映画コラム
『ゴーストバスターズ/アフターライフ』 が2016年版の「アンサー」かもしれない理由
『ゴーストバスターズ/アフターライフ』 が2016年版の「アンサー」かもしれない理由
3:2016年版にまつわる問題にも向き合ってくれていたのかもしれない
ここからは、2016年版のことについて触れていこう。長くなることをご容赦いただきたい。『ゴーストバスターズ/アフターライフ』は(1作目および2作目の)「正統続編」と銘打たれており、今回の公式の文言では2016年版についての記述はほとんどなく(公式サイトでもほぼ無視!)、まるで黒歴史のように、なかったことにされてしまってしまっている印象を受けるのだ。
実はその2016年版は、「女性たちが主人公」という理由でYouTubeの予告編が公開された時点で本国で大ブーイングの嵐となり、批評サイトでの不当な点数下げまでもが行われるという、悪辣な女性差別を浴びた。この騒動および興行成績の伸び悩みが原因となり、2016年版は続編が作られることはなく、リブートが1作のみで終了してしまったのだ。
さらに2016年版の出演者であるレスリー・ジョーンズは、公開当時に女性差別と黒人差別の両面でTwitterで誹謗中傷をされた。その後にレスリーは、リブートを無視して1作目と2作目の続編を作るという発表に「侮辱的だ」「ドナルド・トランプがやりそうなこと」と痛烈な批判もしていた。
さらに、『ゴーストバスターズ』シリーズのBlu-rayをまとめた「アルティメットコレクション」に、2016年版が収録されないことが問題となった。2016年版のポール・フェイグ監督は「これは間違いであると分かっているよ」とツイートをした。
Um … @SonyPictures, I know this must be a mistake. We do have a lot of fans and Bill, Dan and Ernie were in it and it won the Kids Choice Award for Best Feature Film the year it came out. So, I guess this was just an oversight? #weareallghostbusters ?❤️ https://t.co/dI8TwJsG4I
— Paul Feig (@paulfeig) December 22, 2021
作品そのものの良し悪しとは関係なく手前勝手な女性差別により作品や出演者を貶める行為は言語道断であるし、「究極の(Ultimate)」を冠したソフトで支持者も多い2016年版を無視する公式の動向にも強い怒りを覚える。
スタッフとキャストが心血を注いだ、女性を主人公に迎えたことにこそ意義がある作品を、女性差別にまつわる問題によりお蔵入りまたは「触れない」ようにするのは、その差別感情を助長させてしまいかねないのではないか。前提として、これらの作品への不当なバッシング、2016年版をなかったことにするような動向には、いっさいの擁護ができないことを強く告げておく。
だが、2016年版が大好きな筆者であっても、そちらを全肯定できない、作品としても問題があったと思うこともある。それは、1作目の主人公であったビル・マーレイを、アンチオカルトの研究者として登場させていたことだ。ファンサービスでもあるはずの出演者を、敵対者どころかほぼ悪役にしてしまったのは、流石にいかがなものかとも思ったのだ。
また、2016年版のクリス・ヘムズワースが演じたケヴィンというキャラクターは度を超えたマイベースで無能な役回りとなっており、それはこれまでのハリウッド映画で女性がマスコット的な扱いになっていたことの裏返しと言える批評性を持たせていた。このケヴィンは世間的にも大好評であったし、個人的にもギャグとして大好きで、もちろん意義のあることだとは思うが、良し悪しは別にして作品そのものがやはり男性権威主義的な社会や映画の在り方への「カウンター」になっていたことは事実だろう。
そして、『ゴーストバスターズ/アフターライフ』の本編を観れば、(公式の文言で扱われていないことを除けば)実は2016年版をないがしろにはしていない、その精神が受け継がれながらも、「敵対」については大いに避けていると思ったこともあったのだ。
その理由の筆頭は、主人公たち4人が、男子2人と女子2人という組み合わせの子どもたちであることだ。1作目および2作目の男性だけでも、2016年版の女性だけでもない、男女混合のチームのゴーストバスターズになったことそのものに、これまでのシリーズの「折衷感」があり、しかも子どもも主人公になれたことで、「誰もがゴーストバスターズになれる」かのような、さらなる多様性を感じることができたのだ。
しかも、前述したように主人公のフィービーは科学が大好きだが、そのことを母親から理解されない少女で、意外と「やる時はやる」性格だったりもする。2016年版の理系の知識を持ち破天荒でもあった女性たちの特徴や悩みが、このフィービーに投影されたようにも見えるのだ。
さらに、IMDbのトリビアによると、『ゴーストバスターズ/アフターライフ』のジェイソン・ライトマン監督は、ゴーストバスターズファン感謝イベントで、2016年版のポール・フェイグ監督にこう感謝の言葉を述べている。
「あなたはひどい弾丸(批判や誹謗中傷)を受けながらも、ドアをこじ開けた最初の人です。あなたは、私と他の多くの人々が望む、世界中のあらゆる人種や性別のゴーストバスターズの映画を可能にしてくれました」
この言葉通り、2016年版は女性たちの、それもレスリー・ジョーンズという黒人女性もチームに加えたゴーストバスターズのチームを実現させた。
推測にすぎないが、その2016年版への感謝と敬意が、『ゴーストバスターズ/アフターライフ』における子どもたちの男女混合チームや、科学が大好きな少女を主人公にしたこと、さらにはケニア生まれの俳優セレステ・オコナーのキャスティングにつながっていたのではないだろうか。
さらに、『ゴーストバスターズ/アフターライフ』の物語の根底にあるのは、前述した通り「継承と和解」だ。2016年版を含む『ゴーストバスターズ』シリーズの面白さや魅力を引き継ぎ、かつ敵対することも避けていき、仲良く共に歩んでいくような尊さを、劇中で示しているとも言えるのだ。
この精神に則って、公式の文言でも2016年版をちゃんとシリーズのひとつとして取り扱ってほしいし、なんなら『スパイダーマン』シリーズよろしく「マルチバース」的な展開で2016年版のキャラクターが今後のシリーズに再登場したりしても良いと思う。ていうかケイト・マッキノン演じる天才科学者のホルツマンが(他のメンバーも)最高だからもっと観たいんだよ!
とにかく、1作目も2作目も2016年版も大好きなファンとしては、シリーズの作り手や出演者、もちろんそれぞれの作品が好きな受け手も、お互いにいがみあったり不満を募らせたり無視するのでなく、仲良くしてほしいと願うばかりなのだ。
2022/2/6追加:こちらの文、また記事全体の主張について「和解などできるわけがない」など多数のご批判をいただきました。厳粛に受け止めます。申し訳ございません。筆者も2016年版へ女性差別をしているような人間には、一切に歩み寄る気持ちはありません。
劇中の「和解と継承」の物語と同じように、『ゴーストバスターズ』というシリーズが、さらに良い方向へと向かっていくことを、心から期待している。
(文:ヒナタカ)
無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。
無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。
© 2021 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved.