あなたに役立つ映画・ドラマのプラスαがあるメディア「シネマズプラス」

©cinemas PLUS Committee. All Right Reserved.

「解釈が難しい」映画なんて、ブルース・リーの名言で全て解決できる!

SHARE




映画の中には時折「これって一体何を言いたいの?」「さっぱり意味が分からない!」みたいに、難解なストーリー展開に首をかしげてしまうものもあったりします。

最近ではクリストファー・ノーラン監督の『テネット』もそういった議論が湧き上がったりしていますが、逆にだからこそ世界的に大ヒット(アメリカ本国のみ、まだ映画館が十分に稼働できてないので残念な結果になってはいますが)しているのも事実です。

名作『燃えよドラゴン』の中で、ブルース・リーはいみじくも唱えました。

「考えるな。感じろ」

もしかしたら私たちは、映画やドラマに理屈に合ったストーリーを求めすぎているのかもしれません。

映画の画と音が見る側の視覚と聴覚にもたらす魅力は、ストーリーの画的再現に留まるのではなく、そこから醸し出されるエモーションをいかに感じ取っていくか、にもあるように思えてなりません。

映画は決して「筋書きのある演劇を撮影した」といった域に留まるメディアではない。

今回はそういった感覚で、ある意味ストーリー的には難解で不条理ともいえるかもしれないけれど、視覚と聴覚そのものに訴えかける作品をご紹介していきたいと思います。

スタンリー・キューブリックの
映像哲学


難解だけど魅力的、という点で映画ファンが真っ先に思い浮かべるのは、おそらく『2001年宇宙の旅』ではないでしょうか。




アーサー・C・クラークのSF小説を原作に、巨匠スタンリー・キューブリック監督が放った一大映像詩、冒頭、類人猿が道具を持ち、それを武器にしていくという原始時代から一気に21世紀の未来(製作当時)へ跳び、人類の進化を促しながらの月面、そして木星への旅はさらなる時空を超越した不可思議かつ魅惑的な世界へ観る者を誘っていきます。

公開当時はその難解さから賛否真っ二つに割れながら、その難解さを解き明かそうとする者を続出させ、さまざまな論が発表されてはまた議論を呼び……といった映画的展開がされ続け、今では世界映画史上№1に選ばれることも多々ある名作として君臨し続けています。

それまでB級扱いされていたSFジャンルを一気にA級の域に押し上げた事でも評価されるべき作品でしょう。

スタンリー・キューブリックの作品群は総じて、単にストーリーを語る以上に、視覚と聴覚に訴えながら見る者に何某かのものを提示していく姿勢が貫かれています。

その意味でも、映画の魅力にはまり始めた方は一度は体験しておくべき作品であり、映画作家であるともいえるでしょう。

アート映画と呼ばれるものの
難解さゆえの魅力


これは映画に限らずですが、よく「娯楽」と「芸術」に分けて文化を語る向きは昔も今も圧倒的です。

しかし、私自身は芸術もまた娯楽=エンタテインメントの一ジャンルにすぎないと思っています。

それに接することで人々の心に歓びなり、楽しみなり、恐怖なり、怒りなり、何某かの刺激を与えながら啓蒙していくものをエンタテインメントと呼ぶのであれば、美術館で絵画を見て陶酔する行為もまた、その人にとっての歓び=エンタテインメントなのではないでしょうか。

映画もまた芸術的に評価される「アート映画」として語られるジャンルのものがあり、またそういったものを作り続ける映画作家も多数います。

フランスのジャン=リュック・ゴダール監督もそのひとりでしょう。

1950年代後半からフランス映画界の中で台頭してきた新しい映画運動“ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)”の旗手のひとりとして1959年に『勝手にしやがれ』を発表して以来、一貫して映画の可能性を今もなお追求し続けている名匠です。


手持ちキャメラによるゲリラ撮影や、大胆奇抜な編集によって時間軸を無視したり、高感度フィルムを使っての効果を試してみたり、またビデオや3Dといった頭のお堅い保守的映画ファンが苦手とするメディアにもいち早く挑戦しながら、常に映像革命を成し遂げてきた偉大なる映画人。

ただし、その難解さをさらに難解に解釈しながら映画論を披露する向きは昔も今も後を絶たず、おかげで彼の映画はもとより、「難し気な言葉を用いて評論されるような“芸術”映画は見たくない」といった、いわゆる単純明快な“娯楽”映画派から忌避される傾向があるのは、あまりにも勿体ないことではないかと思えてなりません。

また“芸術”映画派の中には、単純明快に楽しい作品を妙に小難しく語ってみたり、どこかしら“娯楽”映画を見下した姿勢を示す傾向もあるような気もします。

「芸術」か「娯楽」かと分けるのではなく、どちらも同じエンタテインメントと捉えたほうが得策ではないかと個人的には常々思えてならない次第です。

冒頭で記したように、一見難しく捉えられがちな映画も、単純に「感じれば良い」のです。

不条理ホラーとしての
『ボーグマン』


恐怖もまた、時折難解で不条理な展開を示すことがあります。
(先に挙げたスタンリー・キューブリック監督のホラー映画『シャイニング』も、謎めいた1枚の写真を提示して終わります)

もっとも、だからこそ恐怖なのかもしれません。

通り魔であったり、こちらに何の不備もないのにいきなり事故に見舞われたりなど、理由がない恐怖こそ、最大のホラーなのかもしれません。

オランダ・ベルギー・デンマークの合作による2013年度作品『ボーグマン』もまた、謎の訪問者によって家庭が崩壊していくさまを一切の説明を省いて描いたホラー映画です。




神父たちに追われるホームレス風情の男(ヤン・ベイヴート)が郊外の豪邸に辿り着き、風呂を貸してくれと頼みます。

夫のリチャード(イェロン・ペルセヴァル)は、わけのわからないことを言い、さらには妻マリーナ(ハーデヴィッフ・ミニス)のことを知っているとデマカセまで吐く彼を邪険に追い払いました。

しかしマリーナは物置小屋に隠れていた男に同情して風呂と食事を与え、やがては彼を家に招き入れてしまいます。

それが平和な家庭が崩壊する序曲であったことを、マリーナはまだ知りませんでした……。

冒頭、いきなり「そして彼らは自らの集団を強化するため、地球へ襲来した」といったテロップが出てきます。

ってことは、邪悪な宇宙人の映画?

わかりません。

この男の目的は? どうして神父たちから追われていた?

全く説明がないので、わかりません。

しかし、そういった男の存在によって、彼に関わる人々は次第におかしくなっていきます。
(一方ではこの男、妙に女性を惹きつける魅力も備えているようです)

ただただ得体のしれない薄気味悪さだけが淡々と浸透し、浸透し、浸透し、ついには……。

監督のアレックス・ファン・ヴァーメルダムは『アベル』(86)『ドレス』(96)『楽しい我が家』(00/未)などコメディ色の強い作品で知られる御仁で、それゆえ今回もあちこちにそこはかとないブラックユーモアを撒き散らしてもいますが、それもまた不気味さを煽っていきます。

笑いと恐怖もまた表裏一体ということでしょうか。

本作はファンタスティック映画のメッカでもあるシッチェス・カタロニア国際グランプリを受賞。

本作のような不条理世界は極端としても、理屈では表せない不可思議な展開は、どなたでも多少なりとも体験している。そう思うと本作の受賞もすこぶる納得できるのです。

何度も繰り返しますが「考えるな、感じろ」という、この一言を胸に接すれば、本作に限らず、どんな映画でも美術でも文化でも、有意義に接することができるのではないでしょうか。

(文:増當竜也)