『サイダーのように言葉が湧き上がる』の「7つ」の魅力を全力解説!
2021年7月22日(木・祝)より、アニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』が公開される。
本作は、絶大な支持を得たテレビアニメ『四月は君の嘘』のイシグロキョウヘイ監督による、原作のない完全オリジナル作品だ。監督は、公式サイトで「この映画はポジティブなメッセージにあふれている。映画を見終わったあとにほんの少し自分に自信が持てる、そんな僕たちのメッセージを、どうか受け取ってください」というコメントを送っている。
その通り、本作は圧倒的な「肯定感」にあふれていて、かわいらしくて、そして元気がもらえる映画だ。そして「誰かのために一生懸命になることの素晴らしさ」を説いており、それはずっと心に残るほどに尊いものだった。アニメとしてのクオリティも最高峰クラスであり、心から「老若男女におすすめできる」「映画館で観てほしい」と願えた。
そして、本作は新型コロナウイルスの影響により、当初の2020年5月15日の公開予定日から、1年以上もの延期を経て、やっとの公開を迎える。理由は後述するが、むしろコロナ禍が続きながらも夏本番を迎える今こそ、観るべき映画にもなっていた。そして、大ヒット公開中の『竜とそばかすの姫』と合わせて観てほしい理由もあったのである。
ここでは、たっぷりと『サイダーのように言葉が湧き上がる』の魅力をお伝えしよう。ネタバレは含まないように書いてはいるが、予備知識なく観たい方は先に劇場へ駆けつけてほしい。
また、後にも引用するが、イシグロキョウヘイ監督本人が作品を解説する「サイコトチャンネル」というYouTubeチャンネルがあり、大ボリュームのトリビアや制作背景をイシグロキョウヘイ監督自身が語る動画がアップされている(ネタバレと言えるシーンの解説もあるが、その時には必ずその警告をしている)。ぜひ、映画と合わせて楽しんで観てほしい。
1:コンプレックスを正面から描いた物語
本作の主人公は実質的に2人いる。「コミュニケーションが苦手な少年」と「マスクで素顔を隠す少女」だ。口に出せない気持ちを趣味の俳句に乗せていた少年「チェリー」と、矯正中の大きな前歯を隠すためにマスクをしている少女「スマイル」。2人はショッピングモールで偶然出会い、やがてSNSを通じて少しずつ言葉を交わしていく。ある日、2人はバイト先で出会った老人のフジヤマが、失くしてしまった思い出のレコードを探していることを知ったため、自分たちの手で探そうとする……というのがあらすじだ。
主人公2人の悩みは、とても共感しやすいものだ。チェリーは人とうまくコミュニケーションができず、趣味(俳句)作りに没頭し、そこで声に出して言いたい気持ちを溜め込んでいる。スマイルはSNSでの人気配信者だが、ずっと矯正器をつけている自分の容姿を気にして、外では常にマスクをつけている。2人とも思春期ならではの、もしかしたら大人になってからも続くかもしれない、普遍的なコンプレックスを持っているのだ。
そのコンプレックスが、ひと夏の恋物語を通じて、どのように解消されていくのか。もっと言えば、「自己肯定感」が持てるようになるまでの彼らの心情の変化が見所となっている。言うまでもないが、誰しもが大なり小なりコンプレックスを抱えていて、そのせいで自己肯定ができなくなるというのは、ごくありふれたものだ。だけど、そのコンプレックスを憂いてばかりはいられない。これは、恋愛だけに限った話ではない、前に進むための「一歩」の物語とも言える。
ちなみに、イシグロキョウヘイ監督は『トレインスポッティング』(96)や『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(98)といった群像劇の映画も意識していたことがあったそうだ。最終的には青春と恋愛の要素を強く打ち出し、主人公2人にフォーカスを当ててまとめ直したために、群像劇の要素は控えめにはなったが、脇役にもちゃんとスポットが当たる瞬間があり、「彼らの行動もあってこそ」の物語にもなっている。土台に群像劇があったことが、作劇にプラスになったのは間違いないだろう。
2:市川染五郎と杉咲花が超ハマり役&かわいいでいっぱい!
