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映画コラム

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2023年06月06日

『TAR/ター』『ジョーカー』作曲家ヒドゥル・グドナドッティルの“凄さ”とは?

『TAR/ター』『ジョーカー』作曲家ヒドゥル・グドナドッティルの“凄さ”とは?


ヒドゥル・グドナドッティル

一度で覚えるには少し難しい特徴的な名前だ。しかし特徴的だからこそ印象に残るため、視認的には一目でわかりやすい。

アイスランド出身のチェロ奏者で作曲家のグドナドッティルがハリウッドで活躍するようになってから、実はそれほど年月は経っていない。とはいえホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』でアカデミー賞作曲賞など総なめにしており、世界にその名を知らしめることになった。



グドナドッティルの音楽担当作品として日本では『TAR/ター』(5月12日公開)に続いて『ウーマン・トーキング 私たちの選択』(6月2日公開)が公開を迎えており、場所によっては1日にグドナドッティルの担当作を2作続けて観ることも可能。まさにいま注目すべき映画音楽作曲家のひとりといえる。

【目次】

『ウーマン・トーキング 私たちの選択』“怒り”の先に見つけた音楽が響く

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サラ・ポーリーが監督を務め、アカデミー賞脚色賞を獲得した『ウーマン・トーキング 私たちの選択』は、実話を基に性暴力を受けた女性たちの尊厳をめぐる物語。自給自足で暮らすキリスト教一派の村を舞台に、「赦すか・闘うか・去るか」という選択肢について女性たちがお互いの意見を主張し合う様子が描かれている。

ルーニー・マーラやドラマシリーズ「ザ・クラウン」で注目を集めたクレア・フォイ、そしてアカデミー賞の常連フランシス・マクドーマンドら強力なキャスト陣が集結した本作。性暴力という現代的かつ普遍的なテーマを扱っていることもあり、音楽を担当したグドナドッティルは登場人物に感情移入するあまり“怒り”が曲に影響することもあったという。



確かに本作の楽曲を聴いていると、弦楽器の音色が内に激情を秘めているように感じる部分もある(ネタバレになるので曲名は伏せておく)。とはいえ全体的に音楽を俯瞰すると、いかにもオーケストラで重々しくしました、という印象はほとんど見受けられない。チェロ奏者である強みを活かしてこれみよがしにアピールすることも避け、アコースティックギターを中心にどこか楽観的な楽曲で構成されていることがわかる。

おかげで登場人物たちの感情を音楽が過剰に表現することがなく、一人ひとりのキャラクターが抱えた思いに観客側から自然にアプローチしやすい。観る者を物語に没頭させる意味では「個性がはっきり現れているのに映像のジャマをしない音楽づくり」という点で、作曲家の力量が試されるのかもしれない。

『TAR/ター』グドナドッティルの深淵を覗き込む

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2作短いスパンでの作曲ながら、片や『TAR/ター』は全く毛色の違うスタイルになっている。トッド・フィールドが16年ぶりに監督業を務めた本作は、実力と名声を手に入れた音楽家リディア・ターを主人公にしたストーリーだ。劇中ではクラシックを中心に様々な音楽用語が飛び交うが、かといって音楽映画かといわれれば答えは間違いなくノーだろう。

『TAR/ター』© 2022 FOCUS FEATURES LLC.

むしろジャンル分けが難しい作品であり、サスペンス要素があればホラーのような演出もある。しかしあくまでカメラを据えて捉えているのはタイトルにもあるターその人にあり、実力者ゆえのエゴや苦悩、暴走(ハラスメント)といった内面を冷静に炙り出していく。物語の核心がなかなか見えてこない作品ではあるものの、ターを演じるケイト・ブランシェットがキャリア最高の演技で作品を牽引する。



劇中でオーケストラの演奏シーンが多いこともあり、物語に没頭していた筆者は正直なところ気づけばグドナドッティルがどこからどこまで劇伴を充てていたのか不明瞭だった。面目ない限りだが、サウンドトラックを聴いてみると思いのほか常人では窺い知ることのできないターの精神性を垣間見ているような気分になる。それは時として「不気味」であり、底知れない深淵にじりじりと近づいていく感覚にも似ている。

『TAR/ター』© 2022 FOCUS FEATURES LLC.

同時に本作では若きチェロ奏者オルガ・メトキナ(演じるのは映画初出演のリアルチェロ奏者ソフィー・カウアー)がキーマンのひとりになるため、どうしてもチェロ奏者の顔も持つグドナドッティルの存在が作品の表層に見え隠れする。サントラを聴いているとターの内面を見ると同時にグドナドッティルの才気をまざまざと見せつけられるような錯覚まで起き、思わずぞくりとしてしまう。

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『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』ヨハン・ヨハンソンの遺志を継ぐ

(C)2018 SOLDADO MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

アカデミー賞作品賞にも絡んだ新作2本を紹介したところで、グドナドッティルのプロフィールも併せて過去の作品に触れていきたい。

彼女を語る上で欠かすことのできない存在が、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督とのコラボレーションで知られるアイスランド出身の作曲家ヨハン・ヨハンソンだ。グドナドッティルはヨハンソンに師事しており、『プリズナーズ』『メッセージ』『ボーダーライン』といったヨハンソンの音楽担当作にチェリストとして参加している。



