無理に原作を再現せず、“現実としてあり得る”ルックを重視するということは正しいアプローチでしょう。
そして、『がっこうぐらし!』という作品の基本設定は、前述したようにゾンビが発生し荒廃しつつある学校で、主人公が「本当は平和なままの学校を妄想している」ということです。つまりは、映像として“きれいなままの校舎(妄想)”と“窓ガラスが割れ荒涼とした校舎(現実)”の2パターンが必要とされていたのです。そのための美術が作り込まれていることはもちろんのこと、2パターンの校舎で効率よく撮影を進めるためのスケジュールも綿密に組まれていたのだとか。
その美術のこだわりは言うまでもなく小道具などの細部、主人公たち4人の“生活感”を再現した学園生活部の部室、学校の校章、自転車の防犯登録のシールなどにも及んでいました。果ては、屋上の菜園は撮影日に合わせ育つように計算しながら、美術部が実際にキュウリやトマトを植えて育てていったのだとか! そのおかげで、映画のどこを見てもほとんど違和感がない、まさに「作品内世界を信じられる」映像になっているのです。
余談ではありますが……Amazonプライムで配信中のスピンオフドラマ『がっこう×××』において、「実写なのにキャベツが作画崩壊している(スーパーで売られているそのままのキャベツが土の上に置かれている)」ことが話題になってしまいました。こちらは若手女優陣の熱演、時系列を入れ替えた構成が練られているなど、全体的にはなかなかよい出来であったのに……(このドラマについても少し後述します)そんな誰でも気になってしまうツッコミどころを盛大に残してしまったのは勿体なさすぎです! そして、映画本編では前述した通り菜園を含めて美術がこだわり抜かれて作られており、キャベツも作画崩壊していないので安心してご覧ください!
さらに余談ですが、柴田一成監督は過去に『リアル鬼ごっこ』(2008年)でも(小説の)実写映画化作品を手がけており、「西暦3000年を舞台にするのはとにかく無理なので、パラレルワールドという設定にして現在の日本で撮影できるようにした」などとインタビューで語っていました。こちらは一定のエンターテインメント性があり、ショックシーンもしっかり作られていたものの、次第にグダグダになってしまう印象で映画としては決して褒められる出来ではないかな……(原作がそもそも……)と思ってしまっていたのですが、やはり実写作品にして違和感がないようなアプローチをしていることは今回の『がっこうぐらし!』と共通しています。これらの監督およびスタッフの実写映画化への姿勢こそ、賞賛されてしかるべきでしょう。
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3:主演4人の演技が最後には“神がかり”に!
アイドル映画としての魅力もそこにある!
本作は、アイドルグループ“ラストアイドル”の中からキャスティングがされています。ラストアイドルとは番組のタイトルでもあり、その内容は「過酷な特訓の中での壮絶なサバイバルと人間模様をあますところなく追いかけてく」というもの。山口敏功プロデューサーよると、このキャスティングは「荒廃した世界で生き残っている4人の登場人物と、番組内でサバイバルして生き残ってきたアイドルとの親和性が高い」ということが大きな理由であったのだそうです。
加えて、監督とプロデューサー陣はラストアイドル全員のオーディションを行い、原作のキャラクターに近いか、または演技や動きはどうかという視点などで、もっともイメージにマッチする4人を選出したそうです。例えば、ゆき役の長月翠は「明るさと弱さを兼ね備えており、そして無邪気な笑顔が印象的だから」、などと。アイドルが主演ということそのものにネガティブな先入観を持ってしまう方もいらっしゃるでしょうが、「安易なキャスティングが行われているわけではない」ということだけは明言しておきます。
では、実際の映画本編の彼女たちの演技力はどうであったかと言えば……正直に申し上げると、映画の序盤は「大丈夫かな……?」と感じてしまうところがあった、というのは否定できません。映画初主演というプレッシャーと緊張がどうしても伝ってきてしまう、演技そのものに不安定なところも垣間見えてしまったのです。