その主人公2人をもっと魅力的にしているのは、市川染五郎と杉咲花の声の演技。2人とも完璧と言っていいほどのキャラへのハマりっぷりで、コロコロと変わるアニメの表情の豊かさも相まって、思春期の少年少女のかわいらしさがフルスロットル。ただやり取りを観ているだけでニヤけてしまう。男の子のチェリーは実際に声が「かわいい」と言われるシーンがあるのだが、イシグロキョウヘイ監督はその(佐藤大と共同執筆した脚本の)セリフに合うかわいらしい声を探し出すことに難航したらしい。ところが、市川染五郎が出演する舞台を観に行った時に「この声だ!」と確信したそう。当の市川染五郎も「自分が歌舞伎について話す時と、チェリーが俳句について話すときの声のトーンもテンションも高くなることが重なっている」ことをアフレコに活かすように意識したとのこと。その朴訥とした、ちょっとオタクっぽくもある、不器用さと誠実さが同時に伝わる演技と声質は、これ以上には考えられないほどの適役で、そして確かにかわいらしかった。
女の子のスマイルを演じる杉咲花は、イシグロキョウヘイ監督が『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)の彼女の演技に感動したからこそオファーしたところもあるという。特に、同作の「顔を埋めて泣く演技」には「顔も見えていないのに、声だけでこれだけ感情を伝えられるというのは、本業の声優さんでもなかなかいない」と絶賛したそう。何より、表面上はポジティブであっても、コンプレックスを抱えていて、実は繊細な心情を抱えている少女の心の揺れ動きを、杉咲花は見事に演じ切っていた。その透明感のある声そのものも、ずっと聞いていたくなるほどに綺麗だった。
さらに、その他のキャストは、潘めぐみ、花江夏樹、梅原裕一郎、中島愛、諸星すみれ、神谷浩史、坂本真綾、山寺宏一、井上喜久子と、超人気声優陣が勢揃いしており、言うまでもなく漏れなくハマっている。実はイシグロキョウヘイ監督によると、本作ではオーディションではなく、すべて「決め打ち」でオファーをしており、フラットな視点を持ちながらもキャラに合うことを最優先にしたキャスティングをしているらしい。
その上で、イシグロキョウヘイ監督は「人気だけで選んでいるという風には思ってほしくない」「情とか、個人的な関係性だけでキャスティングするようになったら、監督して終わりだと思いますね。その判断基準がブレている時点で、監督としての腕は鈍っていると思います」などと、厳しいキャスティングの矜持を「サイコトチャンネル」について語っている。「本職の声優さんを選んでほしいと願うアニメファン」に対しての言葉もとても誠実であるので、ぜひ、聞いてみてほしい(14分42秒ごろから)。
3:最初はSFだった?『聲の形』のあの人も参加した「音楽」もテーマに!
