ビートルズをめぐる映画6選+α!
©Universal Pictures
2019年10月11日より公開となるダニー・ボイル監督の最新作『イエスタデイ』は、交通事故に遭った売れないシンガーソングライターが昏睡状態から目覚めると、何とそこはビートルズが存在しない世界であった!? という奇想天外な設定の中からビートルズ愛を綴った作品です。
(やがて主人公が何気なく歌ったビートルズの名曲《イエスタデイ》が、彼の人生のみならず世界までも大きく変えていく!?)
ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターの4人で結成されたイギリス・リヴァプール出身のロックバンド・ビートルズ“THE BEATLES”。
その歴史はジョン・レノンが1957年に結成したバンド“クオリーメン”を60年に現在のものに改名。62年にレコードデビューして世界的人気を得るも、70年に事実上の解散(法的には71年)。
結成から半世紀以上の時を経て今なお瑞々しい感動を与え続けるビートルズ。世界ロック史上ナンバー1として、もはや彼らの存在も楽曲も永遠不滅のものといって過言ではないでしょう。
では今回、映画はいかにしてビートルズの魅力を伝えてきたか? いくつかの作品をご紹介していきましょう!
『ヤァ!ヤァ!ヤァ!』か?
『ハード・デイズ・ナイト』か?
ビートルズが初めて映画に主演した作品が1964年度の『ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!』です。
もっとも本作は2001年に『ハード・デイズ・ナイト』と原題に即した邦題に替えられてリバイバルされ、現在そのタイトルでBlu-ray&DVD化されているので、オールド・ファンには紛らわしいものがあります。
売れっ子になったビートルズの忙しい日常を自身の主演でコミカルなドキュメンタリー・タッチで描いた、いわばセルフ・パロディともいえるこの作品、内容的にはもちろんリバイバル邦題のほうが似合っているのかもしれませんが、一方で初公開時の邦題からは当時ビートルズの人気が日本でも上り調子であり、一方ではアイドル的な存在として受け止められていたことも理解できるのではないでしょうか?
本作によってブレイクしたのがリチャード・レスター監督。それまでテレビや短編映画を撮っていた彼は、イギリス映画ならではの風刺を利かせたタッチが認められ、続いて2本目のビートルズ映画『ヘルプ!4人はアイドル』(65)を発表。この2作は現在“MTVの先駆け”として評価されてもいます。
また『ナック』(65)でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したリチャード・レスターは、その後も『三銃士』二部作(73)や『ジャガーノート』(74)『ロビンとマリアン』(76)『新・明日に向って撃て!』(79)『スーパーマン』シリーズ(80年のⅡと83年のⅢを担当)などで映画ファンの熱い支持を得続けました。
ジョン・レノン単独主演映画『ジョン・レノンの 僕の戦争』(67)を監督したのも彼です。
アニメ版ビートルズ映画
『イエロー・サブマリン』
ビートルズの人気絶頂期に、彼らをアニメーション映画化した異色作が『イエロー・サブマリン』(69)です。
その内容は、海の底にあるペパー・ランドが音楽嫌いの青鬼に侵略され、平和と音楽を取り戻そうとする楽団指揮者フレッドが潜水艦イエロー・サブマリンに乗ってリヴァプールまで赴き、ビートルズを連れてペパー・ランドへ戻り、青鬼らと対決するというもの。
実は当時、全米でカートゥーン・タイプのTVアニメ「アニメ・ザ・ビートルズ」(65~69)がオンエアされており、その実績もあっての企画で、ビートルズの面々は当初乗り気ではなかったそうですが、制作途中の試写を見て意識を改めたとのこと。
実際に完成したものはサイケかつシュールなポップ・アートの映像世界と《イエロー・サブマリン》などビートルズの楽曲を見事に融合させながら、ビートルズが訴える“愛こそはすべて”を具現化したものとしてビートルズ&映画ファンの双方から絶賛され、今に至っています。
