映画コラム

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2021年01月08日

劇場版『SHIROBAKO』逆境でも諦めなかった「3つ」の泥臭さ|万策尽き…てない!

劇場版『SHIROBAKO』逆境でも諦めなかった「3つ」の泥臭さ|万策尽き…てない!


2020年2月終わり頃だったでしょうか。新型コロナウイルスの影響が各地で出始めたのは。コロナの感染拡大が深刻化する中で、数々の作品が上映延期を決定。そして緊急事態宣言が出て、映画館も営業休止を余儀なくされました。

すでに上映が始まっていた作品にとって、この感染拡大の深刻化、映画館の営業休止の影響は大きかったはずです。新型コロナウイルスの正体がまだぼんやりとしている中で、大々的に「映画見に来てね」と言えない雰囲気もありましたから。

2020年2月29日に公開が始まった劇場版『SHIROBAKO』も、そんな逆境に立たされた作品の1つでしょう。しかし映画の内容はもちろん、作品を取り巻く雰囲気に「前に突き進む力」が感じられたのです。

劇場版『SHIROBAKO』の始まりは哀愁まみれ

2019年4月。「武蔵野アニメーション」と書かれた軽自動車が向かった先は、車の横に書かれた文字と同じ看板のかかった制作会社。ここが劇場版『SHIROBAKO』の舞台です。

2014年のテレビアニメで見ていた武蔵野アニメーション、通称ムサニは、初めて元請け制作を担い、そして人気漫画のアニメ化を手掛け、新作のビックタイトルの声がかかるまでに成長を遂げていました。

しかしその成長が嘘のように、劇場版のムサニは超低空飛行状態に。制作を進めていた新作アニメの企画が頓挫したことで、会社存続の危機を陥るほど状況は悪化していたのです。

戦力を増やしたはずの制作進行は、今や3人に。“節電”の貼り紙が貼られた真っ暗な制作進行のフロアや、デスクライトが倒され閑散としたアニメーターのフロアが物悲しさを語ります。制作したアニメが放送されると賑わっていた会議室にも、数人しか人が集まりません。そこで観るのは、以前ムサニが作っていた『第三少女飛行隊』の新作アニメ。元請けで携わっていたタイトルをグロス請けで引き受ける……。なんという皮肉なのでしょう。

さらに先述の社用車は、いまだにカーステレオしかついておらず、傷だらけ。車内でかかるラジオからは、アニメバブルでゲスト声優を招く予算があったテレビアニメの時とは対称的に、劇場版ではゲストを呼ぶ余裕もなくなっている、アニメ業界全体に蔓延る世知辛い状況が伝わってきます。信号発車とともにエンストで止まってしまう描写は、今のムサニそのもののように思えました。


「哀愁」

この言葉がしっくりくる、2019年の武蔵野アニメーション。こんなにも哀愁漂う作品のどこに前に進む力があるのか、と思った人もいると思います。しかし筆者は、劇場版『SHIROBAKO』に間違いなくこの力を感じました。その理由は、作品全体に流れる前向きな姿がキラキラしたものではなく、泥臭いとてもリアルなものだったからです。

SHIROBAKO流、泥臭さ1:そう簡単に覚悟は決まらない

「ピンチはチャンス」という前向きな言葉があります。これは、精神的にも体力的にも余裕がなければそう簡単に言えることではないでしょうか。社長が「死に体」だと自虐するほど凋落した武蔵野アニメーションにとっては、使うハードルが高い言葉だと思います。


そんなムサニにある日、以前から付き合いのあるメーカープロデューサーから劇場版オリジナルアニメ―ション『空中強襲揚陸艦SIVA』の制作依頼が舞い込みます。制作を委託していたアニメーションスタジオが作業を進めていないと発覚し、武蔵野アニメーションに白羽の矢がたったのです。

他の会社ならチャンスだと捉えられたでしょう。ただ作り手がゴッソリ抜け信頼も失った、アニメを作るための十分な体力があるとは到底言えないムサニにとって、劇場版オリジナルアニメの制作はあまりにも荷が重い案件です。実際に社長からこの話を相談された主人公の宮森あおいは、戸惑い引き受けるべきか悩みます。