しかしながら、映画が進むにつれて4人の演技力は上達……なんてものじゃありません。“鬼気迫る”と形容してもいいほど、終盤では絶望に沈んだ表情にも説得力が存分という、それぞれが本職の女優顔負けの名演を見せて行くのです!その演技の見事さは柴田一成監督も「最後は神がかってます。素晴らしいとしか言いようがないです」と絶賛するほどでした。
“映画の序盤では演技が不安定に見える”というのは普通に考えればネガティブな要素にしかなりませんが、本作においてはその限りではありません。劇中の登場人物の成長に合わせて、アイドルどころか女優としての彼女たちもさらにたくましく成長、いや進化をしていくのですから。これは、ほぼほぼ映画の物語の時系列そのままの“順撮り”で制作したおかげでもあります。
現実の役者の性格や生き様が出来上がった作品にも反映されている、ということは映画ではままありますが、本作では“アイドル映画”という特徴を踏まえつつ、その虚実が入り混じったかのような“生身の人間が演じる実写作品ならではの魅力”にも満ちているのです。
映画を観れば、誰もが彼女たち(が演じる映画の中の登場人物)を心から応援でき、好きにならざるを得ないでしょう。ラストアイドルというグループのことを全く知らずに観た筆者でもそう思ったのですから、彼女たちの元々のファンという方であれば、その感動はさらに倍増するはず! ラストアイドルを応援したいという方はもちろん、アイドルという文化そのものが好きだという方も、是が非でも観なければいけないと断言します。
(C)2019「がっこうぐらし!」製作委員会
4:賞賛するしかない脚本の完成度!
原作やアニメ版を知ってこそのサプライズもあった!
ここまで書いてきても、まだ実写映画版『がっこうぐらし!』の最大の魅力を申し上げていませんでした。それは、柴田一成監督が兼任で手がけていた脚本の完成度です。結論から言えば、「伏線を回収していく物語そのものの面白さがある」「登場人物たちの関係性がとても丁寧に描かれている」「原作マンガを2時間弱の映画として見事に再構成している」「映画ならではの新たな解釈が原作とアニメ版のファンにも感涙ものだった」など、ほぼほぼ賞賛しかないものだったのですから!
具体的に脚本のどういった点が優れているのか……ということはネタバレになるので書くことはできないのですが、映画オリジナルのオープニングシークエンスがとにかく優れていることはお伝えしておきます。これは、原作とアニメ版を知っている方、はたまたは予告やポスターのイメージだけで観に来ている観客にとって「えっ?」と驚くサプライズであり、しかも原作およびアニメ版にあったキャラ設定をしっかりと踏まえたものでもあり、さらに後々の展開にも見事に呼応するようになっているのです。
原作マンガまたはアニメ版を知っていれば、映画が進むにつれて構成が大胆に変更されていることに気づくでしょう。それは映画という媒体に適した物語のダイナミズムを作り出すことはもちろん、とある“事実”の提示をさらにドラマティックに仕上げることに成功しています。それは、『がっこうぐらし!』という作品を全く知らないという方でものみ込みやすく、またストレートに感動できるものになっていました。
そして、これは本当にネタバレになるので書けないのですが……前述した“主人公が妄想の世界で生きている”という基本設定により訴えられているメッセージ(詳しくは後述します)が、とある描写の追加により“強化”されていたのです。この映画オリジナルの描写は、見事な伏線回収も相まって心の中で拍手喝采、原作とアニメ版のファンを怒らせることもないと断言できる、「本当にこの物語を作ってくれてありがとう!」と感謝を告げたくなるほどのものだったのです。
さらに、原作とアニメ版からあった名シーンの数々も、生身の人間が演じることによって、さらに“強化”されていると感じました。これまた詳しくは書けませんが、“あの時のセリフ”や“あの時のリアクション”などが、ただの再現にとどまらず、「こういうことだったのか!」という新たな気づきをも呼び起こしてくれたのです。実写映画化をした意義の1つも、そこにあったと断言しましょう!
