『82年生まれ、キム・ジヨン』彼女の名前に込められた想いほか「3つ」の魅力!



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第30回:『82年生まれ、キム・ジヨン』

今回ご紹介するのは、10月9日から公開中の韓国映画『82年生まれ、キム・ジヨン』です。

翻訳本が発売二日目にして重版決定するなど、日本でも異例の大ヒットとなった同名小説の映像化だけに、公開前から多くの話題を集めていた本作。

ひとりの女性に訪れた不思議な変化を通して、現代社会が抱える問題点や女性への差別・偏見が浮き彫りになっていく内容が、多くの人々の共感を呼ぶ作品なのですが、気になるその内容と出来は、果たしてどのようなものなのでしょうか?

ストーリー


結婚・出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるキム・ジヨン(チョン・ユミ)。常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。そんな彼女を夫のデヒョン(コン・ユ)は心配するが、本人は「ちょっと疲れているだけ」と深刻には受け止めない。
しかし、ある日からジヨンは、まるで他人が乗り移ったような言動をとるようになる。ある時は夫の実家で自身の母親になり「正月くらいジヨンを私の元に帰してくださいよ」と文句を言ったり、夫と共通の友人ですでに亡くなっている女性の人格になったり、ある日は祖母になって母親に語りかけたりするのだが、その時の記憶はすっぽりと抜け落ちていて、ジヨンは全く覚えていないのだ。
ジヨンを傷つけることを恐れたデヒョンは、ひとりで精神科医に相談に行くが、本人が来ないことには何も改善することはできないと言われてしまう。なぜ彼女の心は壊れてしまったのか、そして、少女時代から社会人になり現在に至るまでの彼女の人生を通して、見えてくるものとは?


予告編




魅力1:原作小説との違いに注目!



朝から2歳の娘の育児と家事に追われ、気付くとすでに窓の外は夕焼け。自宅のベランダからその夕焼けを眺めている、主人公キム・ジヨンの空虚な表情から始まる導入部だけで、すでに彼女の置かれた状況や心情が観客の共感を呼ぶことになる、この『82年生まれ、キム・ジヨン』。

心のどこかで、ここは自分の居場所ではないのでは? と感じながらも、親世代から続く社会の仕組みに従って家族への責任を果たす。そんな毎日の繰り返しと精神的な抑圧が、キム・ジヨンの言動にある変化を及ぼしたことで、彼女の周囲の人々も今まで目を背けていた重要な問題に直面することになるのです。

冒頭でも触れた通り、日本でも翻訳された同名ベストセラー小説の映画化なのですが、結末部分も含めて大きくアレンジされた映画版ならではの内容も、本作の大きな魅力となっています。




なにしろ原作小説では、最終的にキム・ジヨンを診ていた精神科医の話になり、自分の妻やジヨンへの理解を示していたかに見えたこの精神科医が、実は多くの男性と同様に女性への差別と偏見に気付いていないという、残酷な事実が明らかにされて終わることになるのです。

加えて、原作小説の大部分は主人公キム・ジヨンが生まれてからの人生を記録したものであり、映画のように彼女の症状に対する対処法や明るい希望、更に夫婦で問題を乗り越えるといった解決法は描かれていません。

これに対して映画版では、夫であるデヒョン側の生活描写が大幅に加えられることで、夫婦の絆や夫の成長、家族との理解といった、将来への希望を抱かせる内容やエンディングに変更されているのです。

ただ、こうした映画独自の描写が追加されたことで、原作の大半を占めるキム・ジヨンの人生やエピソードが省略されてしまい、細かなシーンで意味が分かりにくくなっていると感じたのも事実。



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実際、映画版ではバスの中でキム・ジヨンが助けを求めた原因や、ジヨンの母親がなぜ父親よりも発言権があって強い立場なのか? その理由が一切描かれないので、単に痴漢に遭って助けを求めたと思われた方や、韓国の古い価値観に囚われない進歩的な考えの母親? そう思われた方も多かったようです。

