『時の行路』石黒賢インタビュー:映画というエンタテインメントを通して訴えてゆきたい弱者の痛み
(C)「時の行路」製作委員会
現在、東京・池袋シネマロサにて上映中、4月11日からは大阪第七芸術劇場、広島サロンシネマなど全国順次公開される映画『時の行路』。
これは2008年の秋に勃発したリーマンショックのあおりを受けて、派遣社員を無慈悲にリストラしていく企業の理不尽に立ち向かっていった派遣工・五味洋介(石黒賢)とその家族の闘いを描いた、実話に基づく骨太の社会派作品であり、同時に家族を犠牲にしながら戦わざるを得なかった男の悲劇と、それでも彼を信じ続ける妻(中山忍)ら家族の絆を描いたヒューマン・ホームドラマでもあります。
監督は『ハチ公物語』や『月光の夏』など、これが30本目の映画監督作品となる名匠・神山征二郎。
10年以上前の不況から連なった事件を基に、新型コロナ・ウイルスによる世界的パニックによって更なる一大不況に突入しかねない、まさに混迷を極める今の時代に問う問題作であるとともに、ヒューマニズムの映像詩人とも讃えられる神山監督ならではの秀逸な人間ドラマとして屹立しています。
そして主人公の五味洋介を演じる石黒賢ということで、ふと思うことがあります……。
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街451》
洋介は1980年代に青春を謳歌していた世代と思しく、それは石黒さんが宮本輝原作のTVドラマ『青が散る』(83)で俳優デビューしたのと時期をほぼ同じくしています。
とかくバブルの一言で最近は浮わついた目でみなされがちな1980年代ですが、実はそこにもちゃんと真摯な青春は存在していたことを、やはり同世代のこちらはよく知っています。
風呂なし四畳半のアパートに住み、アルバイトでお金を健気に稼いでは夜のディスコに繰り出視発散するといった、さながら『サタデー・ナイト・フィーバー』のジョン・トラヴォルタさながらの若者たちが当時は巷に溢れかえっていました。
また、だからこそ皆が明るく軽やかでさわやかなものを追い求めていた節があり、その中で石黒さんが当時演じていた優しくも繊細で好もしい若者像こそは、当時の象徴でもあったようにも思われます。
私には『時の行路』の洋介が、かつて石黒さんが演じてきた若者たちが齢を重ね、家族を持ち、それなりの幸せを得ていたものを、理不尽な仕打ちで無下に踏みにじられていったように思えてなりません。
その意味でも今回のキャスティングは石黒賢で大正解!(というか、もはや彼以外に考えられない)といっても過言ではないでしょう。
というわけで前置きが長くなりましたが、今回は石黒賢さんにご登場いただき、作品に対する想いなどはもちろんのこと、これまでのキャリアについても、駆け足ではありますが振り返っていただくことにしました。
理不尽な仕打ちを受けた
主人公に寄せるシンパシー
(C)「時の行路」製作委員会
── 今回のオファーがあったときの印象などから教えていただけますか。
石黒:神山監督とは『白い手』(90)以来30年ぶりにお仕事させていただきましたが、久しぶりにご一緒させてもらえるというのが一番の決め手でした。特に今回は主演なので、がっつり神山塾で鍛えていただこうという気持ちで臨みました。
台本を読ませていただいて思ったのが、リーマンショックに伴う派遣社員切りといった理不尽な仕打ちに対して、我慢ばかり強いられてたまるかというのは、人として当然の憤りですよね。五味洋介という主人公にとてもシンパシーを感じましたし、意気に感ずるというか、やる意義がある作品と感じました。
同時に僕にも家族がいますので、親としての子どもに対する気持ちも含めた彼の家庭人としての想い……。たとえば子どもを大学に行かせてやりたい、彼らによりよい生活をさせてあげたい、そう思う親の気持ちを理解するのは全然たやすいことでした。
── 演じる上で、当時の事件のリサーチみたいなことはされたのですか?