これらの感動は、前述した通りの信じられる世界観の構築、主演4人の熱演もあってこそ。伏線が練りに練られ構築されており、原作とアニメ版にも存分にリスペクトを捧げて、あっと驚くサプライズも用意され、『がっこうぐらし!』という作品全体にあった精神性を汲みとった映画独自の新たな感動もある……これほどの脚本を作り上げるのに、どれほどの時間と労力を要したのでしょうか!
なお、柴田一成監督は、「原作ファンが観て面白いものになっているか」や「原作もラストアイドルも知らない人が観ても面白いものかどうか」を意識して、脚本執筆と撮影を進めていたそうです。その目標は不足なく達成されていたと、映画本編を観た方であれば感じられるのではないでしょうか。『がっこうぐらし!』のファンの方と、そうでない方それぞれに、違った感動がある作品であることも間違いありません。
(C)2019「がっこうぐらし!」製作委員会
5:「なぜ人は想像をするのか」という問いかけ、
そして学生生活を過ごしていた全ての人に通ずるメッセージがあった!
『がっこうぐらし!』という作品の魅力はゾンビものということだけじゃない」と前述しました。その“だけじゃない”ポイントの1つが、重ねて書きますが「主人公が平和であり続ける妄想(想像)をしている」ということ、もっと言えば「なぜ人は想像をするのか」という普遍的な問いが提示されていることです。それこそが“ゾンビもの”や“日常もの”という表面上のジャンル以上に『がっこうぐらし!』という作品において重要なことであったと、今回の実写映画版で気づくことができたのです。
しかも、それは“ゾンビが発生した”という劇中の特殊な環境だけに当てはまるものではなく、普遍的にほとんどの方が人生の一部を捧げていた「学校という環境(または社会そのもの)で生きる」ということにも繋がっているのです。どういうことかと言えば……原作者である海法紀光氏が、第5巻のあとがきでこう述べていたことに明確に表れています。
学生時代の楽しい思い出はいっぱいあるのですが、しかし当時の気持ちを思い出してみると、日々、生き残るために戦っていた気がします。
自分自身、自分と友達、自分と社会の中の、いろいろな矛盾にぶつかって、怒って、落ち込んで、絶望して。
それを変える力も権限もなくて、壁に頭をぶつける毎日だったと思うのです。
私が特別ハードな学生生活を送っていたというわけではなく、あの頃って、割と命がけだという。
当時は気づきませんでしたが、いろいろな人に助けて生き延びてきたわけです。
原作者が「学生生活は命がけだった」「いろいろな人に助けて生き延びてきた」と、しかも物語の大きな転換点となる巻の最後に掲げているのは、『がっこうぐらし!』という作品内でゾンビが溢れている世界(高校)が、普遍的な現実の学校生活そのものメタファーである、ということに他ならないでしょう。
そして、この実写映画版『がっこうぐらし!』では、 “主人公が妄想の世界で生きている”という基本設定が、とある描写(本当にネタバレになるので書けない!)の追加により“強化”されている、つまりは「なぜ人は想像をするのか」という普遍的な問いかけがさらに顕在化しており、その答えとしての“想像の力”の強さと、“想像という行為そのもの”の必要性をも見事に提示することに成功していたのです。
この“メッセージがさらに普遍的になり説得力も増した”ことこそ、実写映画版『がっこうぐらし!』が大傑作になった、実写映画化作品として大いに成功した理由です。それは同時に、学生生活を過ごしていたことのある(または現在進行形で学生生活を送っている)全ての人に通ずることでもある……原作やアニメ版で恥ずかしながら十分に気づいていなかったその素晴らしさを、今回の映画で初めて知ることができたということ(そのおかげもあってクライマックスでは大号泣!)にも、感謝を告げたくなりました。
ちなみに、本作の試写会でのアンケートはほぼほぼ肯定的な意見が寄せられていたそうで、その中にはで原作ファンらしき17才の高校生の「『がっこうぐらし!』とはなにか、が詰まった作品」という見事な表現もあったのだとか。 実写映画版『がっこうぐらし!』における賞賛の言葉として、これ以上のものはないかもしれません。
(C)2019「がっこうぐらし!」製作委員会
おまけその1:実写映画化に反発や拒否反応の声があった理由とは?