そもそも宮森は、高校時代に自主制作アニメーションを作った仲間たちといつかまたアニメを作るためにこの業界を志した人物です。激務な業界に揉まれながらも「アニメを作ること、作る人が好き」という気持ちで成長を遂げてきました。

そんな彼女が「会社が倒産しそう」という厳しい現実を目の当たりにしたわけです。「アニメが好き」という気持ちだけではどうにもならないこともあると知った人間が、「アニメが作れる」という喜びだけで、通常は2年かけてつくる劇場版オリジナルアニメを10カ月で完成させる、なんて大きな仕事を「ピンチはチャンス」と前向きに捉えるとは思えません。万が一失敗に終わらせた時の大きなリスクに恐怖を感じるのは当然でしょう。


ただそんな彼女を奮起させたのは、かつての仲間たちでした。元同僚の「じたばたしなければ何も始まらない」、前社長の「未踏の大地に踏み出す姿を見せて、次の世代の道しるべとなるアニメを作ってほしい」というメッセージに宮森は、かつての自分がじたばたしながらも作品を完成させてきたこと、そしてたくさんの人の想いが集まって作品が出来上がってきたことを思い出したのではないでしょうか。

作品に携わる中で経験したことや出会った人たちが宮森に示してくれた道しるべを、次は自分が示していきたい―—。自分の中で“アニメを作る理由”が1段階上へあがった瞬間に、宮森の覚悟は決まったように見えました。

この宮森が覚悟を決めるまでの過程が丁寧に描かれていたからこそ、ムサニの挑戦が無謀ではあるものの現実的なものになったと思うのです。

SHIROBAKO流、泥臭さ2:「夢を仕事にする」が眩しくない

「夢を仕事にできる人なんて、ごく一部の人にしか許されていない」という価値観は以前よりも薄れてきている気はしますが、まだまだそういう風潮は多少なりともあると思います。だからなんだかんだで「夢を仕事にする」と聞いて、なんだか眩しい、輝かしいといった印象を持つ人もいるのではないでしょうか。

ところが劇場版『SHIROBAKO』は、夢を仕事にすることすらも現実的に泥臭く描いているのです。


高校で宮森と「いつかまた一緒にアニメを作る」という夢を共有してきた安原絵麻、坂木しずか、藤堂美沙、今井みどりらアニメーション同好会元メンバー。彼女たちはそれぞれ、原画、声優、3Dクリエイター、脚本家と、自分の夢を“とりあえず”は叶えています。

ただ彼女たちは、自分たちの現状に満足していませんでした。

例えば宮森は、ムサニが低空飛行状態になってからはずっと、他社の下請けを担ってきたのでしょう。この仕事も立派なアニメ制作ではあると分かりつつも彼女は、「好きなことをしてお金がもらえていいね」と言う姉にムッとしたり、元制作デスクでケーキ屋へ転職した本田のイキイキとした姿を見て羨んだりするなど、現状に満足していない様子でした。

そんな彼女が抱える複雑な心境を印象づけたのが、高校時代の仲間たちとの飲み会に参加するシーン。彼女は入店する前、扉の前で頬を叩き笑顔を“つくり”元気いっぱいのフリをして、仲間たちの前に顔を見せるのです。前に進んでいる仲間たちに停滞している自分は水を差す存在になる。それ以上にそんな自分を見せたくない。そんな見栄もあったのではないでしょうか。前向きな宮森が見せた“無理矢理の笑顔”は、彼女が抱えている葛藤の具現化だったように思えます。


また宮森から見たらうまくいっているように見える仲間たちもその実、それぞれが悩みを抱えていました。

例えば声優として売れ始めていた坂木しずかは、本来したいアニメではなく顔出しのタレント仕事がまわってくることに、モヤモヤを感じています。また3Dクリエイターとして着実に経験を積んでいる藤堂美沙も、後輩の指導がうまくいかなかったり新たな挑戦でキャパオーバーを起こしたりと、頑張らなければという気持ちがから回っているようでした。

