インタビュー

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2023年10月02日

巨匠・ジャンフランコ・ロージが映像作家・太田光海に明かす映画術┃「今こそ映画は詩学に立ち返り、現実を別物に変換しなければならない」

巨匠・ジャンフランコ・ロージが映像作家・太田光海に明かす映画術┃「今こそ映画は詩学に立ち返り、現実を別物に変換しなければならない」

10月6日(金)にBunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館を始め日本全国で公開される『旅するローマ教皇』(原題:”In Viaggio”)は、エチオピア占領下のエリトリアに生まれ、イタリアとアメリカ合衆国の二重国籍を持つ特異な映画監督、ジャンフランコ・ロージの最新作だ。

2013年にローマ教皇に就任したフランシスコ教皇の9年間の旅の記録を主にアーカイブ映像から再構成し、今までにない教皇の実像を浮かび上がらせる本作は、ロージのこれまでの映画作りの延長線上に位置しつつ、新たな固有の挑戦の結晶でもある。ロージは、安易なジャンルの区分けに抗いながら組み立てられた静謐かつ重厚な作品群により、これまでにヴェネツィア映画祭金獅子賞、ベルリン映画祭金熊賞、そしてアカデミー賞ベストドキュメンタリー賞など、数々の受賞を重ねてきた。

最新作、そして過去作の裏にあるロージの映画術とその思考に、『カナルタ 螺旋状の夢』監督の映像作家・太田光海が単独インタビューで迫った。話題はロージの映画作りの秘訣から、映画の未来に対する展望まで、多岐に渡った。


*インタビューは英語で行われた。

「フレーミングが正しい時は、フレームの外部に属する事物も見えるようになる」

写真左がジャンフランコ・ロージ、右が太田光海

太田:今日は忙しい中、時間を取ってくれてありがとうございます。私は太田光海と言いまして、映像作家であり、人類学者です。今日は新作の『旅するローマ教皇』について、そしてそれ以外の作品のことも絡めながらあなたの映画作りに関する中心的アイデアについて掘り下げていきたいと思います。早速質問に移りたいのですが、『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』(2016)の中で私はあなたの「眼鏡」に対する特徴的な視点に気付きました。

『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』はイタリアの最南端にある小さな島、ランペドゥーサ島を舞台に難民問題に迫った作品。難民たちの様子が描かれる一方で、自然にあふれるこの島で生活する生活する少年サムエレたちの日常が映されていく

ロージ:何に対する視点だって?

太田:眼鏡です。

ロージ:ああ、眼鏡か!

太田:そうです。最初に気づいたのはラジオ局の男が話している時です。彼の眼鏡に光が反射していました。

ロージ:そして涙もね。

太田:そう、涙も。そのシーンのライティングがなんというか、とても深い感情を僕に与えたんです。その後、光の反射や眼鏡に関係する様々なシーンが出てきます。例えば目の医療的問題を抱えている少年の診察シーン、あるいは彼が目を細めながら小さなスリングショットで鳥をハントしようとすること。そして、妊婦がエコー映像を観るシーン、さらに救助員が遭難寸前の難民にレーダーを見ながら「位置を教えてください」と何度も聞くシーン。僕は広義の「レンズを通して見る」ことに関わるこれらの小さな要素たちが、どのようにこの作品における詩学と政治学を形成しているのか、思考を巡らせていました。このような事物の繊細な相互作用は、あなたの作品全てに共通するものです。そこで聞きたいのは、あなたの作品作りにとって、見えるものと見えないもの、そしてその詩学と政治学はどのように絡み合っているのか、ということです。

ロージ:私にとって一番大事なことは......。時々、人々が聞いてくるんだ。「これはフィクションなのか、それともドキュメンタリーなのか」と。私はこういう分類には興味がない。私が興味を持っているのは「真実」と「虚偽」の違いなんだ。君はそれを「詩的」であるとか、他の何かに例えるかもしれない。でも私にとって、主要な差異は何かというと、真実か、それとも虚偽なのか、ということ。これは全ての表現に共通していて、写真、文学、絵画なんかも同じだ。


ロージ:私にとって重要なのは、フレーミングだ。そしてフレーミングには倫理的責務が伴う。フレームの中において、私は物語を見つけないといけない。つまり、一つの弧を描く線としての、始まりと真ん中と終わりを伴うナラティヴなアーチを見せないといけない。もしフレーミングが完璧なら、私はそのアーチをフレームによって表現することができる。カメラの後ろに何があるかは見えないが、それら全てを含めて、フレームの中に統合され、表現されていなければならない。なぜなら、フレーミングが正しい時は、フレームの外部に属する事物も見えるようになるからだ。この状況を作り出すために、私にとって一番重要なことは「距離」だ。つまり、視点をどこに置くかということであり、カメラと被写体の間の距離の問題だ。

太田:「距離」というのは、物理的距離ですか?

