2020年12月25日

『風の谷のナウシカ』を見る前に考えたい「宮崎駿の思想と自然破壊」

『風の谷のナウシカ』を見る前に考えたい「宮崎駿の思想と自然破壊」


© 1984 Studio Ghibli・H|『風の谷のナウシカ』より
 
※本記事は「金曜ロードSHOW!」での『風の谷のナウシカ』の放送に合わせて執筆を行いました。『風の谷のナウシカ』は厳密にはスタジオジブリ設立前の作品ですが、スタジオジブリのWebページでも諸々記載があるため便宜上「ジブリ映画」として本記事では扱います。


「風土を壊してしまうと、最後の日本への引っかかりが無くなる」

そう語るのは、ジブリでお馴染みの宮崎駿監督。

植物がどれほど大切で、風土の問題が自分たちにとって深刻なのか。

「そんなことは考えなくてもわかっている」多くの方が頭の中では理解していても、根本的な問題を認識できていません。

宮崎監督はそんな私たちに、ジブリを通してなにかを訴えかけているのです。


「原風景」「憧れ」「自然破壊」

今回は宮崎監督の根本にある思想をご紹介します。

宮崎監督の想いを知ることで、ジブリをより深く楽しむことができます。

そして宮崎監督の言葉は、忘れかけていた大切なことを思い出させてくれます。

日本人がサカキを飾る理由を改めて考え直すように……。

細胞レベルの「原風景」

ジブリの風景を見て、不思議と懐かしい気持ちになることがあります。


どこか懐かしい風景。


それは日本人の細胞レベルまで訴えかけてきます。

一体なぜなのか。その答えは宮崎監督の思想にあります。

「原風景」


© 1988 Studio Ghibli|『となりのトトロ』より


宮崎監督は日本人の感覚の中にある原風景を、とても大切にしています。

「なにかがいるみたい」自然は混沌としている。その不思議な感覚を、ジブリでは「森」として描いています。


「この世には不思議なものがあるんだ」


人がこの感覚を忘れてしまったら、ずいぶんと薄っぺらいものになってしまう。

宮崎監督が創り出す森そのものは「なにかいそうな感じ」を与え、ある種の恐ろしさすら感じさせます。

「自然を大切にする」「森を大事にしたり、川を綺麗にする」こう唱えるのは、人間の為だけではなく「森や川自体に生命があるもの」だから。


神は全てに宿っています。


石ころや風にも人格はあります。1枚の葉、1匹の蟲も例外ではありません。宮崎監督は、そういった考え方に心が惹かれると言います。

思い返してみると、木の枝を折ったり、川にゴミを捨てると罪悪感が湧くことがあります。

虫を殺めたり、モノを壊すとバチが当たると思ったこともあります。


人にはそういう気持ちが、細胞レベルで備わっているのです。


それと同じように、人は本能的に自然を求めていて、多くのことを学んでいます。

つまり細胞が無意識に求めている自然が原風景であり、ジブリの風景はその気持ちを描いています。

宮崎監督は作品を通して細胞にまで訴えてきているため、ジブリを観ると懐かしむ気持ちになるのです。

人は自然に「憧れ」すら抱いている

「緑は守ってあげないと壊れる」

「植物はひ弱で傷つきやすいから、大切に扱わないといけない」

この考えは人間の勝手な解釈。本当の自然というものは……。


© 1997 Studio Ghibli|『もののけ姫』より

令和。

「科学が進歩しても、未だに全てを解明できていない。

だからこそ、自然の神秘性を認めるべきなのだ」特に日本は地震や台風など、世界と比べて天災が多い地域です。

ご存じの通り、天災は人々の努力を軽々と凌駕する脅威を持っています。

日本人は自然の恐ろしさを、痛いほど思い知っています。

そのため、自分たちが思っている以上に自然への認識が強いのです。


自然。

自然は善や悪を超えた存在です。

生命を生かすこともあれば、猛威を振るうこともあります。穏やかでもあり、荒ぶることも。

もしかすると、神は自然を象徴しているのかもしれません。なぜなら、意のままに操ることができず、決して逆らうことができない存在だから。

そんな自然に対して、人間は「憧れ」すら抱いています。

自然は時として巨大な力を人間に振るいます。

確かに不確かなことは、災害はいつ起こるかわからないということ。

宮崎監督はこの事実を肯定的に捉え、映画の世界観に描いているのです。

生活は「自然破壊」から成り立つ

ジブリは一般的に、環境保護を訴える作品だと捉えられがちです。しかし、製作者たちはそれを否定しています。

確かにジブリは生態系や自然との共生などのテーマが色濃く盛り込まれています。

それはもちろん宮崎監督の考えの表れ。

しかし宮崎監督は「自然を大切にしましょう」「木は切ってはいけません」などという当たり前なメッセージを伝えたいわけではありません。

宮崎監督の考えは、想像以上に深いのです。


© 1984 Studio Ghibli・H|『風の谷のナウシカ』より

「自然を大切に」そう唱えることは簡単。

しかし、現実はそんな単純な話ではありません。

近所のコンビニやスーパー、学校や会社、家や道路など私たちの快適な暮らしは、自然の上で成り立っています。

生活を安定させるために森を切り開いたからこそ、今の私たちの生活があるのです。


つまり自然に手を出したのは、人間が必死に生きようとした結果


これについては、簡単に善し悪しを決めることができません。

しかし「今より豊かになりたい」「不幸から逃れたい」その努力が、自然への干渉であることは事実です。

そんな問題を抱えている地球で、子どもたちがどう生きていけば良いのか。大人たちが答えなければならない。

宮崎監督はそこに義務感を抱き、映画を制作していたのです。


「人間は決して、賢くて祝福された存在ではない。それでも自分たちは生きなくてはいけないんだ」

さいごに

人は個体として生まれ、死ぬときは自然に戻りたい。

今生きている瞬間は、46億年の一瞬。人類は今日も限りなく肥大化し、汚れを生み出しながら生きていく。

汚れを払い、清々しくあること。邪念を無くすことが至上である。

この考え方が、日本という島国に住む人間たちの心の奥に、今もある。


無垢への憧れを、心のどこかで追っているのだと。

それは太古から継承された自然への意識。


自然に手を出す人間は滅びるしかないのか。


宮崎の思想から学ぶ。

彼の考えは令和を生きる私たちに大切なことを思い出させてくれます。


「子供の頃、汲み取り式便所の裏手に広がっていた闇は、ぼくらの想像力に影響を与えていると思いませんか」


Written by ゆくん

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