「君の名は。」は、果たしてカップルで観に行くべき映画だったのか?
(C)2016「君の名は。」製作委員会
※少々のネタバレを含んでおります。予めご了承ください。
公開は2016夏で、もうクリスマス!12月初旬には劇場パンフレット第二弾が発売スタートし、年明けにはIMAXの上映もあるそうで、DVDなんて、まだまだまだ。そんなにいい映画なら何回でも劇場で観るべし!そうとも思えてきました。
それにしても、公開前後のSNSの書き込みが面白すぎる!
4か月も前だから、もう誰も覚えていないだろうけど、私はそれ見て、劇場に行くのが、はばかられていました。
友達 男女で観に行くと、恋人に昇格!
恋人同士で観に行くと、帰りには結婚式場を予約!
「君の名は観に行こう」は、ほぼプロポーズ!!!
などなど出てくるわ出てくるわ。
今となっては、あらゆるところでこの映画の素晴らしさが語られ、別にカップルも何も関係なくなってきましたが、クリスマスですから、緊急カップルの皆さんや、また、この4か月の間に彼氏彼女が変更となった新しいカップル、またもちろん同じペアのリピーターなど、カップル鑑賞が増えるシーズンかと思います。
そこで!むずかしい大ヒット分析はさておき、「カップルで観に行った方が良い理由」と「カップルで観に行かない方が良い理由」について、まとめてみました!
「カップルで観に行った方が良い理由」
(C)2016「君の名は。」製作委員会
1:好きのしくみがよくわかる。
三葉も瀧君も、それぞれ相手を好きになっていることに自分で「気がついた瞬間」は、割とはっきりくっきり描かれていました。特に三葉の方は、明確に涙で表現。「あれっ、何で泣いているんだろう」って、一瞬自分でもわからない。その涙は、なんかすごく大量。アニメなのに本当の涙とおんなじ透明感。
自分でも気が付かないうちに、気が付いた時には既に好きになっている。これが好きのしくみ。個人的には思わずここでポロポロ。瀧君の方は、決定的に気が付いたのは、入れ替わりがなくなって、まるで会うすべがなくなってからじゃないかな。何の手がかりもないけど、会いに行ってしまう。その行動が教えてくれる。会えなくなって、しばらくたってから「あれは恋だったんだ」って。これもまたひとつの好きのしくみなんじゃないかなと思う。
好きになるってことは、同じ食べ物が好きとか同じ曲が好きとか、趣味が合うとか、そんな理屈なんかじゃない。ましてや、料理がうまいとか、ウエストが細いとか、自分に何かメリットがあるとか、そんなシャンプーみたいな名前の何かが欲しいんじゃない。
その好きのしくみをリアルタイムで感じているカップルなら、きれいな涙で感動できるのでは?
2:いつもの二人のたわいのない会話が、奇跡だと思える。
個人的感動ポイントは、カタワレ時でありました。なんでまた、ただ短時間会うのにここまで苦労するかってくらい大変な思いをして、やっとやっと会えた二人。
これ以上貴重な時間はないと思える、そのカタワレ時の会話。いったいどんな重要な会話かというと、高校生が昼休みに教室で話しているみたいな感じ。たわいなければたわいないほど泣けるのは、すごい演出なんだろうな。
その会話は、いちばん肝心なところの途中でナイフで切ったように終わる。ホント、誰かと何気なく話している今があるのは、奇跡なんだって感じる。
ここで今、二人で並んでいること自体が奇跡。
この人を、今を、大切にしようと思えたなら、カップルで観る価値大!
3:元カレ元カノを気にしなくて良くなる、奥寺先輩のセリフがかっこいい!
奥寺先輩は何を言ってもカッコイイとも言えるけど、その中でも「瀧君は誰かと出会って、好きになって、その誰かが瀧君を変えたんだね。」というような意味の事を言う場面が好きです。
つまり!新しい出会いは人を変えることがある。
今カレ今カノとつきあっている自分と、元カレ元カノとつきあっていた自分は、違うとも言える。人間そう簡単には変わらない自分自身ってものはあるけど、好きになった誰かが自分を変えるってことがある。カップルの皆さんなら、そこらへん、思い当たるでしょうか?
だったら、元カレ元カノは気にしなくていいですよね。言わば、違う人間なんですから。同じ恋はないんだね。これは、カップルにとっては嬉しいセリフなのでは?
「カップルで観に行かない方が良い理由」
(C)2016「君の名は。」製作委員会
1:号泣した人はたぶん、もう取り戻せない誰かがいる人。
ときどき号泣する人がいるみたいなんですよね。「運命の人」が根底のテーマになっているため、深いところで揺さぶられる人がいるんだと思います。ツイッターで「君の名は見ました」の号泣ツイートたくさん見かけましたけど、男の子(大人の男性も)でも、結構号泣していました。
極端に号泣する危険のある人は、ひとりで観た方がいいかも、と私は思います。
だって、映画館で隣に座っている、その人が自分の運命の人だと思っていたら、そこまで号泣しなくないですか?(※個人的想像)
「忘れたくない人、忘れたくなかった人、忘れちゃダメな人」って、台詞があるけど、少なくとも「忘れたくなかった人」って、お隣の人ではなくないですか?(※個人的推理)
ラストで泣く人が多いみたいですが、ひとりで観た方がいいような人は、とてもラストまで持たない。途中で号泣しちゃっていると思います。どこで号泣するかで、涙の種類が違うと思うんです。
ラストで号泣する分にはいいのですが、途中には、もう取り戻せない誰かを思い起こさせる場面もあり、誰かを失ったことのある人なら、涙が止まらなくなる可能性もあるかもしれません。
程度問題ではあるけど、せっかくカップルで観に来て、二度と会えない人を思い出して号泣するのも…。
2:美しい映像と音楽の中で、自分が想うのは誰なんだろう。
新海監督は、この作品で「運命の人っているんだよ」ってことを伝えたかったとのこと。映画の宣伝のキャッチフレーズもずばり「まだ会ったことのない君を、探している」となっています。
ほとんどの若者は、自分の運命の人の、名前はまだ知らない。カップルによっては、もう決まっているかもしれないけど、個人的には、一緒に観に行く人が運命の人の可能性60%以下ならば、一人で観て、美しい映像と音楽が束になって、自分の感情に問いかけてくる中、自分が誰を、何を、強く思うのか、知りたいなと思う。
運命の人は、誰なんだろう。
もっといい人がいるかもしれないって思うなら、それはもっといい人がいるんだろうし、どっちにしようか、どっちを選ぶか迷うようなら、それはどちらでもないのかもしれない。
映画では「会えばわかる」って言っている。もう少しだけ、もう少しだけでも一緒にいたいと思う。きっと内側から自分の細胞が教えてくれるんだろう。カップルで行くと、こんなことちょっと考えにくいな。
やっぱり一人がいい!
まとめ
(C)2016「君の名は。」製作委員会
涙が、古い傷も新しい傷も、汚れたところも洗い流してくれるなら。
彗星が空から降ってくる。そのひとつひとつが、記憶にはもうなくても、いつか感じたことのある感情にアクセスしてくる。必ずしも特定の誰かを思って泣くわけではない。
いわば、遺伝子に組み込まれたもの、自分の細胞のどっかにうっすらとあるいは色濃く存在しているもの。
この映画全体が、その存在を引き出すから、理由はわからないけど、号泣してしまうんだろう。涙だけがすべてをきれいにしてくれるなら、
手放しでオイオイ泣きに行くのもいいよね。何回でも。
そして、細胞に運命の人の存在が刻まれたのが、前前前世ってことなのでは?
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(文:こいれきざかお)
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