映画コラム

REGULAR

2021年04月01日

『椿の庭』、過ぎ去りし時間と、家族を巡る“記憶”の物語

『椿の庭』、過ぎ去りし時間と、家族を巡る“記憶”の物語



花は枯れ、物は壊れ、文化は廃れ、やがて命は尽きていく。

形あるものは、いつかは必ず潰える運命。

その不可避な理の中で、何を大切にし、どのように生きていくべきなのか。

そんな日常では中々得難い稀有な思考の波へと2時間どっぷり浸らせてくれるのが、2021年4月9日より公開の映画『椿の庭』。



かけがえのない家族との思い出が詰まった家を手放すか否か。

そこで暮らす祖母と孫の関係性、時折訪れる来客がもたらす変化の予兆。

庭を彩る木々や花々や生き物たちの移り変わりなど、

ゆっくり、じっくり、丁寧に、

静かに映し出されていく描写の数々を通して、あなたの心は、“記憶”について様々な想いを巡らせることになるだろう。



大切な記憶であれば、すべてその身や心に宿しているという人がいると思う。無論、それを否定するつもりはない。

だが、時として、外付けハードディスクの如く、自分という人間の外側に保管されている記憶というものもあると思う。特定の場所や物に触れなければ、呼び起こされることのない記憶。

久しく会っていない友人・知人などと再会しなければ、鮮明によみがえることのない思い出。そういった感覚に心当たりはないだろうか。



本作において家を手放すということは、貴重なデータが大量に詰まった外付けのハードディスクを丸々捨ててしまうのと同義。

心に深く刻まれた記憶はそう容易く失われたりはしない。しかし、外部からの刺激が伴わなければ触れられない記憶というものは、一度そのアクセス方法を失ってしまうと、取り戻すことは難しい。

大切な記憶を喪失してしまうことに対する恐怖心が、場所や物に対する「愛着」を「執着」へと変貌させ、固執する心を生んでいく。

どう対処することが正解なのかは正直分からない。人それぞれにケースバイケースな部分も大きい。私たち自身も、同様の選択を迫られることは、人生の節目節目において必ず訪れる。

だからこそ、彼女たちの歩む道筋や選択から目が離せなくなっていく。



ただ、すべてを悲観的に捉える必要はないのかもしれない。

何かを手放したからといって、大切な記憶の一部を失ってしまったからといって、そこで人生が終わるわけではない。形あるものはどう足掻いたところで消え失せるものだが、土に帰って何かの養分になったり、リサイクルされたり、輪廻を繰り返したりと、姿形や役割を変えて生き続けるといった捉え方もできると思う。

結局は劣化コピーにしかなり得ないのかもしれないが、断片だけでも持ち合わせていることで、種を残し続けていくことで、誰かに語り継いでいくことで、新たな記憶の保存先を確立することもできるはず。



何より、今この瞬間を一所懸命に生きていく中で、また新たな記憶や思い出が刻まれていく。過去・現在・未来、どれも比較し難いほど大切なものであるが、本当に必要なものだけが残っていく。

肝心なのは、都度自分の心にどのように決着をつけるのか。それが妥協や諦めによる決断であったのならシコリも生じるが、自分の中で折り合いをつけて、割り切るのではなく納得することさえできていたのなら、前を向いて生きていける。



シム・ウンギョン演じる孫娘・渚。陸と海の境目にあるその名が示す通り、海の向こうへと行ってしまう記憶や命、陸に留まり続ける記憶や命、その分かれ目を垣間見ることのできる作品です。

家で目にするにはかなりの集中力を要求されると思うので、作品世界へ深く没入することのできる劇場で目にすることを心からオススメします。

(文:ミヤザキタケル)

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