石黒:リーマンショックに伴う事件の顛末などはそれなりに調べたりしました。ただ、洋介はそんな特殊な境遇の男ではないと思えたので、あくまでも誰しも起こり得ることに巻き込まれてしまった市井の人間として、今回のスタッフ&キャストと一緒に作っていくことを優先したいとも思いましたね。
夫として、父親としての
主人公の立ち位置
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── 共演は中山忍さん。夫婦としてのお互いの息の合い方がぴったりでした。
石黒:中山さんとはかなり前ですけど連続ドラマでご一緒していたので、何となく人となりもわかってましたし、実はすごくタフなマインドをお持ちの女優さんであることも承知していましたので、そういった意味では夫婦の関係性をごく自然に築き上げることができていたと思います。むしろ今回は息子役の松尾潤君と娘役の村田さくらちゃんがほとんど演技未経験だったので、なるべく一緒にいる時間を取って、お昼も一緒にロケ弁食べながら他愛のない話をするようにしたりして、彼らが緊張しないように臨めるようにしたつもりではいます。
── 映画を見ますと、洋介は青森からずっと出稼ぎで上京しているので、実際に家族が揃ってのシーンは少ないんですよね。
石黒:そうなんですよ。冒頭の家族旅行シーンと、あとは後半いくつかあるくらいかな。でも、だからこそ子どもたちとのコミュニケーションは重要だなと思ったんです。スクリーンって正直ですからね。
── 実際、家族の交流のシーンは少ないにも関わらず、見終えた印象はちゃんと“家族の映画”に成り得ているのが、この作品の美徳だと思います。もちろん組合闘争と裁判を題材にしてはいますが、決して拳を声高に振り上げるような映画になってない。そこも好感が持てるところです。
石黒:息子がひとりで上京してくるシーンは、僕としてもお気に入りのシーンです。僕も数年前に父を亡くしましたけど、もっといっぱい話をしとけばよかったなと、今になって思います。でも男同士って照れがあって、子どもの頃は父親は絶対的存在でしたけど、やがて成長して体格的に大きくなっていくうちに、ある時点でパワーバランスが変わる瞬間がありますよね。本当はその頃から一緒に話をできたらなあと。その意味では息子が心配してわざわざ三島まで話をしに来たというのがすごく嬉しい反面、今の自分には組合があるし、仲間もいるし、妻のことは心配だけどまだ故郷に帰るわけにはいかない……と、口下手で上手く言葉で伝えられない日本人ならではの「推して知るべし」みたいなものを息子も感じて、しぶしぶ帰っていく。あの感じがすごく好きでしたね。
── 石黒さんも息子役の松尾潤さんと同じくらいの年齢で俳優デビューされています。でも、それがいつの間にか人の親を演じる側になって……。
石黒:本当ですよねえ(笑)。
── 弁護士役の川上麻衣子さんとは、デビュー作のTVドラマ『青が散る』(83)で共演されています。
石黒:川上さんとは、実はあれ以来だったんですよ。もう30数年ぶり(笑)。彼女も出演すると知ったときは、思わず「懐かしいなあ!」と。でも不思議なもので、30年以上も一緒に仕事してなくて、プライベートでも特に会ったりしていないのに、いざ会うとすぐあの頃に戻っちゃうんですよ。でも川上さんは『青が散る』の頃は既にキャリアがあって、僕はあれが初めての演技でしたので、その分どこか恥ずかしいような懐かしいような、でも安心できるような“戦友”というとオーバーだけど、何かそういったことが感じられました。
綿引勝彦への感謝
いつかは自分も……
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── 共演者ということでは、綿引勝彦さん扮する義父との確執も、この映画の一つの大きなキモになっていますね。
石黒:綿引さんには本当に感謝しています。特に洋介が最後に義父の家を訪れるところは、台本を読んだときからどういう風に演じようか、どういう風にやったらいいんだろうかと思案し続けていたシーンでした。お互い確執を抱きつつも、それでも義父は訪ねてきた僕の気持ちがわかっていて、僕も義父の忸怩たる想いは理解している。そんな東北の男同士の「臆して語らず」みたいな不器用さと、お互いの想いがうまく伝わればいいなとずっと思ってたんです。
ただしその分、テストの数回までは悩んでいたというか、実はどういう風に演じたらいいのか迷っていたところがあったんです。そしたら綿引さんが「ちょっとおいで」と。そしてここはこうだから、こういう風にやってみたらどうだ? みたいにアドバイスしてくださったんです。で、トライさせていただいたら、自分の中ですっと腑に落ちるところがありました。つまり綿引さんはこちらの悩みを見抜いてらして、上手い方向へ軌道修正してくださったんですよね。