ロージ:そう、物理的距離だ。私の作品作りにおいては、まさに物理的距離こそが諸要素の間のバランスを作る。カメラを覗くと、それこそ何千という視点が選択肢にあるだろう? でもその中で正しい視点は一つしかない。私が学生だったとき、マーティン・スコセッシにそう教わったんだ。彼はいつも言っていた。「どれだけたくさんのアングルの選択肢があろうとも、正解は一つしかない」ってね。だから正解は何か、いつも考えないといけないのさ。映画を観ていると、時々何かこう、最初のシーンを観ただけで何かが正しくないと気づくことがあるだろう? そのときは「なるほど、これは距離や、アングル、高さが間違っている」と気付くんだ。

国境の夜想曲』(2020)を撮っていたとき、とあるシーンの中で私はとても窮屈な状況にいてね。とんでもなく小さなボートに乗っていて......。

太田:そのシーン、覚えています。

『国境の夜想曲』は3年以上の歳月を費やし、イラク、クルディスタン、シリア、レバノンの国境地帯で撮影したドキュメンタリー。戦乱の炎が上がる国境線上で、生活する人々にカメラを向けていく。写真下はボートのシーン

ロージ:そうそう。あのボートは常に動いていてね。僕はあのハンターが位置につくのを待ちながら待機していた。ボートを何かに括り付けて、彼の近くに停めて、正しい距離を見つけようとした。しかしボートは動いているし、私はそのとき三脚を持っていなくて、小さなバックパックしか持っていなかった。カメラはここにあって、ボートがあっちで......と考えながらファインダーを覗くと、これが全くうまくいっていない。

太田:うまくいっていない?

ロージ:そう、アングルが間違っていたんだ。30分くらい、それを調整するためだけに費やしたよ。高くしたり低くしたり。でも三脚がないだろ。だから本当に焦って、アシスタントに「木の破片があったらくれ」と言ったんだ。彼はそれを探してくれて、私はそれをカメラの下においた。そうしたら、うまくいったんだ。そこでようやく、私は撮影を始めた。違いとはそういうものなのさ。

太田:被写体が動き続けている中で、カメラの位置を直すためだけに、30分かけたということですよね?

ロージ:正しい高さを見つけるためにね!

太田:驚愕します。

ロージ:その瞬間、ようやく「オーケー、今から撮れる」と思った。私にとっては物語を発見することがとても重要だ。そして、その物語とはファインダーを覗くこととイコールなんだ。モニターを見ても、私は「感じる」ことができない。モニターには気が散る要素がありすぎる。科学者が顕微鏡を覗くように、私はファインダーを覗かないといけない。顕微鏡を覗くことで、私たちは自分の目では見えないものを発見する。私にとって、レンズとファインダーは顕微鏡のようなもので、自分が撮影している物語を理解させてくれるものなんだ。私が感じることができているときは、その状態で留まらないといけない。少しずつ、少しずつ、心の中に物語が立ち現れてくるように。そこからようやく、私は物語を組み立て始める。

『国境の夜想曲』のシーンより

ロージ:私は撮影地で長い時間を過ごし、何も事前に用意しない。人々に何かをするように指示することはないし、君が例に挙げた『海は燃えている』のシーンでも、男に眼鏡をかけてとは言っていない。しかし、そこで時間を過ごしていると、君が言ったように光の反射とか、物事を発見し始める。目の前に存在することに、自分が適応し始めるんだ。

『海は燃えているの』に登場する少年サムエレはハンターになることを夢見る

ロージ:私は『海は燃えている』の撮影地に3年間いた。最初、少年は眼鏡をかけていなかった。その後、彼はハンターになりたくなり、彼の家族は船乗りになってほしいと願い、彼は船酔いで吐き......。ある日彼は体調を崩し、医者を訪ね、目に問題があると告げられる。これら全てが彼の人生の中で起きたことだが、もし私が2週間しか現地にいなかったら、何も起きないだろう。時間を過ごすことで、物事が身の回りで起き始める。そこに住む人々は、いつも何かしら同じようなことをやっている。起床して、これをやって、あれをやって。私たちは彼らが何をしているか学んだ上で、その瞬間がいざ発生したときにカメラで先取りできるようにしないといけない。これが私の制作の仕方で、真実を見つける方法なのさ。そして真実とは、被写体の人々の内面と、ロケーション自体に存在する。

「適切なタイミングを待つのも、私自身だ」


太田:真実は、あなた自身の内面には属しますか?

ロージ:うーん、いや、もちろん。人々は「作品の中にあなたは存在しない」と言うが、私は自分の作品の主演なんだよ。なぜなら、作品の中に対位法(*1)を創出するのは私自身だからね。私がフレーミングを行い、私が距離を設定する。それらが全て噛み合う適切なタイミングを待つのも、私自身だ。

*1……音楽用語で異なる独立した旋律を組み合わせながら音楽を構成することで、芸術や映画においては2つの異なる風景や情景などを組み合わせて構成する手法のことを指す。

私はいつも曇天の下で撮影する。いつも曇りになるのを待っている。美学的な理由ではなく、曇りになって太陽が見えないときは、360度で撮影できるからだ。そのとき私は、正しいアングルを見つけることができる。もし太陽が出ていたら、逆光がどうとか、影が大きすぎるとか、色々考えないといけなくなり、視点がブレる。曇りの中で360度移動できることで、完璧な距離と完璧な物語の要素が得られる。

太田:もしかして、あなたの作品作りに歴史家カルロ・ギンズブルクの「ミクロストリア」(*2)という概念の影響はありますか?

*2……1970年代にイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルクらが発展させた概念で、村や小さな共同体、あるいは個人など小さな対象から歴史を考察していくこと。

ロージ:彼のことは知っているけど、どうだろうな......。

太田:ギンズブルクが歴史を人々のミクロな行動から探究し、現実を内側から捉え直し、事物それ自体のアクションの発生を促すやり方と、あなたの手法が似ているなと思ったのですが。

ロージ:彼の仕事は知っているけど、意識の上では私の参照点ではなかったと思う。

太田:なるほど。ただちょっと思いついただけです。

ロージ:いいことだ。人はそれぞれ物事との独自の繋がりを編み出すものだからね。

太田:ありがとうございます。

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