みんなそれぞれ目の前のことでいっぱいになるあまり、”自分が求める自分”から遠のいているのではないかと葛藤していたのです。

ただそれぞれが、周りの人の手を借りながらなりたい自分に向かって一歩踏み出します。宮森は先述の通り、前社長や元同僚の言葉の力を得て、自分で劇場版オリジナルアニメを作る覚悟を決めました。坂木は先輩声優からのアドバイスを受け、事務所に本当にやりたいことを伝え、藤堂もアニメワークショップに参加した子どもたちの姿から「みんなでやる」「得意を活かす」という頑張り方を学ぶのです。


とりあえず夢を叶えたものの「このままでいいのか」と悩む彼女たちの姿は、私たちに問いかけます。「夢を仕事にする」とは「夢を仕事にし続ける」ということではないか、と。理想にたどりついたとしても、新たな目標が生まれ、そのたびに葛藤するということを。

劇場版『SHIROBAKO』は、良くも悪くもアニメーション業界に染まった彼女たちの等身大を描くことで、夢を追い求めることが実はものすごく地道な行動の繰り返しであるというメッセージも伝えたかったのではないかと思うのです。

SHIROBAKO流、泥臭さ3:ギリギリまで粘って、完成しても粘る

劇場版『SHIROBAKO』の泥臭さは、本当に最後の最後、ギリギリまで続きました。

劇中で制作していた『空中強襲揚陸艦SIVA』が完成したかに思えたラストシーン。監督をはじめ作り手の面々は、作品終盤のテンポがよすぎてもの足りなさを覚えます。ただこの時点で公開まで3週間を切っていました。手を加えるとなると大きなリスクになりかねません。


ただ武蔵野アニメーションは諦めませんでした。自分たちが本当に届けたいものを突き詰めるため、『空中強襲揚陸艦SIVA』のラストシーンをゴッソリと修正する“悪あがき”を選択したのです。そして映画は無事完成。作り手の想いもしっかり乗った形で見る人に届けられ、ムサニには、新たな元請けアニメーション制作の仕事も舞い込んでいました。

と、まあここは劇場版『SHIROBAKO』のラストということもあり、これまでの泥臭さが嘘のようにとても清々しい終わり方だったと思います。「俺たちの戦いはこれからだ」、通称“おれたたエンド”がこんなにも似合う作品はないだろうと思えるラストでした。

ただ、本当にラストシーンを修正しているなんて、おれたたエンドが現実のものとなっているなんて、誰が予想したでしょうか。


コロナ禍で当初の公開日から思うように上映できず、観にいきたいと思ってくれている人に作品を届けられなかったことを受け劇場版『SHIROBAKO』は、再上映を決定しました。そしてその内容が本作で監督を務めた水島努さんによると、700カットにものぼる作り直しとラストシーンの再撮影をしたリマスター版の上映だったのです。


2月に上映したものを再上映する選択もあったでしょう。個人的にはリマスター版でなくても2020年のTOP5に入る大満足の作品でした。

でもあえて超ボリュームで作り直した作り手の皆さんの“悪あがき”に生ける武蔵野アニメーションを見た気がして、ますます作品への愛が深まりました。

劇場版『SHIROBAKO』で明日からのエネルギーをチャージ


「観るレッ○ブルだ」

劇場版『SHIROBAKO』を観た筆者はこう感じました。実際に筆者は映画を観終わったあと、帰りの電車内でパソコンを開き仕事をはじめ、普段にはないくらい集中力を発揮したのを覚えています。それくらい本作は、「さあ、仕事がんばろ」とエネルギーをもらえる作品でした。

劇場版『SHIROBAKO』はかっこよくない映画だと思います。出てくるキャラクターはみんな、目の前にある問題をどうするのか、必死にあがいています。しかもフィクションではあるもののリアルなお仕事ものなので、必殺技や異世界のアイテムでババーンと華やかに、スタイリッシュに解決することはできません。ただただ地道に、目的の達成のために自分ができることするだけなのです。

ただこれこそが「仕事をするとは何か」の答えだと思います。

「仕事を頑張る」を綺麗ごととしてではなく、あくまで現実的に描いた劇場版『SHIROBAKO』の泥臭い努力が集まって結果を出すというラストは、観る側の日常にも希望を灯してくれるはずです。



それでは最後にご唱和ください。
「悪あがきだよ!ヨーソロー!」

(文:クリス)

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