なお、ビートルズの面々をユニークに表現したキャラクター・デザインは、67年の《ストロベリー・フィールズ・フォーエバー》PV内に登場するアニメのデザインをモチーフにしたもの(ただし声優は彼らではありません)。
当時の社会現象を伝える
ビートルズ・ファン映画たち
ビートルズ解散後もファンの熱気は収まることはなく、そんな彼ら彼女らの想いを具現化させた映画も多数製作されています。
スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮したロバート・ゼメキス監督の記念すべき劇映画デビュー作『抱きしめたい』(78)は、1964年にビートルズが初のアメリカ公演を行った際、彼らが出演するTV「エド・サリバン・ショー」の観覧招待に当選し、ニュージャージー州からNYへ赴く熱烈ファン少女たちの珍道中を描いたもの。
全編にビートルズ・ナンバーが散りばめられているのもお楽しみですが、そこに後の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)などオールディズ・ソングの劇中使用に長けたゼメキス監督のセンスの萌芽や、またエド・サリバン・ショーのシーンでは代役のカットと当時のフィルムを合成させているあたりも『フォレスト・ガンプ 一期一会』(94)の先駆け的演出を披露していることに唸らされます。
今年公開の『イエスタデイ』よりも先に同じ邦題がつけられたノルウェー映画『イエスタデイ』(14)も、1960年代半ばのオスロを舞台にビートルズ好きが高じてバンド活動を始めた4人の高校生たちの愛と青春の日々が甘酸っぱくも微笑ましく描かれています。
正直、現在公開中の『イエスタデイ』に比べて一般的知名度の点では劣るかもしれませんが(まあ、そもそもお互い全くの別物ではありますけど、配給会社は邦題のつけ方にもう少し気を配ってもよさそうな……)、こちらもなかなか上質の青春恋愛映画としてオススメです。
2013年度のダビド・トルエバ監督によるスペイン映画『「僕の戦争」を探して』もなかなかユニークな設定です。
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モチーフとなるのはジョン・レノンがビートルズ在籍中に主演したリチャード・レスター監督の戦争風刺映画『僕の戦争』(67)。
本作そのものの舞台は1966年のスペインで、今まさにジョン・レノンが『僕の戦争』の撮影でアルメリアを訪れていることを知った熱烈なビートルズ・ファンの英語教師アントニオ(ハビエル・カマラ)がジョン会いたさの一心で撮影現場まで車を走らせていく中、若い女性と家出少年をヒッチハイクで拾ったことから繰り広げられるロード・ムービーで、何と実話を基にした映画化とのことです。
本作の原題はビートルズの《ストロベリー・フィールズ・フォーエヴバー》の歌詞“Living is easy with eyes closed”をスペイン語読みしたものですが、この歌自体がジョン・レノンが『僕の戦争』撮影中に作詞したものであり、彼が育った地域の近くにあった戦争孤児院ストロベリー・フィールドをモチーフにしたもの。
一方で当時のスペインはフランコ独裁政権下であり、本作はそういった状況を通しての平和への訴求をジョン・レノンに象徴させながら描いたとも捉えられるのです。
スペイン本国では第28回ゴヤ賞で作品・監督・脚本・作曲(パット・メセニー)・主演男優・新人女優(ナタリア・デ・モリーナ)の6部門を受賞し、ファン気質を基軸にした人生讃歌としてビートルズ・ファンのみならず映画そのものとしての評価も高い名作です。
コレクター必携のアイテム
『悪霊島』(81)
ビートルズの楽曲はさまざまな映画で印象的に用いられていますが、篠田正浩監督による日本映画『悪霊島』(81)における《ゲットバック》《レット・イット・ビー》の使用は世界中のビートルズ・ファン垂涎のコレクターズ・アイテムと化しています。
それにしても横溝正史・原作の名探偵・金田一耕助が活躍する猟奇ミステリとビートルズの融合とは……?
