映画コラム

REGULAR

2019年11月16日

『i-新聞記者ドキュメント』と『ベル・カント』が導く現代社会への懸念と希望

『i-新聞記者ドキュメント』と『ベル・カント』が導く現代社会への懸念と希望



 ©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ  



2019年もそろそろ終わりに近づいてきて、映画マスコミでは本年度の映画賞やらベスト・テンなどの話題が持ち上がり始めています。

その中で注目されている1本が『新聞記者』で、本欄でも公開時に紹介させていただいております。

「この国の民主主義は形だけでいいんだ」

内閣調査室トップが放つこのショッキングな一言がズンと重く心に響く、社会派エンタテインメント作品。

政権の闇を追う女性記者と若手官僚の対峙を通して現代社会を激しく糾弾する問題作として大きな話題になり、異例のクリーン・ヒットにもなりました。

その『新聞記者』の原作者である東京新聞社会部記者・望月衣塑子の仕事ぶりを追い、本年度の東京国際映画祭日本映画スプラッシュ作品賞を受賞したドキュメンタリー映画『i-新聞記者ドキュメント』が11月15日より公開となりました。

また同日、テロリストと人質との間で汲み交わされていく不可思議な交流をジュリアン・ムーア、渡辺謙、加瀬亮ら日米豪華キャストで描いたアメリカ映画『ベル・カント~とらわれのアリア』も公開……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街418》

国の内外を問わず現代社会の闇と対峙しつつ、人間を深く見据えようと腐心する映画=エンタテインメントの力を信じて試みられた二大問題作を、今回は扱ってみたいと思います。

『i-新聞記者ドキュメント』が
真に訴えたいこととは?




(C)2019「i 新聞記者ドキュメント」 



まず『i-新聞記者ドキュメント』は冒頭で触れた通り、東京新聞社会部記者・望月衣塑子さんの日々の奮闘を映像に収めたものです。

監督はオウム真理教を内部から密着取材し、信者の闇のみならず個々の人間性や、対するマスコミや体制側の安易な偏見なども鋭く言及していく『A』(98)『A2』(01)の二部作や、盲目作曲家のゴーストライター騒動をモチーフにした『Fake』(16)などで知られるドキュメンタリー界の鬼才・森達也。

映画は望月さんの取材風景などを、森監督自らムービーを回しながら後を追いかけていくといった基本構図で進んでいきます。

彼女が取材するのは「辺野古基地移設」「宮古島自衛隊弾薬庫建設」「伊藤詩織準強姦事件」「森友」「加計学園」などの諸問題。

それぞれの問題の詳細は今回省くとして、望月さんが取材していく中でとかくぶち当たるのが現政権の闇であり、取材を妨げる壁であり、またそれに伴う圧力や忖度などです。

一方、テレビや新聞など日本のメディアはそれらの問題に対して深く見据える姿勢を取らず体制べったりとなって久しく、SNSを見渡すとフェイク・ニュースがあふれかえり、ネトウヨとリベラルの対立も激化。

海外記者らはそんな日本の現状やマスコミに愕然となっており、特にジャーナリズムの地盤沈下を深く憂えつつ日本の民主主義の危機を嘆き続けていますが、そんな彼らが期待する数少ない存在が望月さんでもあります。

官邸記者会見で望月さんは菅官房長官に毎回鋭い質問を投げかけていきますが、これらのやりとりを見るにつけ、現政権の傲慢さをとことん思い知らされるとともに、それでも彼らの圧力にめげることのない彼女の孤軍奮闘と勇気に感服させられます(特に官邸記者会見では、彼女以外の記者たちは一体何をやってるのか? という疑問も大いに沸いてきます)。

結局、官房長官はもとより現政権から大いに疎まれているひとりであろう望月さんではありますが、彼女の仕事っぷりとは民主主義社会におけるジャーナリストがこれまでごく当たり前にやってきていたことであり、それがなぜ今できなくなっているのか?(はっきり言うと、第二次安倍政権になってから)を、この映画は命題に追及していくのです。

もっとも、こういう風に記していくと右だの左だのといった思想の偏りで捉えられがちではありますが、そこは優れて客観性に富んだ作品を連打し続けている森監督ゆえ、そういった安易な翼を羽ばたかせることはありません。

印象的なのが、望月さんが森友問題で籠池夫妻に取材していく中、超愛国派でもある籠池泰典元森友学園理事長が自身の思想を、当然ながら今なお保守本流と断言しつつ「憲法改正には反対」「原発は廃止すべき」などなど、言っていることは意外にも一般的リベラルの訴えと同じなのでした。

このように現代は右だの左だのといった単純な二分法で区分けできるほど簡単なものではなく、ひとりひとりの人間が抱く唯一無碍の複雑な思想がさらに複雑怪奇に絡み合い、それがネットなどで拡散され叩き叩かれあいながら、今や収拾がつかない時代に突入している悲劇こそをこの作品は訴えているのではないか?

