【徹底解説】『イン・ザ・ハイツ』がミュージカル映画のニュー・スタンダードとなる理由(ワケ)
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ミュージカルが苦手だ。「突然脈絡もなく、登場人物が歌い出すなんて不自然じゃありませんか!」と野暮なことをいうつもりはない。映画なんて、そもそも“不自然なこと”を“自然なこと”に無理やり転換させて描く、徹頭徹尾ツクリモノの世界だ。
そういうことではなくて、単純にさっきまで普通のトーンで話をしていた人物が、急にテンションを変えて「自分の心情や感情」を高らかに歌い上げられると、何だかミゾオチあたりがモゾモゾしてしまい、喩えようもなく気恥ずかしくなってしまうのである。正直に申し上げると、『レ・ミゼラブル』(2012年)や『グレイテスト・ショーマン』(2017年)は観ていて辛かった。まあ単に、ミュージカルに対する個人の耐性の問題なんだけれど。
『イン・ザ・ハイツ』も鑑賞前はかなり及び腰であった。アリアナ・グランデとか、ヒュー・ジャックマン、ドウェイン・ジョンソン、リース・ウィザースプーンなど錚々たるセレブがSNSで絶賛するコメントをしていることは知っていたが、正直絶対に観たいと思える作品ではなかったことを告白しよう。
だが、 そんなミュージカル弱者の筆者にとって『イン・ザ・ハイツ』は、奇跡的と言っていいほどに気恥ずかしさ係数ゼロの作品であり、歌と踊りが、驚くほど素直に目と耳に馴染んでくるミュージカルだった。
正直、ミュージカル演出(特に編集)が優れて傑出しているとも思わないし、全体的に冗長と感じてしまったのも事実。それでも筆者は、『イン・ザ・ハイツ』がミュージカル映画のニュー・スタンダードに足り得る作品だと考えている。その理由について、具体的に解説していこう。
ブロードウェイを牽引する天才、リン=マニュエル・ミランダ
まずは作品の概要を簡単におさらいしておこう。本作は2008年にブロードウェイで上演された同名ミュージカルが元になっている。VARIETYやTIMEといった有名紙が絶賛評を寄せ、トニー賞13部門ノミネートのうち作品賞、楽曲賞、振付賞、選曲賞の4部門で受賞。この傑作ミュージカルを創り上げた人物こそ、現在のブロードウェーを牽引する天才、リン=マニュエル・ミランダだ。
プエルトリコからの移民の息子であるミランダは、ニューヨークのアッパー・マンハッタンにあるワシントン・ハイツで育った。ミュージカルに興味を持つようになったきっかけは、7歳のときに家族と観た『レ・ミゼラブル』。高校時代から本格的にミュージカル劇に取り組み、『イン・ザ・ハイツ』のドラフトを書き上げたのは、なんと彼が大学2年生のときだった。
「『イン・ザ・ハイツ』の第1稿を書いたのは、大学が冬休みのときでした。寝ないで書きました。長く付き合っていた彼女が海外に行ってしまったのです。19歳のときに最も必要な2つの要素、“時間”と“怒り”が突然やってきました」(リン=マニュエル・ミランダへのインタビュー記事より抜粋)
ミランダは、ウェズリアン大学の学生劇団と共に80分1幕モノのショウを開催。この時点でフリースタイルのラップやサルサの要素が組み入れられていたというから、かなり先駆的な作品だった。このミュージカルは、「ヒップホップ版『RENT』」のようだ」と評判に。ショウを観劇してその完成度に打ちのめされた大学の先輩&卒業生が、「ブロードウェイでの上演を視野に入れて、一緒にやってみないか?」と誘ったことから、ミランダの才能は大きく世に羽ばたくことになる。
『イン・ザ・ハイツ』が初演されたのは、2008年3月9日のリチャード・ロジャース劇場。評判が評判を呼び、ショウは大ヒット。29回のプレビューと1184回の通常公演が行われ、大好評のうちに閉幕した。もちろんハリウッドが、この金のタマゴ的コンテンツを見逃すはずはない。ブロードウェイの初演から10年以上を経て、2021年遂に公開の運びとなったのだ。
ヒップホップ的スピリットで描かれる、テン年代の新しいミュージカル
『イン・ザ・ハイツ』で特筆すべきは、ストーリー面においても、音楽的な面においても、ヒップホップ的な文脈で描かれていることだろう。リン=マニュエル・ミランダは、アレキサンダー・ハミルトンの生涯を描いたミュージカル『ハミルトン』で主演・脚本・音楽を担当しているが、そのインタビューで「彼の伝記を読んだとき、非常にヒップホップ的だと感じた」と答えている。
ハミルトンの父親はスコットランド貴族だったが、生まれた時にはカリブ海の小さな島の一商人に没落していた。孤児となったハミルトンはアメリカの地で貧困から逃れようと苦闘し、己の才覚を頼りに立身出世を果たす。最終的に彼は初代財務長官に就任し、合衆国憲法を起草して“アメリカ建国の父の1人”と呼ばれるまでに到るのだ。
そんなハミルトンの姿を、ミランダは自分の苦闘の歴史をラップで表現するヒップホップ・アーティストに重ね合わせたという。ハミルトン自身は白人だったが、ミュージカルでは有色人種の俳優が演じたのは、ヒップホップ的な熱量を表現したかったからなのである(ちなみに『ハミルトン』は(Disney+ (ディズニープラス)で視聴可能なので、興味のある方はぜひ)。
