デヴィッド・ボウイというロック・スターを扱った異色の音楽映画『スターダスト』の不思議な魅力
と、一見普通の音楽伝記映画に見えるが
『ボヘミアン・ラプソディ』や『ロケットマン』を引き合いに出さなくとも、ロック・スターやポップ・スターを扱った伝記映画は「下積み→ヒット→苦悩→再起」や「下積み→苦悩→ヒット」のような構造をとることが多い。要はどこかで一度は「成功」する。が、本作は「一度成功してから再度の成功直前まで」の谷間を描くので、サクセスストーリーが持つ爽快感のようなものはなく、「え、ボウイって『世界を売った男』のとき、アメリカじゃこんな扱いだったの?」といった「大好きなミュージシャンのアザーサイド」を見せられるような奇妙な捻れがある。ファンならばけっこうなショックを受けてしまう可能性すらあるかもしれない。
とはいえ、熱狂的なファンであっても「デヴィッド・ボウイにもこんな時代があって、ポップ・スターとして大成するためには隠れた苦悩があったのだな」と陽性の反応をする人もいれば、極北においては「こんなもんデヴィッド・ボウイじゃない。いくら死人に口なしって言ってもよ」と陰性の反応をする方もいるだろう。
ドキュメンタリーやフィクションはさておき、史実を元にした音楽映画、とくにロック・ポップスターたちを扱ったものは、未だ関係者の多くが存命しており、資料なども豊富にある。なので考証をガッツリできる、というのが良作が次々と登場している理由のひとつだろう。だが、これは関係者存命で資料が豊富、さらには人々やファンの記憶があるなどの点から「ワキが甘けりゃボロクソ言われる」危険性が常にある。
これは描き方も同様で、どんなに事実を直視し、真摯に作ったとしても「大好きなミュージシャンの映画だと思って楽しみに観に行ったら、何だかバカにされた気分になってしまった」なんて反応をされる可能性も否定できない。
では本作はどうか。某トマトサイトのクリティック評価は芳しくないが、流し読みする限り、不満点のほとんどは「ジョニー・フリンがそこまでデヴィッド・ボウイに似ていない」と「デヴィッド・ボウイの楽曲が使用されない(許可が取れなかったので)」の2つに集約される。
前者に関しては、全てに同意することはできない。アンディ・ウォーホルのファクトリーでポートレート撮影をするシーンは比較的似ていると思うし、動きも割と完コピに近い。そもそも最近は「似すぎている」作品も多いので、「似ていなければいけない」といった思い込みの力も作用しているような気がする。さらに題材が、あのデヴィッド・ボウイなので指摘されやすい(あるいは、指摘したくなる)のは仕方がないだろう。
後者の指摘に関しては、全面的に同意もできるし、逆に否定もできる。肝心要のシーンでデヴィッド・ボウイの名曲がかかる。それは最高だし感動するだろう。ドサ周り最中のどうしようもないライブ会場だって、ボウイの曲を弾き語れば「伝説を目撃した」ような気分にもなれるだろう。
だが、本作はデヴィッド・ボウイの楽曲が「使えなかった」という制約の結果、まったくエモくなく仕上がっている。「ここぞ」とばかりに名曲を使用し、エモさフルテンで大いに興奮させ、泣かせる伝記音楽映画がほとんどのなかで、エモさが皆無なのはかなり新鮮だと言っていいし、それがまた「谷間」の物語を補強しているように思えてならない。「世界的に有名なロック・スターを扱った伝記映画なのに、まったくエモくなく、萌えもしない」という一点だけでも、上記の指摘を打ち消すに十分な魅力がある。
「スターダスト(星屑)」とは、散らばって光るたくさんの小さい星、という意味である。デヴィッド・ボウイは、その星屑のひとつに「ジギー」と名を付け、今でも語り継がれる「ジギー・スターダスト」を生み出した。本作もまた陽性・陰性の反応はどうあれ、無数の星のひとつとくくってしまうにはもったいない、語られるべき価値をもっている映画であると思う。
(文:加藤広大)
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