その意味でも本作のクライマックス、今年の参議院選挙で安倍首相が応援演説の壇上に立った際、阿倍派の人々の歓声が沸く一方で、徐々に反阿倍派の「阿倍辞めろ!」コールが飛び交い始め、やがてお互いは激しくぶつかりあっていきます。

その現場に居合わせる望月さんの表情に、本作のメッセージのすべてが込められているように思えてなりません。

さらに映画は第2次世界大戦における連合軍のパリ解放当時における1枚の写真が映し出され(ロバート・キャパのファンならおなじみの、ショッキングなアレです。映画ファンなら『愛と哀しみのボレロ』『マレーナ』あたりのタイトルを出せばピンと来るはず)、監督本人のナレーションが入ります。

個人的には一瞬「そこまで親切丁寧に説明しなくてもいいのでは?」とも思いましたが、きっとこれは歴史や社会の動向などにさほど興味のない人にも理解してもらいたいという想いゆえの計らいなのだろうと解釈しました。

なおタイトルの「i」とは望月さんの名前のイニシャルから採られていますが、同時に私たちそれぞれの「I」であり、「愛」とみなしても構わないかと思います。

テロリストと人質の奇妙な
絆を描く『ベル・カント』




(C)2017 BC Pictures LLC All rights reserved. 



続いて『ベル・カント~とらわれのアリア』は1996年のペルー日本大使公邸占拠事件をヒントに作家アン・パチェットが記した小説『ベル・カント』を日米豪華キャストで映画化したものです。

南米某国の副大統領邸でのパーティでソプラノ歌手ロクサーヌ・コス(ジュリアン・ムーア)のサロンコンサートが催されることになり、日本から実業家でロクサーヌの大ファンでもあるホソカワ(渡辺謙)が通訳のゲン(加瀬亮)とともに招かれました。

いよいよコンサートが始まったと思いきや、そこに突然テロリスト集団がなだれこみ、邸を占拠します。

彼らの目的は収監中の同志の解放。

赤十字から派遣されたメスネル(セバスチャン・コッホ)がテロリストと政府の交渉係となりますが、なかなか事態は進展しないまま日々が過ぎていきます。

しかし、人質として邸に閉じ込められているロクサーヌの歌声がきっかけとなり、テロリストと人質との間に不可思議な交流と絆が生まれていくのでした……。

本作で大きなキーのひとつとなっているのは敵対する思想の別をも凌駕する文化の力であり、現にロクサーヌの歌はテロリストたちの心に入り込んでいきます。

おそらくはまともな教育を受けられず貧困の地獄の中を苦しみ、やがてはテロリストになるしか生きる術もなかったのであろう彼らにも、実はそれぞれ感性というものはちゃんと備わっており、オペラを通してそれらが覚醒し、徐々に人としての友愛の心を取り戻していくかのようで、人質側の多くもまたそんな彼らに心を開いていきます。

監禁する側とされる側に不可思議な連帯感が芽生えてしまう驚愕の事例は、過激派に誘拐された大富豪の孫娘がいつしか彼らの仲間になってしまったパトリシア・ハースト事件などいくつもありますが、本作の場合そうしたストックホルム症候群的な解釈に陥らないように腐心し、敵対する者同士の壁をなくさせるものは文化以外にありえないことを強く訴え、逆に強権の発動は敵対関係を悲劇的に色濃くするのみであることも示唆しています。

ある意味デリケートな題材ではありますが、我が国から参加した渡辺謙と加瀬亮が見事な名演を示しつつ、混迷の一途をたどる世界情勢の中で、人間が今すべきこととは何かを観客ひとりひとりに問いかけていきます。

同じ日本人として、実に誇らしく大いに讃えたいものがありますね。
(2020年は中止が決まったという「桜を見る会」云々も、本来なら彼らみたいに真に映画などの文化を通して世界貢献している存在こそを招いていたら、あんな騒ぎにはならなかったのかもしれません。もっとも“反骨の名優”渡辺謙が現政権下のああいった会に出席するかどうかは知りませんけど……)

今、日本はもとより世界中が思想の相違で分断し、それが数々の争いを招く懸念となっていますが、そんな中で『i-新聞記者ドキュメント』にしても『ベル・カント』にしても、我が国の映画人がこのような作品を作り、もしくは参加したという事実は後々の希望の礎にもなるのではないでしょうか。

(文:増當竜也)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!