『イン・ザ・ハイツ』もまた、そんなヒップホップ・スプリットで作られている。ウスナビ(アンソニー・ラモス)、ベニー(コーリー・ホーキンズ)、ニーナ(レスリー・グレイス)、ヴァネッサ(メリッサ・バレラ)。貧しく犯罪率が高いとされているワシントンハイツの地で、若者たちは夢を語り、その想いは歌となる。『イン・ザ・ハイツ』における音楽表現は、ニューヨークのストリート感覚に基づいているのだ。だからこそ筆者のようなミュージカル弱者であっても、照れも気恥ずかしさもなく、ストレートに心に響く。
さらに言えば、オープニングを飾るナンバー『In the Heights』は登場人物たちの「夢」がマッシュアップ的に繋がっていくが、そのエディット感覚がヒップホップ的だし、デューク・エリントンの『Take The "A" Train』のフレーズが一瞬だけ引用されるサンプリング感覚も、極めてヒップホップ的。
つまり『イン・ザ・ハイツ』は、ヒップホップ的スピリットで描かれるテン年代の新しいミュージカルなのだ。
移民、多様性、社会問題。ラテン・アメリカンの視点から語られるニューヨーク・ストーリー
『イン・ザ・ハイツ』は、移民の物語でもある。そこから浮かび上がるのは、民族としての多様性…ダイバーシティだ。プエルトリコからの移民の息子であるミランダにとって、多様性はその作家性と分かち難く結びついている。ミランダの推薦で監督に就任したのが、台湾系アメリカ人のジョン・M・チュウであることも、その大きな証左だろう。
舞台となるニューヨークは、メルティング・ポット(人種のるつぼ)と呼ばれるくらいに様々な人種が暮らすビッグ・シティだが、マンハッタンの最北端、ハーレム地区のさらに北に位置するワシントンハイツは、居住する約20万人のうちおよそ7割がヒスパニックというエリア。しかし一言でヒスパニックといっても、その出自は様々だ。
本作では、ヒスパニック系の移民たちが団結する物語を描きつつも、ドミニカ、プエルトリコ、キューバ、メキシコと、ヒスパニックと一括りにされがちな彼らのバックボーンをしっかりと描くことで、“単一としての共同体”と“民族としての多種多様さ”を同時に表現している(実際にそれぞれの国旗が登場するシーンもアリ)。
その多様性はストーリーだけではなく、音楽でも表象される。ドミニカならバチャータ、プエルトリコならサルサ、キューバならマンボやルンバ。彼らが歌うビート、リズム、メロディに、彼らのバックボーンが息づいている。『イン・ザ・ハイツ』のミュージカルとしての現代性が、そこにある。
ニーナが大学で人種差別の被害に遭うプロットや、 ソニー(グレゴリー・ディアス)が非正規雇用に悩むプロットは、元のミュージカルにはない映画オリジナルの設定。彼らの苦悩や葛藤は、いまそこにある社会問題だ。『イン・ザ・ハイツ』は、夢や希望だけではなく、生々しい現実も切り取っている。いかにこの映画が、現代性に自覚的であることがよく分かる。
ジョン・M・チュウ監督は、『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)からインスピレーションを得たと語っている。かつてWASPの目線から語られたニューヨークの物語は、スパイク・リーによってアフロ・アメリカンの視点から語られるようになり、さらにそこから30年近くの時を経て、ラテン・アメリカンの視点から語られるようになったのだ。
『ウエスト・サイド・ストーリー』との奇妙な符号。ミュージカル映画は新しいフェーズへ
実はこの映画は、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ウエスト・サイド・ストーリー』(現時点で、2021年12月10日公開予定)と撮影が重なっていた。『イン・ザ・ハイツ』は実際にワシントンハイツで撮影されたが、『ウエスト・サイド・ストーリー』も目と鼻の先にあるハーレム付近で撮影が行われていたのだ。
筆者にはこれが不思議な符号のように思える。ある意味で『イン・ザ・ハイツ』は、ワシントンハイツというラテン・アメリカのエリアから紡がれた『ウエスト・サイド・ストーリー』だからだ。
「私は高校で『ウエスト・サイド・ストーリー』を演出したことがありますが、定番のミュージカルの中には、自分の強みを発揮できるものがないことに気づきました。そこで、"足りないものを書こう "と思ったのです。そして、いろんな力が私を後押しして、『イン・ザ・ハイツ』に繋がっていったのです。愛を持って、自分自身を語ることができるか?自分たちの住む地域について話すことができるか?と」(リン=マニュエル・ミランダへのインタビュー記事より抜粋)
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をニューヨークを舞台に翻案した『ウエスト・サイド・ストーリー』が、スピルバーグの手によってアップデートされるよりも早く、ミランダは自分自身の『ウエスト・サイド・ストーリー』を世に放ったのだ。
近い将来、『ハミルトン』もリン=マニュエル・ミランダの手によって映画化されることだろう。いま確実に、ミュージカル映画は新しいフェーズに突入しようとしている。
(文:竹島ルイ)
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