この他にも原作では、実はジヨンに妹がいるはずだったことや、バスの中での出来事がトラウマになって、ジヨンがしばらく男性恐怖症になっていたり、更にジヨンの会社で起きた盗撮事件が、想像以上に深刻な後遺症を女性社員に与えていたことなど、女性が直面するセクハラ問題がより克明に描かれているのです。

一点だけ、日本の観客には分かりにくいと感じたのは、映画の冒頭でキム・ジヨンが赤ちゃんの下着を熱湯で洗っている描写。これは原作小説で説明されている通り、韓国では白いものを洗濯する時に、"煮洗い"という煮沸消毒して仕上げる方法が一般的なためなのですが、この描写を理解するだけでも、彼女の家事負担の大きさが共感しやすくなるのではないでしょうか。

上映時間の関係上、どうしても原作小説から省略された部分が目立つ内容なので、出来れば映画版を先に観て頂いてから、不明な点や足りない部分を原作小説で補うことをオススメします!

魅力2:見事なキャスティングの勝利!



読み手に先入観を与えないため、実は原作小説の中では登場人物の外見が一切説明されない『82年生まれ、キム・ジヨン』ですが、翻訳本の表紙が象徴するように、誰もが自分を投影できるフラットな存在の主人公や、その他の登場人物を具現化する見事なキャスティングは、本作成功の大きなカギだったと言えます。

原作の登場人物として違和感なく、しかも観客の共感を得るキャラクターを演じる出演キャスト陣の演技は、どれも素晴らしいものばかりですが、特に主演の二人、チョン・ユミとコン・ユの存在は、これ以上ない絶妙な起用と言えるでしょう。



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『トガニ 幼き瞳の告発』や『新感染 ファイナル・エクスプレス』でも共演した二人が、初の夫婦役に挑んだことでも話題となった本作ですが、主人公のキム・ジヨンを演じるチョン・ユミの抑えた演技は素晴らしく、夫の実家での扱いに疑問や不満を抱きつつも、家族のために自分の役割を演じるしかない、キム・ジヨンの閉塞感を見事に表現してくれています。

前述したように、映画版では夫であるデヒョン側の描写が大幅に増えているのですが、『トガニ 幼き瞳の告発』や人気ドラマ『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』などで見せた、コン・ユの持つ誠実なイメージが加わることで、デヒョンの意識変化や成長が観客にも理解できたり、夫婦が歩み寄って協力しながら問題の解決に当たる映画版のアレンジが、より生きてくるのは見事!

特に、子供を会社に連れてきて仕事に向かう女性社員の厳しい現状をみたデヒョンが、育児休暇明けの社員に待つリスクや不当な扱いを知りながら、自分が育児休暇を取るからとジヨンに告げるシーンは、映画の中で描かれる問題が女性だけのものではないことを、観客に教えてくれるのです。



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原作ではデヒョン側のエピソードは一切登場しないのですが、妻の突然の変貌によって自分の周囲に存在する差別や違和感に気付き、夫婦の共通の問題として彼女の症状に向き合おうとするデヒョンのキャラクターは、やはりコン・ユの持つイメージがあればこそ!

もちろん、この二人以外にも、ジヨンの母親ミスク役のキム・ミギョンが表現する深い愛情や、ジヨンの元同僚で親友のヘスを抜群の存在感で演じるイ・ボンリョンなど、原作をすでに読まれた方も納得できる出演キャストの顔合わせも、本作の大きな見どころとなっている、この『82年生まれ、キム・ジヨン』。

原作小説の登場人物に命を吹き込むキャスト陣の名演は、必見です!

魅力3:キム・ジヨンの名前に込められた深い想いとは?