と当時、企画を聞いた映画ファンもビートルズ・ファンも首を傾げたものでしたが、実は本作が公開された前年の1980年12月8日にジョン・レノンが暗殺されており、それを受けて本作は1980年当時から1960年代末に起きた猟奇殺人事件を振り返りつつ、いくら文明が発達しようとも変わることのない日本独自の土着性とのギャップや、ヴェトナム戦争に対する反戦運動など平和と自由の意識に燃えていた1960年代を、劇中に登場するヒッピーの若者が愛聴していたビートルズに象徴させながら訴えようとした野心作でもあったのです。
(ちなみに《レット・イット・ビー》は70年3月に発表されたビートルズ最後のシングル曲で、この曲をチョイスしたこともひとつの時代の終焉を示唆しているかのようです)
もっともこの作品、劇場公開後の最初のビデオ・テープによるソフト化ではオリジナル版を発売していましたが、権利関係でDVD化以降は《レット・イット・ビー》も《ゲット・バック》もビートルズではなく他者のボーカルに差し替えられたカヴァー版ソフトのみがリリースされており、今ではTV放送もそのヴァージョンが放映されています(劇場上映ならオリジナル版の鑑賞が可能とのこと)。
そのためオリジナル版ビデオソフトは世界中のビートルズ・コレクターのマスト・アイテムと化し、オークションなどに出品されるや値が吊り上がりまくるといった状況(もちろん映画マニアにとってもお宝です)。
公開当時に発売された2曲を入れたシングル・レコードも、映画ポスターをあしらった異色のレア・ジャケットとしてマニアの争奪戦が繰り広げられました。
幻のメンバーを描いた
『バックビート』(93)
ビートルズも結成から長い年月が過ぎると、さまざまな秘話やエピソードが露になっていきます。
その中でイアン・ソフトリー監督の映画『バックビート』(93)はビートルズ結成初期の1960年、おなじみの4人に加えてもうひとり、“幻のメンバー”とも称されるスチュことスチュアート・サトクリフ(スティーヴン・ドーフ)がいた事実を描いた音楽青春映画です。
親友のジョン・レノン(イアン・ハート)に誘われてビートルズにベーシストとして加入したサトクリフは、まもなくして写真家アストリッド・キルヒヘル(シェリル・リー)と運命の出会いを果たすとともに画家への夢を捨てきれず、61年にビートルズを脱退。以後は画家の道を目指すも62年に脳出血で急死。
映画はスチュとジョン、アストリッドの関係性に焦点を絞りつつ、ビートルズがいかにして現在の形に完成されていったのかをさまざまなエピソードを盛り込みながら描いていきます。
(ちなみに当時はもうひとり、ピート・ベストもドラマーとしてメジャー・デビュー直前の62年までビートルズに在籍しており、彼に代わって加入したのがリンゴ・スターです)
劇中では当時の彼らの楽曲も巧みにカヴァーされており、ファンからも多大なる評価を得ました。
今なお作られ続ける
ドキュメンタリー映画
ビートルズ現役時代の活動を記録したリアルタイムのドキュメンタリー映画としては1969年の『レット・イット・ビー』がありますが、これはビデオ&レーザーディスク化されるもその後販売中止となり、DVD以降のソフト化は未だになされていません。
そして解散後は様々な形で当時を振り返るドキュメンタリー映画が作られてきています。
最近の作品をピックアップしますと、『ビートルズと私』(11)は、ビートルズの大ファンであるシンガーソングライター、セス・スワースキーが当時の彼らと交流があった人々や、影響を受けた著名人など世界各地の50名を超える人々にインタビューし、ビートルズの面々の素顔はもとより、彼らを愛する側の熱い想いまでも引き出していくものです。
『愛しのフリーダ』(13)は1960年代初頭にまだリヴァプールのクラブで演奏していたビートルズのファンとなり、いつしか交流できるようになり、ついには彼らの秘書となったフリーダ・ケリーが、長い時を経てようやく当時の思い出を公に向かって語ったもの。いわゆる暴露的姿勢が微塵もない発言の数々から、実は周囲の人々の貢献あってこそのビートルズの栄光であったことが感動的に伝えられていきます。
『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』(16)はアップル・コア公式の下、巨匠ロン・ハワード監督がポール・マッカートニーやリンゴ・スター、オノヨーコらの全面協力を得て、ビートルズの知られざる世界にスポットを当てた作品です。
もともとライヴ活動を重視していたビ-トルズですが、世界中のファンの過剰な反応の数々や旧世代のバッシングなどに忸怩たる想いを抱くようになり、やがてスタジオ録音からの発信を志向していくさまや、その過程で人種差別に対する物おじしない発言をヘイトのメッカでもあった米南部のステージで放つなど、当時の社会情勢の中での彼らのスタンスを露にしていく構成も秀逸。
リバプール時代から4人で最後に観客の前で披露した1966年のサンフランシスコ公演までのライヴ・シーンや、世界中から集められた当時の貴重な秘蔵映像を4Kなどの最先端デジタル技術で修復し、一部はカラライゼーション化し、音声は5.1サラウンド化。
ポールやリンゴといった当人たちはもとより関係者や著名人の証言も交えながら、ビートルズの時代ともいえる激動の1960年代そのものまで描出していきます。
ここ最近のビートルズを描いたドキュメンタリー映画としては、やはり本作が決定版ともいえるでしょう。
(文:増當竜也)
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