インタビュー

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2023年10月14日

「映画にしかできない心のすき間の埋め方ができれば」池松壮亮インタビュー

「映画にしかできない心のすき間の埋め方ができれば」池松壮亮インタビュー

映画『白鍵と黒鍵の間に』が10月6日(金)に公開となった。

舞台は昭和63年、年の瀬の銀座。ジャズピアニストという夢を持っている博と、かつての夢を見失っている南。博の前に現れた謎の男がリクエストした「ゴットファーザー 愛のテーマ」が災いを呼び……。ふたりのピアニストの運命の一夜を描く。

ジャズミュージシャン・南博のエッセイを原作とした本作は、観ているうちに不思議な時の流れに飲み込まれ、昭和の銀座の夜に翻弄されていくような気持ちになる。

今回は「博」と「南」の一人二役を務めた池松壮亮に話を聞いた。

ミュージシャンの役は一度やってみたかった

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――脚本を読まれた際の印象はいかがでしたか?

池松:最初はどんなだったかな。面白かったことは確かです。最初に読んだのは5年ほど前でした。そこからいろんな変化がありました。停滞はありましたが後退はありませんでした。どんどん面白く、具体的になっていって、冨永さんの発想力、脚本力には驚かされるばかりでした。今作の大胆でチャレンジングな構成によって、単に誰かの物語を見るというより、もう一つ俯瞰して、人生それそのものが浮かび上がってくるような感触がありました。イマジンとファンタジー、人生のメタファーがぎゅっと詰まったこの脚本に大きなやりがいと可能性を感じていました。

――今回はピアニストの役です。ピアノは半年かけて練習されたのだとか。

池松:この作品のこの役を引き受けるうえで、当然のことでした。半年でもその道の人には全くもって及ばないんですが、それでも、ピアノと向き合った日々そのものがこの役に近づくまでのプロセスとなってくれました。

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――ピアノは全く初めてだったんですか?

池松:昔、姉と妹が習っていて、実家にピアノがありました。中学校で合唱コンクールってあるじゃないですか。その時クラスでピアノを弾ける人が足りなくて、何故か、猛練習して「大地讃頌」を弾きました。それ以来でした。

――久しぶりに弾かれていかがでしたか?

池松:普段は弾けませんが、楽器も好きだし、ピアノも好きです。ミュージシャンのような役は一度はやってみたかったんです。音楽映画にもずっと興味がありました。大変でしたけど、やりがいのある苦労でした。とても楽しかったです。

「おもしろい試みだった」作品の構成

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――今回、「南」と「博」の一人二役を演じられました。

池松:夢を追いかけて銀座にやってきて、なんとかこの現実から抜け出したい博と、銀座の街に染まりきって、なんとかその現実から抜け出したい南。過去と現在と未来を一晩に共存させ、別の人物のように描いています。どのようにそれぞれの人生を対比し交差させていけば面白いのか考えていきました。繰り返す人生のままならなさを、人生の間のような時間をそれぞれ演じてみたいと思っていました。二役というのはなかなか普段ないので、とてもチャレンジングでおもしろい試みでした。

――演じる上で難しかった点はありましたか?

池松:音楽映画ってなかなか同録ができない場合が多いんです。例えば音楽があるタイミングで誰かがその空間に入ってきてセリフを言うと、カットによってそれぞれタイミングが合わなくなったりして、あとから繋がらない、あるいは違う音が入ったときに使えなくなるので、デモを流してタイミングを探った上でそのシーンを作っていくんです。そういう音楽映画ならではの工程はなかなかみんなで苦労しました。音にみんなで呼吸を合わせていく作業でした。

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――今回、個性的なキャラクターも多く登場しますね。

池松:どれをとっても素晴らしいキャラクターになっていると思います。南と博の人生に、様々なおかしな愛すべき人生が通過していく群像劇になっています。次から次に魅力ある登場人物が現れ、去っていきます。音楽が人生を慰め、また音楽が人生を引き裂き、それでも主人公は音楽を求め続けます。音楽がそれぞれの移ろう人生の間を埋めているようでした。一晩を舞台にそれぞれの人生の刹那が渦巻いていきます。