さて、『がっこうぐらし!』という作品には、実写映画化という企画そのものにとどまらず、プロモーションにも拒否反応の声が多く寄せられた……と前述しましたが、それには明確な理由があります。
それは、ひとえに原作(およびアニメ)では作画担当の千葉サドルさんによる可愛らしい絵も相まった“萌え”の要素が強く、誰もが「実写にすると違和感がある」と想像しうるものであったからです。それは見た目だけにとどまらず、ちょっと“百合”っぽくもあるキャラの関係性や、高校3年生(1人は後輩の2年生)という年齢にしては精神的にも幼く思えてしまうということにもあります。映画を観る前は、筆者も「これを実写にするのはキツいのでは……」と正直に思ってしまっていました。
さらには、本作のプロモーション(予告およびポスター)では、前述した“第1話の衝撃”が明かされてしまっている、ゾンビものということが明確にわかってしまうものでした。それらは“作品のトーンのギャップ”を生かした面白い内容ではある一方、「ネタバレをするな!」「ただのゾンビ映画になっているのでは?」という批判ももっともなこと、そのために“何も知らない”という貴重な状態で『がっこうぐらし!』という作品に触れることがさらに難しくなってしまった、ということも事実です。
しかしながら、ここまで書いてきた通り、映画本編は “日常もの”の要素も多く描かれていることはもちろん、『がっこうぐらし!』という作品の精神性や面白さやメッセージを全く損なっていない、むしろ様々な要素が強化されている作品なのです。
コスプレっぽい見た目にすることなく、“幼児退行”している主人公の行動や言動も現実の女子高生として納得できるものになっており、主人公たち4人とおのののか演じる顧問の先生にもしっかりとした“実在感”があり、前述した“ゾンビものということだけじゃない”魅力もさらに際立っている……とにかく実写化作品のための“チューンング”が入念に行われているのですから。しかも、サプライズの1つであるゾンビものとしての要素はプロモーションで提示されていても、この記事でも伏せている一番大切な“あること”、さらなるサプライズは予告でもポスターでも全くネタバレしていなかったのです。
そして、プロモーションでショックシーンをあえて見せる、ゾンビものであることを明かしてしまうことは、『がっこうぐらし!』という作品を知らない方にも届けるため(宣伝の方向性として柴田監督もそう明言しています)、何としても知ってもらうための苦渋の選択であったと、筆者個人としては納得したいのです。「原作とアニメ版のファンの気持ちもとてもよくわかるけど、これも致し方がない」……と。映画という娯楽は、とにかく重い腰を上げて、劇場にまで足を運んでもらわないと、どうにもならないのですから。
何より、多くの場合においてポスターや予告編だけでは、映画本編の内容はわからないものです。ここまで書いてきたように、本編では原作へのリスペクトが存分にある素晴らしい作品であったということを、ただ、信じてほしいのです。原作やアニメ版のファンの方へ……どうか、お願いします。
なお、以下のプロモーションビデオは、『がっこうぐらし!』の実写映画化への反発の声が“当然ある”ということを前提にしており、柴田一成監督および山口敏功プロデューサーが作品に真摯に向き合っていること、そしてアニメ版の監督である安藤正臣氏が企画に「本気か?」と思ったものの実写映画化の意義を考え直したコメントなどを聞くことができます。もう一度書きますが、お願いです……原作やアニメ版のファンの方へ、まずはこのPVだけでも観てみてください……実写映画化に否定的であったとしても、考えが変わるかもしれませんよ。
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おまけその2:完璧な映画ではないけれど……
ここまで実写映画版『がっこうぐらし!』を大絶賛しましたが、もちろん完璧な映画というわけではありません。もっとも気になったのは「ゾンビものとしてのツボは押さえられているものの、作りにはちょっと“ゆるい”ところがある」ということでした。
そもそもの「ゾンビが溢れかえる学校内で4人の生徒と1人の先生だけが生き残っている」という設定も実写ではより信じ難くもありますし、その学校内でおおよそ問題なく生活できていることに無理がある、女子高生が倒せる程度の強さのゾンビであれば世界はここまで荒廃しないのでは……などと思ってしまうと、前述したように可能な限り作り込まれた世界観も、信じられなくなってしまうかもしれません。(アニメ版では「私たちのために都合よく学校内の設備が整っているように感じる」ということが自己批判的に言及されていたこともありました)