── 綿引さんが「なんだかんだでお前もついてないな」って言うところ、すごく渋くていいですよね。対立していたはずなのに、男同士の不思議な絆みたいなものが醸し出されています。
石黒:そうですね!僕もいずれ綿引さんくらいの齢になったとき、若い役者たちに良いお手本を示せるような俳優になっていたいですね。
── 実はこの映画の主人公、全く良いとこなしの過酷な運命を辿ってしまうわけですが、その意味でもラスト・シーンのバスの中の表情はかなり覚悟を決めて臨まれてるなというのが伝わってきました。
石黒:あそこは台本では「涙を流した後に前を向く」とだけ書いてあって、それはどういう顔なのだろう? とずっと悩みました。あの顔が正解だったかどうかわかりませんが、あのとき出来る限りのことはやったと思います。
── 一見救いのないラストですが、彼はこれからも生きていかないといけないし、逆にあそこで妙に前向きな笑顔だったりするとおかしくなる。その伝でもあの表情が素晴らしかったと思います。ドラマとしてはアンハッピーなのに、見る側に前向きな気持ちを抱かせる秀逸なもので、これこそが映画の面白さなのかなとも。あそこの池辺晋一郎さんの音楽も印象的でしたね。
石黒:ああ、そういっていただけると本当に嬉しいですね。本当に今回はスタッフのみなさんに助けられました。
映画におけるアップの怖さ
スクリーンは大きくも正直だ
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── 撮影も加藤雄大さん。かつて石黒さんが主演された映画『ジャイブ 海風に吹かれて』(09)のキャメラマンでもありましたし、気心知れた信頼関係が出来上がっていたのではないでしょうか。
石黒:本当にそうなんですよ!「あ、雄大さんだ!」って。あの方が撮ってくださるのなら安心だと思いました。
これは僕の持論ですけど、スクリーンって大きい分、俳優に迷いがほんの一瞬でもあると瞳に出てしまい、それをスクリーンに映し出されてしまう気がするんです。もちろんこちらも集中してやってますけど、やはりスクリーンは正直ですから、絶対に気をそらせないというこちらの気構えと、スタッフのセットアップによって本当に助けられていることを常に痛感させられています。
あのラストの表情にしても、笑っててはいけない。でも陰鬱な顔で終わるわけにもいかない。やはり2時間ほどの作品にずっと付き合ってくださった観客のみなさんには、心の目線を5度から10度くらい上げてもらって帰っていただきたいんです。「人生は大変だよ。でも頑張って生きてたら、また何かいいことがあるかもしれないよね」という、確約はできないけど何か希望みたいなものを上手く伝えられたらと思い続けていました。
── 映画のアップって、怖いものなのですね。
石黒:ええ、「もう雄大さん、どれだけ寄るのよ!」ってくらいのドアップで撮られてますので(笑)。でもそれってキャメラマンが「お前のアップを見たい」と思うから寄ってくれているわけで、こちらも五臓六腑さらけ出す仕事なわけですから、その意味でもキャメラが雄大さんで良かったです。
── さて、これはリーマンショックを背景にした映画ではありますけど、結果として新型コロナ・パニックに翻弄される今の時代を映し出す鏡のような作品にもなっているように思えてなりません。
石黒本当に、今の時代があの時代の再来にならないように願いたいですね。
── 先日もニュースを見ていたら、コロナの治療をしている医者の家族が周囲から「近づくな」と迫害&差別されたと。この映画も組合活動をやっているということで偏見の目で見られます。どちらも決して間違ったことをやっているわけではないのに。また裁判の理不尽にしても、この映画で描かれた時代よりも今はもっと悪化している感も受けます。つまり10年ほど前の事件を描いた映画ですけど、ちゃんと“今”を描いている。
石黒:そんな中でも“信念”を持つことの必要性は、やはり映画というエンタテインメントを通して訴えていきたいですね。この映画にしても、決して小難しい作品だと思われたくないという想いはありますし、実は誰にもわかっていただける話であることは、改めて強調しておきたいです。見ていただければ、みなさん“弱者の痛み”というところで何某かのものに気づいていただけるのではないかと思っています。
二枚目半から悪役まで
役柄の幅を広げ続けて
(C)「時の行路」製作委員会
── 石黒さんがデビューして間もなかった1980年代半ばによく演られてた「ちょっと頼りない二枚目半的な役柄」は、当時の若い男性の特徴みたいなところがあり、その象徴が高橋留美子の人気漫画『めぞん一刻』の五代裕作であったと思われます。ですので石黒さんが実写映画版『めぞん一刻』(86)で五代君を演じられたときはイメージぴったりで快哉を叫んだものでした。
石黒:ありがとうございます!