男女の差別やフェミニズムだけでなく、親世代から続く不公平な社会のシステムや、そこに疑問や違和感を抱かなかった人々が問題に向き合う姿が描かれる本作。

中でも、原作には登場しない"あんパン"のエピソードは、ジヨンの父親世代が女性に抱く差別意識の強さと決定的な断絶を表現した見事なアレンジですが、これと対照的に将来への希望を与えてくれるのが、同じく映画独自のアレンジである、ジヨンの弟ジソクが渡す"ペン"のエピソードでしょう。

弟から渡されたペンに刻まれた"キム・ジヨン"の名前こそは、彼女が家族の中で認められたことの証明であり、同時に弟のような自分よりも下の世代なら、男女の古い価値観に縛られず新しい人間関係を築いていけるかもしれない、そんな希望を観客に与えてくれるからです。

“キム・ジヨン”は、1982年生まれの韓国の女性で最も多い名前だと言われています。この主人公の名前に込められた特別な想いはタイトルにも明らかなのですが、映画独自のアレンジとしてラストに登場するカフェのエピソードでも、実は重要な要素として盛り込まれています。

事実、レジでの会計時に女性を含む複数の人間から浴びせられた「ママ虫」という心ない中傷に対して、それまでのように他人の人格を借りることなく、彼女自身の言葉で主張した「私という個人を知らないのに、一般的なイメージだけで中傷するのか?」という内容と共に、誰かの妻や母親ではないキム・ジヨンの名前を宣言するという展開は、彼女の名前に込められた映画版のテーマが集約された名シーンとなっていて実に見事!

加えて、原作小説ではジヨンの夫を除いた男性登場人物(ジヨンを診察する精神科医も含めて)に固有の名前が与えられていないのに対して、映画版ではジヨンの弟や父親などにも名前が与えられていることで、カフェのシーンでジヨンが自分の名前を宣言することの意味や、男性と女性が歩み寄り協力しようとするテーマが、より観客に伝わりやすくなる点も上手いのです。

家族や社会、そして夫婦といった関係性の中で、自分の居場所を見失って他人の姿を借りるようになったキム・ジヨンが、どうやってその症状に対処し克服するのか?

その重要なカギとなる彼女の"名前"が持つ意味にも、ぜひご注目頂ければと思います。

最後に



男女間の格差や差別に加えて、1997年の通貨危機による韓国の経済破綻が、いかに人々の生活から余裕や人生の選択肢を奪い、ギスギスした社会に変えてしまったか? その後遺症が描かれている、この『82年生まれ、キム・ジヨン』。



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1982年生まれのキム・ジヨンは、世代的に韓国で言うところの“88万ウォン世代”に当たるのですが、韓国の厳しい経済状況の中で就職期を迎えたこの世代の背景を知っておくと、なぜジヨンの就職を家族があれだけ喜んだか? その理由がより実感できると思います。

こうした厳しい社会状況の中で、就職・結婚・出産を経験して幸福を掴んだかに見えたキム・ジヨンですが、そんな彼女にも自分の人生を犠牲にしたのでは? という迷いが心の奥に残っていたり、周囲の女性との比較や夫の実家との問題、更に精神的・経済的に余裕のない人々から受ける中傷など、さまざまな"生き難さ"が彼女の人生に影を落としている現実が、次第に明らかになっていきます。

実際、原作ではキム・ジヨンに対する同性からの中傷や差別も描かれており、特に妊娠中の彼女が地下鉄で若い女の子から受けた仕打ちには、男女差別だけではない家庭の主婦に対する根強い偏見や先入観が象徴されているのです。

ただ個人的に気になったのは、夫であるデヒョン側の描写が増えたり、キム・ジヨンの症状の原因や対処法が描かれる内容になったことで、原作小説の最後の一文に象徴されるような、「一番の問題はその差別や偏見に気付かず、当たり前のこととして受け入れている人々の意識にある」という皮肉や絶望感が影を潜めてしまった点でした。

とはいえ、原作小説がキム・ジヨンの人生や症状を客観的に記録したカルテなのに対して、彼女の人生への答えや症状の対処法といった将来への明るい希望が示される映画版は、より多くの人々に共感と救いを与えてくれるもの。

加えて、自分が手本とする女性の人格を借りず、遂に自身の言葉で正当な意見を主張できたジヨンの姿は、次の世代が実現するかもしれない変革への期待を観客に抱かせてくれるのです。

映画冒頭で夕焼けを見ていたキム・ジヨンの表情と見事な対比を見せる、ラストで同じ風景を見ている彼女の表情の変化が観客に希望を与えてくれる傑作なので、全力でオススメします!

(文:滝口アキラ)

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