また、多数のゾンビと戦う内容であるのにも関わらず、劇中では血が吹き出ることも、直接的な残酷描写もほとんどありません。ゾンビものとしての過激さやディテールにこだわる方は、大いに気になってしまうポイントでしょう。終盤のとある展開もゾンビものとしてはやや突飛で説得力不足に感じてしまった、とあるアイテムの使い方も流石に無理があるのでは、と思ったということも事実です。
さらに、アニメ版のほぼ全編で大活躍していた可愛らしい犬の“太郎丸”(原作では17話に登場)や、ショッピングモールという舞台など、オミットされた要素も決して少なくはありません。これらは、原作およびアニメ版のファンから批判されるポイントになり得るでしょう。
しかしながら、本編は実写映画として実現可能な予算と舞台で、“最大公約”の形で原作の要素を拾い上げただけでなく、(しつこく繰り返しますが)原作とアニメ版にあった精神性やメッセージはさらに強化されている、誠実なアプローチがされていた作品なのです。
ゾンビものとしてゆるいところがあり、残酷描写がほぼほぼないということも、全年齢が観られる内容になったということだけでなく、『がっこうぐらし!』という作品にある“可愛らしさ”や“日常の大切さ”という要素のほうが目立つようになった、『がっこうぐらし!』という作品には「このくらいのほうが合ってる」とも感じたため、(あくまで個人的にですが)さほどデメリットであるとは感じませんでした。舞台の説得力よりも、“寓話(比喩的な表現でメッセージを伝える物語)”としての側面を重視するという方にとっても、この点は好意的に受け止められるかもしれません。
おまけその3:合わせて観て欲しい“想像の力”を訴えた映画はこれだ!
学校を舞台にしたゾンビ映画と聞いて、『ゾンビスクール!』という作品を思い浮かべる映画ファンもいるでしょう。
こちらは「普段から頭を悩ませている子供たちがゾンビになったから遠慮なくぶん殴ったりできる」というストレスが溜まっている教師の皆さん精神安定剤としてはうってつけの酷い(褒め言葉)内容で、よい意味でコテコテのB級ゾンビ映画としての魅力を突き詰めている、設定以外は『がっこうぐらし!』とは似ても似つかない、これはこれで好き者にオススメできる作品でした
実際に『がっこうぐらし!』と似ているのは、前述したように“想像の力”の強さと、“想像という行為そのもの”の必要性を提示している映画でしょう。以下では、それに当てはまる3作品を紹介します。
1.『エンジェル ウォーズ』
精神病院に入院させられた少女が、仲間と共にファンタジー世界に飛び込み、日本刀などを持って大バトルを繰り広げるという凄まじい内容で、『がっこうぐらし!』とは「過酷な現実から逃れるための手段としての妄想をしている」ことが共通しています。賛否が極端に分かれるところはありますが、「監督の好きなものを全部詰め込めました!」な世界観は、ハマる人にはたまらないでしょう。この妄想および現実それぞれの描写は、作品のトーンは全く異なりますが『パンズ・ラビリンス』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』にも通じています。
2.『桐島、部活やめるってよ』
日本映画の新たな傑作であると、口コミで大いに話題となった作品です。全編のほとんどで高校の学生生活を描いていること、その場所で生きることが“戦い”であると揶揄されていること、そして “想像の力”による大感動のクライマックスが待ち受けていることなどが『がっこうぐらし!』と共通していました。ゾンビ映画(を映画部が作っている)の要素があるということも同じですね。
3.『ちえりとチェリー』
(C)「ちえりとチェリー」製作委員会
こちらは2月15日よりイオンシネマ系列で公開予定のストップモーションアニメ映画で、まさに“(子供ならではの)想像の力”こそをメインに据えた物語になっていました。その面白さと精神性は、近年で大評判を呼んだ『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』および『若おかみは小学生!』に通じているところも多数! 高森奈津美、星野源、尾野真千子、栗田貫一、田中敦子などの豪華な声の出演も最高のクオリティで、子供から大人までオススメできる作品としても一級品でした。2週間限定公開ですので、見逃すことがないよう、ぜひチェックしてみてください。
おまけその4:スピンオフドラマの魅力とは?