本作は「音楽」も大きなテーマとなっている。なにしろ「思い出のレコード」がキーアイテムとなっており、物語構造からして「音楽が持つ力」にスポットが当たっているのだ。その音楽が持つ力は「記憶」という要素にもつながっている。かつて聞いた音楽のメロディ、「懐メロ」から当時のムードや、その頃の感情を思い出した、という方は少なくはないないだろう。「音楽が記憶を呼び起こす」ことも重要なファクターとなっているのだ。
さらに、音楽がテーマとなっている以上に、映画の音楽そのものもこだわり抜かれていることにも注目してほしい。音楽制作を務めるのは『マクロス』シリーズをはじめ、アニメの劇伴やアニソン制作を手がけている音楽レーベルのフライングドッグ。同社の10周年記念作品ともなるこの本作では、『映画 聲の形』(2016)でも高い評価を得た牛尾憲輔が劇伴音楽も担当している。
耳に残り、また思春期のみずみずしい感性を表したかのような繊細な音楽は、ずっと聞いていたくなるほどの心地よさだ。劇中歌の大貫妙子、never young beachの主題歌もベストマッチだ。
ちなみに、当初の企画では「音楽のない世界」が舞台であるSF作品であり、物語が進むにつれて音楽を取り戻していくという、新しいアニメ映画を作る案があったそうだ。実際の本編ではSF要素はほぼ皆無になっているが、まさに音楽がテーマとなっていることなどに、その名残がある。
4:ショッピングモールという舞台、そして爽やかな画
ショッピングモールという舞台も独特で楽しい。群馬県高崎市、棟高町のイオンモール高崎がモデルとなっており、実際とは細部の作りは違っているそうだが、アニメ映画内で「丸ごと」ショッピングモールが作られたような面白さがある。そのショッピングモールは飲食店や映画館など、ありとあらゆるお店が集っている、言ってしまえば「世界」が詰め込まれたような場所だ。劇中ではモール内のデイサービスセンターが大きくクローズアップされており、モール内ではあっと驚くカメラワークのアクションも展開する。ゾンビ映画の定番でもある舞台が、これほどまで爽やかな青春恋愛アニメ映画に合っているというのも含めて、その試み自体に感動できるのだ。
「聖地巡礼」してみるのも実に楽しそうだ。実際に「サイコトチャンネル」では群馬県高崎市牛伏山を探訪する動画もアップされている。
そして、シティポップ調の爽やかな画も、本作の大きな魅力だろう。1980年代のポップカルチャーを代表するイラストレーターの、わたせせいぞう、鈴木英人の他、吉田博や川瀬巴水という写実的な版画家のテイストも取り込まれており、大きなショッピングモールを俯瞰して捉えたようなダイナミックな画、「言葉にならないほどの美しい光景」を体現したシーンは、スクリーンで見届ける価値観が存分にある。
5:俳句にも「つながり」を持たせた作劇
「俳句」も本作の重要なモチーフとなっている。タイトルの『サイダーのように言葉が湧き上がる』も、よくみると「サイダーの(5)」「ように言葉が(7)」「湧き上がる(5)」と、五・七・五の俳句になっている。実は、このタイトルは現実の高校生が詠んだ句を採用しており、劇中で主人公のチェリーが詠む句も全て高校生が考えたものだったりするのだ(ちなみに主人公のチェリーの年齢は17歳であり、俳句の五・七・五を足した数と同じ)。主人公のチェリーは俳句をこよなく愛し、季語が記された「歳時記」を持ち歩いて、いつでも俳句を詠めるようにしていた。そして、俳句はやがて彼を文字通りに「前身」させていく。不器用でシャイであった彼の感情が、「熱」を持って表現する俳句へと転じ、そして物語が動き出していく、さまざまな要素が有機的につながっていくようなダイナミズムを感じることができた。
なお、脚本の初期の段階から俳句をモチーフにする発想はあり、脚本家の佐藤大から「日本語ラップの始祖は俳句かもしれないという説がある」をいう話を聞いたイシグロ監督は、「俳句好きの要素を主人公のチェリーに加え、音楽的な表現にもつながっていくような構成にできれば、これまでにない内容になる予感があった」のだという。前述した「音楽」というテーマが、「俳句」にもリンクしているというのも面白い。
ちなみに、イシグロキョウヘイ監督によると、本作の音楽的なコンセプトはPerfumeの楽曲「ポリリズム」であり、その理由は「俳句の中にポリリズムを感じたから」だったのだという。こちらも詳しくは「サイコトチャンネル」で語られているので、ぜひ聞いてみてほしい。
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(C)2020 フライングドッグ/サイダーのように言葉が湧き上がる製作委員会