そしてヨハンソン亡きあと彼の遺志を継いで単独登板したのが『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』であり、グドナドッティルの快進撃が幕を開けた瞬間でもある。ヨハンソン作曲の前作『ボーダーライン』は麻薬カルテルや誘拐・暴力事件を描いた内容もさることながら、地獄から湧き出したようなうねりを伴う重低音がとにかく印象的。

そんな師が遺したサウンドを継承しつつ、前作にはなかったグドナドッティル視点の肌身に迫るリアルな緊迫感が『ソルジャーズ・デイ』の要所にある。移民問題や不法入国など、より身近になったテーマがサスペンス性を増すことになり、冷徹かつ暴力的なサウンドが犯罪の蔓延る世界に一層奥行きを与えていく。

『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』(C)2018 SOLDADO MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

前作ではFBI捜査官・ケイト(エミリー・ブラント)視点で物語が進行したが、本作は『ボーダーライン』において(ある意味ケイトよりも)重要な役割を果たしたアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)に主人公がスイッチ。カルテルトップの娘を連れた逃走劇など新機軸もあり、悪意に満ちた世界観はそのままに血で血を洗う抗争はより激しさを増している。

それでも後任を託されたグドナドッティルの音楽からは、プレッシャーを一切感じることがない。本作の時点で今後の活躍を十分予感させており、実際にグドナドッティルは翌年テレビドラマシリーズ『チェルノブイリ』の音楽が高く評価され、さらには同年公開の『ジョーカー』でその地位を不動のものにする。

ジョーカーそのものに影響を与えた『ジョーカー』の音楽

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

DCコミックスを代表するヴィランを単独で描くとあって、トッド・フィリップス監督の『ジョーカー』は公開前から注目度が高かった。『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーがアカデミー賞助演男優賞を獲得しているため、本作の主演ホアキン・フェニックスの演技によりシビアな目線が向けられるのも無理はない話だろう。

ところがフタを開けてみれば、さすが「怪優」と名高いホアキンといったところか。バットマンを描かない作品の中で、徐々に狂気が芽吹いていく道化師アーサー・フレックの非喜劇ともとれる物語は多くの人々を魅了した。ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲得し、アカデミー賞最多ノミネートを果たしたことからも本作に対する評価の高さが伺える。

アカデミー賞では結果的にホアキンが主演男優賞、グドナドッティルが作曲賞を戴冠。ヒースという前例はあるものの、アメコミ映画は賞レースに不向きという逆風を跳ね返す快挙を成し遂げた。



ジョーカーという異常な精神を抱えたキャラクターには、弦楽器の張り詰めた音がよく似合う。たとえば『ダークナイト』で生み出されたジョーカーのテーマ曲もチェロの異様な音が狂気性を際立たせた。となれば『ジョーカー』という作品は、チェリストのグドナドッティルがまさにうってつけの作曲家だったといえる。

実際に本作は、要所要所で響くチェロの重々しく物悲しい音色が印象に残る。『ダークナイト』のジョーカーテーマ曲がジョーカーの狂気を「ぶつけられる」音楽だとすれば、本作はジョーカーの精神構造に深く「潜り込んでいく」(あるいは「飲み込まれていく」)ような感覚に近い。いずれにしても、観客の不安を掻き立てるには十分すぎる装置だ。

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

またグドナドッティルの音楽は、ジョーカーという存在そのものにも影響を及ぼしている。顕著な場面が、本作の象徴ともいえる階段で踊るジョーカーのシーン。グドナドッティルはフィリップス監督から受け取った脚本を手掛かりに作曲を進めており、撮影前から曲のかたちができていた。そして階段での撮影時にグドナドッティルの音楽を流し、その曲に合わせてホアキン=ジョーカーが踊ることであの名シーンが誕生している。

チェロの音色は時に繊細であり、時に狂気性・凶暴性を孕む。待望の続編『Joker: Folie a Deux(原題)』へのグドナドッティル登板も既に決まっており、タイトルが示すとおり彼女の音楽に感染したキャラクターがどのような行動を見せるのか注目したい。

チェリストとしての活躍にも注目

もう少しパーソナルな部分を紹介すると、グドナドッティルはアイスランドのバンド「múm(ムーム)」のメンバーでチェロとヴォーカルを担当。実は彼女の歌声は『TAR/ター』でも聞くことができる。

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また自身が音楽を担当する作品以外にも、チェリストとして楽曲制作に参加しているのは前述のとおり。今年3月に亡くなった坂本龍一氏がアルヴァ・ノトとともに音楽を担当した『レヴェナント:蘇えりし者』もそのひとつだ。

本作ではいかにも映画音楽的なメロディの導入を避け、実在した冒険家ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)や物語の息吹に溶け込み、自然発生的なサウンドに終始している。坂本氏に招かれたグドナドッティルのチェロは極端な主張は見せず、一方で耳にすっと入ってくる旋律とその余韻が印象的。

サントラには未収録だがグドナドッティルが作曲した曲もあり、映画音楽ファンとしてはこの先も坂本氏とグドナドッティルのコラボレーションをもっと見たかったというのが本音だ。彼女は坂本氏から多大な影響を受けていると語ったことがあり、氏の70歳記念企画盤「A Tribute to Ryuichi Sakamoto - To the Moon and Back」にも参加している。

ヨハン・ヨハンソンや坂本龍一氏から影響を受け、飛躍を続けるヒドゥル・グドナドッティル。映画を堪能しつつ、彼女が生み出す音楽やチェロの旋律にもぜひ耳を傾けてみてほしい。

(文:葦見川和哉)

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