インタビュー

インタビュー

2023年10月02日

巨匠・ジャンフランコ・ロージが映像作家・太田光海に明かす映画術┃「今こそ映画は詩学に立ち返り、現実を別物に変換しなければならない」

巨匠・ジャンフランコ・ロージが映像作家・太田光海に明かす映画術┃「今こそ映画は詩学に立ち返り、現実を別物に変換しなければならない」


「教皇の苦悩の感覚を表現したかった。だから敢えてピントをずらしたんだ」

『旅するローマ教皇』のシーンより、チリを訪れる教皇

太田:少し視点を変えます。『旅するローマ教皇』はもちろん、他の作品を観ていても、あなたの作品にはいつも「境界」が織りなす緊張が感じられます。あなたはいつも「境界の間」にいるんです。境界がそこに存在し、人々の間に緊張を生み出し、戦争などあらゆることを引き起こす、そのことにあなたは意識的ですよね。そして同時に、仮に境界を「破壊する」が言い過ぎだとしても、あなたはイマジネーションの次元で境界を「撹乱」させようとする。なぜあなたはこのような形で「境界」に関心を持っているのですか?


ロージ:境界は分離の象徴だろう。それはアイデンティティの象徴でもあり、異なるアイデンティティは抗争や分離の象徴となる。『旅するローマ教皇』の中で、宇宙飛行士たちが教皇にこう言うシーンがある。「ここはとても美しくて、境界もない。とても平和で、戦争もない」と。つまり宇宙はある種の人工的、あるいは世俗的な意味での天国であるとも言える。そしてそこから地球に向けてズームインすると、あらゆる種類の惨劇が見えてくる。

『旅するローマ教皇』のシーンより、聖地エルサレムを訪れる教皇

ロージ:私にとっての大きなチャレンジは、いつもまずこの境界を可視化し、次に不可視化することだ。ほら、『国境の夜想曲』でも、そこには境界があるけど、私はそれらの要素を作品の中で壊すだろう。シリア、レバノン、イラク、クルディスタン。それらは全て境界で分離されているが、私のストーリーがその境界を壊すんだ。作品の中では、それぞれのシーンのロケーションがどこなのか、もはやわからない。そんな想像的空間を作りたかったんだ。それは一種の心象地理学(*3)とも呼べるものだね。それにより、これらの境界は不可視になり、物語の部分をなさなくなる。

*3.......人々を取り巻く環境との、心理および感情面から捉えた個人的かつ社会的な繋がりを探究する態度、また学問を指す。1950年代のパリで起こった前衛芸術運動「レトリスム」のメンバーによって使用されたが、先行したダダイスムやシュルレアリスムといった芸術運動、さらには詩人シャルル・ボードレールや哲学者ヴァルター・ベンヤミンの思想的影響も見られる。

『旅するローマ教皇』について言うと、実は最初のバージョンでは境界がなかった。脈絡なく自由な連鎖にして、教皇がどこにいるのかも示さず、時間軸もバラバラにしていた。「2001年」とか「2003年」などというキャプションを入れておらず、とても抽象的で、印象論的な構造だった。でも、そんなときにウクライナで戦争が起きた。私は撮影のためマルタまで教皇に付いて行ったのだけど、そこで教皇は戦争に対してとても強い政治的ポジションを示した(*4)。マルタでその映像を撮りながら、彼と一緒に歩いてウクライナの戦争について話していると、なんというか、それまでの作品の形ではもはや上手く噛み合っていないように思った。一体どうすればいいか、わからなくなったよ。

*4……2022年4月にマルタを訪問した教皇は「他国への侵攻や核兵器による脅迫は暗く遠い過去の記憶だと思っていた」などと発言。


太田:なぜ、上手く噛み合わなくなったと思ったのですか?

ロージ:なぜなら、一方には想像的世界があり、他方には現実的世界ができてしまったからだ。作品の中で、その2つが対立し始めてしまった。作品のペースが変わり、何か不快な感じが生まれた。適切な距離でなくなり、適切なハーモニーがなくなっていた。だから映画の編集者に「時間軸の通りに作品を組み立て直そう」と伝えたよ。ランペドゥーザ島から始めて、教皇の2回目の旅、3回目の旅、4回目の旅......とね。それぞれのシークエンスの編集は変えなかったが、それらは数珠のように全て時間軸に沿って並べ替えられた。こうして時間軸を明確にした上で、最後にウクライナの戦争に向かうようにした。次のバージョンを観た時、作品が突然それ自身の立ち位置、重み、そして必然性を持ち始めたと思ったよ。教皇の全ての旅が、まるで十字路の道のようだと気づいた。立ち止まり、思考し、立ち止まり、思考し......。その運動が、作品自体にとって必要なパターンとなった。それはまるで、教皇自身が彼の行程を予見できていたかのようだ。こうして、映画はそれ自身の重みと構造を得ることができた。交換可能性というコンセプトがそうでなくなったとき、それはまるでパラボラアンテナのように、必然的なものを集約させるようになったんだ。

太田:まるで宇宙の運動そのものですね。ところで、『旅するローマ教皇』のフッテージ(映像)は、どれくらいの部分を自分で撮ったのですか? 映画の冒頭で、この作品の多くの部分はアーカイブ映像だと書いていたので。

ロージ:私が思うに、カナダ、マルタ、飛行機の翼、ピンボケした全ての映像だ(笑)。

マルタでのピンボケした教皇の写真

太田:ピンボケした映像、あれは意図的だったのですか?

ロージ:意図的だよ。私があえてやったんだ。教皇の心理状態を表現したかったから。彼はカナダで先住民の人たちに許しを請うた(*5)。私は映像よりも言葉により重みを与えたかったし、この許しは結局全員から得ることができなかったので、そのときの教皇の苦悩の感覚を表現したかった。だから敢えてピントをずらしたんだ。

*5…….2022年7月、教皇はカナダに訪問。かつて先住民族の子どもたちは「同化政策」によって迫害されており、その問題にはカトリック教会が関与していたことを謝罪した。

『旅するローマ教皇』のカナダを訪れた際の場面

太田:なるほど!

ロージ:あの2分間のシーンは、この作品全体に意味を与えているんだよ。あのショットなしでは、この作品は別物になるだろう。なぜならあのシーンによって教皇の9年間の旅の重みを感じることができるから。

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

© 2022 21Uno Film srl Stemal Entertainment srl

RANKING

SPONSORD

PICK UP!