人生は不完全だし、ままならない、けれど……

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――昭和の時代のディープな部分が描かれています。そんな中で博は夢に向かって走っているわけですが、令和と昭和で夢を持つという点で違いは感じられましたか。気持ちの持ちようですとか……。

池松:本作では昭和の終わりが舞台となっています。彼らはまだ知りませんがこの後、昭和が終わり、ベルリンの壁が崩壊し、大きな時代が終わって新しい時代が始まります。昭和の夢、令和の夢という意味では言葉の価値が変わってくると思います。昭和という時代と夢という言葉は今よりもマッチングが良かったと感じます。今、夢という言葉をどれだけの人が淀みなく信じられるかわかりません。今作では夢と諦め、理想と現実というこの世界で誰もが感じたことのあることの狭間に揺れる主人公を描きながらも、そのことを音楽で埋めていく、音楽があるんだというところに特別なものを感じています。あの時代を描きながら普遍的なところに触れて、尚且つ今の時代、これからの時代に向けた出口を探すことが重要だったと思います。

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――池松さんご自身が強烈に夢を持った経験はありますか。


池松:今もそうです、今なお映画という夢を追い続けている感覚があります。挑み続ける限り、いつだって夢の狭間にいますし、喜びも涙も繰り返しています。この主人公にシンパシーを感じますし、心の叫びが理解できます。年齢的にも、これまでの経験値からしても「南」が近いのかなと思います。

――印象的な南のセリフがあればお聞きしたいです。

池松:いろいろありますが、「こんなクソみたいな世界で、自分は生きている間に美しいものを残したいんだ」という気持ちはとてもよく分かります。度々出てくる「俺は一体何をやっているんだ」という言葉や「ここから外に出たいんだけどさ、どうやったら出られるのかな」という台詞も。この作品の原作者である南博さんは当時ビル・エヴァンスというピアニストに憧れていたそうなんですね。僕もビル・エヴァンスがもともと大好きで、彼が残した言葉で「美と真実だけを追求し、他を忘れろ」という有名な言葉があるんですけど、それは今作に関わらず、常に自分の心の中にある言葉です。今作の台本のメモ欄にも書き込んで、毎日心と身体に染み込ませていました。

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――抽象的な質問になってしまうのですが、今の時代、夢を持ち続けるにはどうしたらいいと思われますか? 今は情報が多い分、心が折れやすく自分はダメなんだ、と考える人も多いのかな、とも思いまして。

池松:そうですね。あの頃はもっと確かな未来があったはずですからね。みんなが上を向いて生きていくしかなかったような時代だと思います。今この時代に夢を持つことが絶対的に必要なことではないとすら思います。むしろ夢を持つことの方が難しいのではないかと思います。きっと若い子はもっともっとリアリストだと思います。今作は夢を持つことの大切さや、夢を掴むまでのサクセスストーリーのような映画では決してなく、主人公はむしろ、どこまでも夢の狭間に落ちて狂っていきます。それでもなお音楽という夢を追い求め、そのことを音楽それそのものがノンシャラントに祝福するような物語だと捉えています。もしかしたら夢よりも大切な、人の人生そのものを浮かび上がらせるところにこの作品の最も重要なところがあると思っています。幸せとは何なのか、夢を持つこと自体が幸せなことなのか、答えは分かりませんが、少なくとも好きなことに没頭し、夢や絶望をみながら、その人生の移ろいの間を音楽で埋めていたこの物語の主人公は、本人は気づいていませんが、幸せな人生を送っていると思います。

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――まさに、映画のように。

池松:そうなんです。引いては映画があると思ってもらうこと。時代の移ろいの間に、世界の沈黙や静寂の隙間に、人生の隙間に、音楽があること、映画があることをこの映画は言葉よりも雄弁に、独創的かつユーモアを交えて教えてくれます。僕自身、この世界には音楽や映画や物語によって埋められる何かがあると信じています。この映画が誰かのほんの心の隙間を埋められるような、そんな作品になってくれることを願っています。

(ヘアメイク=内藤歩/撮影=Marco Perboni/取材・文=ふくだりょうこ)

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