“めぐねえ”のセリフに注目!
前にも触れましたが、実写映画版『がっこうぐらし』には、オリジナルストーリーの前日譚となるスピンオフドラマ『がっこう×××』がAmazonプライムで配信されています。重要なのは、おのののか演じる“学園生活部”の顧問である“めぐねえ”が、このドラマにも中心人物として登場していることでしょう。
詳しくは観ていただきたいので詳細は書きませんが、このスピンオフドラマではめぐねえの「“保険の先生”としてどのように生徒と接していたかった」のか、また「学校とはどういうものと考えていたのか」といったことが明らかになり、それは実写映画版での行動やセリフと呼応するものになっているのです。(なお、めぐねえは原作マンガおよびアニメ版では現代国文の先生でした。実写映画およびドラマで保険の先生という設定に変更されていることも、重要な意味を持つようになります)
これは原作およびアニメ版のめぐねえというキャラが好きであったという方も、納得できるものなのではないでしょうか。“ドキュメンタリー映画を制作している”という設定も必然性があり、映画本編に増して『桐島、部活やめるってよ』との共通点も見出すことができました。
『がっこう×××』はテンポがややゆったりとしていて間延びしているところがあるのも否定はできませんが、桜井日奈子、武田玲奈、上原実矩、森迫永依、優希美青という若手女優たちの熱演、ゾンビものとしての要素もなかなかしっかりしており、時系列を入れ替えた構成が考え抜かれていることもあって、この手のスピンオフドラマとしては出来がよいほう、少なくとも前述した「キャベツが作画崩壊」だけで敬遠してしまうのは流石に勿体ない内容です(キャベツはめちゃくちゃ気になりますが……)。もちろん映画はこのドラマ版を観ていなくても問題なく楽しめますが、映画の後でも前でも良いので気軽に再生してみることをオススメします。
おまけその5:柴田一成監督の“お願い”を聞いてみて!
柴田一成監督は、本作の舞台挨拶の際に、“お願い”をしています。それは、「ぜひ原作やアニメ版をご覧になってください。今回の作品もあわせて観ていただければより楽しめると思います」ということ。この記事で何度も書いたように、それは本当でした。原作とアニメ版を観返した(読み返した)時に、映画版に限らず作品そのものの素晴らしさ、内包されていた精神性とメッセージに気づき、さらに涙を流したのですから!
そして、原作マンガも周到に計算されて物語が作られていたこと、アニメ版も一話30分というフォーマットにマッチするように上手く再構成されていたことなど、それぞれの作品の完成度の高さを再認識できました。(特に、原作マンガの千葉サドル先生による絶望感溢れる描写はすごい!)
この言葉で締めくくりましょう!「『がっこうぐらし!』は原作、アニメ版、実写映画版、それぞれが最高の作品であった」と、「『がっこうぐらし!』という作品を知ることができて、ただただ幸せだった」と! もうこれ以上言うことはありません。実写映画版『がっこうぐらし!』を全ての方にオススメします!
(文:ヒナタカ)
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