重度障がい者殺傷事件を描く映画『月』の「多くの人が目を逸らしてきたこと」に向き合うための「5つ」の覚悟
3:この問題は「外」にもある
さらに容赦がないと思うと同時に、本質を突いているのは、本作で描かれた問題が重度障がい者施設の中の話に限らない、ということ。今の日本で「隠蔽体質」の問題はそこかしこにあるものでもあるし、さらに「見たくはないものに目を逸らし続けること」全般の欺瞞も暴こうとしているのだから。
夫婦が向き合う「とある選択」も普遍的なものであるし、そこで提示される「割合」も残酷な事実を提示しているかのようだった。
その上で、重度障がい者を「選別」した上に殺害を試みる青年の主張がはっきりと間違っていることも提示される一方で、「それに近い」思想は誰でも持ちうることも、容赦なく突きつけてくるのだ。だからこそ、「そうならないためにできること」を考えられるだろう。
4:ろう者の彼女のキャラクターの意義
おそらくは賛否両論を呼ぶことに、殺人鬼と化す青年さとくんの彼女を、聴覚障がいを持つキャラクターにしたことがある。演じているのは『ケイコ 目を澄ませて』(2022)にも出演していた長井恵里であり、彼女は実際にろう者の俳優である。終盤にさとくんが、彼女に「あること」を告げるシーンで、まるで聴覚障がいがなければ事件を防げたと解釈される、ろう者への配慮がないと思われる方もいるかもしれない。しかし筆者個人としては、さとくんのあまりに間違った「排除と選択」の理由を示すための描写として納得できた。
さとくんは、手話でコミュニケーションができるろう者の彼女のことは愛しているが、意思疎通ができない障がい者は排除するという線引きを勝手にしている。
だが、それがなんと愚かで間違っているのかと、彼女の存在により思えるし、それでもさとくんが彼女が「あること」を告げるのは、「聞こえないとわかった上で、やはり一方的に言っているだけ」の、やはり独善的なものなのだ。
また耳が聞こえない彼女とのコミュニケーションは、主人公夫婦ととある関係との「対比」にもなっている。言葉を交わす方法以外での、嘘のない意思疎通もまた大切なことのはずだったのに、さとくんはそうしなかった。やはり、さとくんの言動はあらゆる点で「間違っている」と思えるようにもなっている。
5:ハッピーエンドはあり得ない。だけど、尊い希望も残される。
劇中では結果として殺人事件は起こるし、どうあってもハッピーエンドにはなり得ない。だが、同時に希望も強く感じることができる、意外なとある出来事と感情に涙を禁じ得えなかった。このようなひどい事件は現実にあるし、それを実行した者に近い危険な考え方をしてしまうことは、誰にでもあり得る。だが、それでも、こうした希望があれば、それを実行しない選択をすることはできるし、誰かのために行動を起こすこともできる。
劇中で提示されたのは決して安易な解決方法でもないし、「機械的なシステム」を示すとあるモチーフを持ってして、個人の力では救うことができないかもしれないという、一抹の不安も示されている。
だが、「しかし、それでも」と、尊い希望を示してくれたことに、何よりも感謝したいのだ。
石井裕也監督作『愛とイナズマ』が2週間後に早くも公開!
なんと、この『月』の公開からわずか2週間後の10月27日(金)より、石井裕也監督・脚本によるオリジナル長編映画『愛にイナズマ』も公開される。
その内容を端的に言えば、「哀愁漂うコメディドラマ」。悪意のある(あるいは極端な善意による)人間の言動には良い意味で心からゲッソリするが、その対比となる松岡茉優の「キレ芸」にゲラゲラ笑って、窪田正孝の不器用な優しさにグッと来て、家族の物語にホロッとする。
だからこその救いや希望を示す、そんな石井裕也監督の集大成を見届けることができた。
ぜひ、重い内容の『月』の後に観てこその、気兼ねなく笑って、同時にちょっと切なくなる豊かな映画体験をしてほしい。石井裕也監督の強い作家性と共に、その幅の広さにも気づけるだろう。
(文:ヒナタカ)
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