2021年11月25日

<新作レビュー>『水俣曼荼羅』、原一男が慈愛深い視点で患者たちと向き合う超大作

<新作レビュー>『水俣曼荼羅』、原一男が慈愛深い視点で患者たちと向き合う超大作



■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT

先ごろジョニー・デップ主演の『MINAMATA』(21)が日本でも公開されたことで、改めてクローズアップされている水俣病ですが、ちょうどタイムリーな形で『ゆきゆきて、神軍』(87)『全身小説家』(94)などの巨匠・原一男監督の堂々6時間を超える(372分!)ドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』が公開されます。

(6時間といっても、実質はおよそ2時間×3部作の仕様で、ちゃんと休憩もありますのでご安心のほどを)

水俣問題に関しては、土本典昭監督による一連のドキュメンタリー映画があまりにも有名ですが、原監督は土本監督の遺志を受け継ぎつつ、21世紀の今の視点でこの問題に迫っていきます。



ここでは水俣病とは何ぞやといった基本的なことは冒頭で軽く説明しておいて、メイン・モチーフとしては水俣病に認定してもらうために、それこそ50年以上も国や県と闘い続けている水俣病患者の人たちの熱い心であったり、それゆえの苦悩であったり、またそんな人々にも当然ながら庶民としての日常という穏やかな日々があることまでもじっくりと捉えていきます。

それは何の罪もないのに病魔に侵され、その責任を問いただそうとするも、国や県ののらりくらりした態度、そしてしたたかな対応に苦慮し続ける一般庶民の等身大の姿でもあります。

これまでの原監督作品の中では、対象となる患者の人々へ向けるキャメラアイが、ここまで優しく温かく慈愛深いのも特筆すべき事象でしょう。

もっとも、原監督ならではの粘っこい取材姿勢は、たとえ優しくとも容赦なく、たとえば結婚した患者さんの新婚初夜についてしつこく問いただしてみたり、患者としても活動家としても著名な女性の恋愛談義を、対象となった男性を交えてインタビューするなど、そういった意味での原映画としての探究心も、俄然健在!?



また、彼らをないがしろにし続けながら「水俣の問題は既に解決済み」と世間に思わせたい国や県といった親方日の丸の面々の醜い表情もキャメラは逃すことはありません。

(第1部の最初のほうから、人間ここまで非道な表情ができるものかとでもいった、恐怖すら感じる人物のアップ・ショットを目撃することもできます)

また第1部は水俣病認定に関しての、従来の抹消神経が問題なのではなく脳に原因があると指摘する医師の言動も実に興味深いものがありました。

正直、見る前は6時間という長さに身構えていましたが、実際は物理的時間こそかかるものの3本立ての映画を一気に見たような充足感と映画的満足感ゆえに精神的負担がかかることはほとんどなく、一方では今なお続くこの問題に際しての理不尽極まる体制への怒りなど、さまざまな想いに包まれてしまうこと必至。

ここ四半世紀ほどの原監督のキャリアの中でも映画ファンのみならず必見の最高傑作であると断言しておきます。

(文:増當竜也)

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