【映画VS原作】『さよなら私のクラマー』それぞれの魅力解説|男女のフィジカル差を乗り越えるモノとは
男女のフィジカルの壁を覆す情熱と技術
ジェンダー平等の大切さが叫ばれて久しいですが、あらゆる不平等が解消されたとしても、男女の肉体的な差は消えることがないでしょう。だからこそ、スポーツは基本的に男女別に競技が設定されるわけですが、日本サッカーのように競技人口の男女差に偏りのある世界では、恩田のようにはじめから大きなハンデを背負わされることも珍しくありません。本作は、体格という覆せない男女の差をいかに考えるかを作品の中心に据えています。そのために物語は中学校時代という、男女の体格に差が出始める時期に設定されています。小学校時代なら男女のフィジカルにはほとんど差がありませんし、逆に高校時代ではその差は決定的になってしまいます。
恩田は、回想シーンの小学校時代には男子よりも長身でした。そんな彼女が中学には身長が伸びなくなり、男子にぐんぐん追い抜かれて「自分だけが取り残されていく」ように感じてしまうのです。この恩田の気持ちは、女子サッカー選手に限らず多くの女の子が感じたことがあるのではないでしょうか。
フィジカルという要素は、あらゆるスポーツにおいて重要です。男性の方が骨格大きいので、筋肉の蓄積量が違う、その筋肉がスピードをパワーを生みだします。しかし、恩田は「それだけで、『男の方がレベルが高い』って顔されると、『違うよ』って大声で言いたくなるの」と言います。
サッカーは確かにフィジカルが全てではありません。本当のサッカーの魅力とはファンタジーあふれるテクニックこそがサッカーの魅力であるはずです。恩田のプレーにはそうした夢があるのが本作の素晴らしいところなのです。
フィジカルで劣るなら「フィジカル以外の全てで叩く」という恩田の台詞は、女子サッカー全体にとっても非常に重要なことだと思います。プロスポーツは突き詰めると興行であり、エンターテインメントです。女子サッカー全体の未来は、興行として女子サッカーが成り立つかどうかにかかっているのだと思いますが、男子サッカーと比べて女子サッカーがエンタメとしてどこで勝負できるのか、恩田の言葉にはそれが詰まっているのではないでしょうか。
本作の続きを描く『さよなら私のクラマー』では、そうした女子サッカー界全体が置かれた状況をさらに踏み込んで描き、サッカーに懸ける女の子たちの情熱とともに女子サッカーの未来への展望を描いています。
「女の子が当たり前の様に楽しくサッカーの出来る環境」を作るための大人の責任にまで踏み込んだ原作漫画の、その魅力の萌芽がこの映画にもあります。映画を見て、本作の魅力に触れた方は是非とも原作漫画にも触れてみてください。
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(C)新川直司・講談社/2021「映画 さよなら私のクラマー」製作委員会