── それこそ『時の行路』の石黒さんと中山忍さんを見ていて、数十年後の五代君と音無響子さんみたいな仲睦まじさを感じました。中山さんは石黒さんより年下ですけど。
石黒:(笑)でも言われてみれば、どちらもそのくらいの年齢ですものね。
── ただ、90年代半ばくらいからは従来の好青年だけでなく、徐々に影を背負った役柄も演じるようになられてゆきますね。
石黒:ええ、デビューしてからしばらくは二枚目半的で頼りない、善い人なんだけど、恋愛ものだと最後に振られてしまうような役が多くて、自分で好んでそういう役を選んでやってたわけではないのですが、『振り返ればやつがいる』(93)に代表されるような正義感の強い良い人イメージというのはありがたいことではあれ、本当は違うこともやりたいとずっと思っていたんです。「え、そんなこともできちゃうんだ!?」みたいに言わせたい。そんな想いを20代はずっと抱えていました。
ただし一方ではこういうものをやってみたいって自分から口にするのはカッコ悪いのではないかと、妙に構えていたところもあって、それが30代半ばを過ぎた頃、知り合いのプロデューサーから「賢は『サイコ』のアンソニー・パーキンスみたいな役をやったら面白いぞ」と言われて「やってみたいです!」と。そこからだんだん旧知のプロデューサーから「次は賢にこういう役をやってもらおうか」みたいに面白がってくださるようになり、こちらも演じる役柄の幅が広がっていったんです。悪役といってしまうと身も蓋もないけど、でもそういうキャラクターって俳優としては魅力的でもあるし、役作りの妙味などもありますよね。
── 個人的には『ローレライ』(05)の慇懃無礼な軍属技師がすごく印象に残っています。
石黒:あれも面白い役でしたねえ。
── ただ一度悪役をやってしまうとそのイメージから抜け出せなくなる俳優も多いかと思いますが、石黒さんの場合はそのあたりのバランスが絶妙だと思います。
石黒:オファーされるタイミングとかにも恵まれていたのだと思います。
映画を見に来るお客さんの
誠意に向き合っていきたい
── 一方では『ホワイトアウト』(00)『LIMIT OF LOVE 海猿』(06)『ミッドナイト・イーグル』(07)『岳―ガク―』(11)のような冒険アクションものの出演も多いですね。
石黒 確かに、そういったジャンルのものが続いた時期もありました。
── やはりスポーツマンとしての颯爽としたイメージとキャリアを買われての賜物だったのかと思われます。そうこう考えていくと、デビュー当時からの歩みを継承しながらの、今回の『時の行路』の酸いも甘いも知りつつ人生の機微を深みある存在感で体現していく五味洋介のキャラクターに行きついているように思えてなりません。
石黒:ああ、そうなのかもしれません。ありがとうございます。そう思っていただけると嬉しいです。
── それとTV『竜馬がゆく』(97)と、三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマ『新選組!』(04)で、桂小五郎を2度演じてらっしゃいますね。
石黒:そうなんですよ。「俺ってよっぽど桂っぽいのかなあ」と。そんなに逃げ足は早くないのに(笑)。でも名誉なことだと思います。特に『新選組!』は三谷さんならではの、ちょっと高慢ちきで、プライドが高くて、傍目には感じ悪いけど、実は結構可愛げもある人間味あふれる桂でした。桂さんゆかりの地もいろいろ訪ね歩きましたよ。
── では最後に、石黒さんなりの映画の醍醐味みたいなものを教えていただけますか。
石黒:やはり映画って、閉鎖された真っ暗な映画館の中に2時間ほど拘束されながら、ワクワクしながらその世界に没入して見ていられるということで、子どもの頃から大好きでした。そして先ほども申し上げた通り、あの大きなスクリーンに映る以上、俳優としては一瞬たりとも心を逸らしてはいけない。
またスタッフもちゃんと映画館で見てもらうよう、それぞれの役割を受け持たれているんです。芝居そのものに関しては映画もTVもそんなに違わないとは思いますが、お金を払って自分の時間をやりくりしながら劇場に足を運んでくださるお客さんの誠実さには、ちゃんと向き合う誠意を見せないといけない。
特に『時の行路』に関しては、シネコンなどで数週間上映して終わりといった一過性のものではなく、ホール上映なども含めて全国津々浦々を地道に回り続ける息の長い展開の作品になるかとも思われます。
ぜひ映画館で家族それぞれの人生模様、家族間の想い、くやしさ、そして頑張って生きていればいいことがあるかもしれないという、一抹の希望みたいなものを感じ取っていただけたら嬉しく思いますね。
プロフィール
石黒賢(いしぐろ・けん)
1966年、東京生まれ。
1983年のドラマ『青が散る』(83)で俳優デビュー。
以後TVドラマ『振り返れば奴がいる』(93)『ショムニ!』(98・00・02・13)『新選組!』(04)、映画『めぞん一刻』(86)『ローレライ』(05)『ジャイブ 海風に抱かれて』(09)など代表作多数。
またイシグロ・ケン名義で絵本『絵本 パパこれ読んで!』シリーズを翻訳出版。現在、TV情報プレゼンター番組「とくダネ!」月曜担当のスペシャルキャスターで出演中。
今後の予定に4月17日(金)22時よりNHKにてオンエアされる『ディア・ペイシェント~絆のカルテ~』、5月1日(金)公開の映画『コンフィデンスマンJP プリンセス編』などがある。
(取材・文:増當竜也)
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