『恋は雨上がりのように』は原作&小松菜奈ファンだけでなく「水曜どうでしょう」ファンも必見!



(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館 


『月刊スピリッツ』と『ビッグコミックスピリッツ』に連載された同名の人気コミックを、小松菜奈・大泉洋ほかの魅力的なキャストで映画化した話題作『恋は雨上がりのように』。

個人的にも非常に気になる本作を、今回は公開二日目夜19時の回で鑑賞して来た。予告編の印象からは恋愛メインの様に思えたのだが、意外と男性一人での来場も目立っていた本作。果たしてその出来はどうだったのか?

ストーリー


高校2年生の【橘あきら】(17歳)は、アキレス腱のケガで陸上の夢を絶たれてしまう。偶然入ったファミレスで放心しているところに、優しく声をかけてくれたのは店長の【近藤正己】(45歳)だった。 それをきっかけに【あきら】は、ファミレスでのバイトを始める。バツイチ子持ちで、ずっと年上の【店長】に密かな恋心を抱いて……
【あきら】の一見クールな佇まいと17歳という若さに、好意をもたれているとは思いもしない【店長】。しかし【店長】への想いを抑えきれなくなった【あきら】はついに【店長】に告白する。しかし【店長】は、そんな真っ直ぐな想いを、そのまま受け止めることもできず—ー。(公式サイトより)

予告編

『帝一の國』と同様、原作からのアレンジが素晴らしい本作!


タイトルや予告編からは、年の差カップルの恋愛映画の印象を受ける本作。だが、観客は予想外に恋愛要素がメインではない内容に、まず驚かされることになる。

その代わりに描かれるのは、訳あって夢を諦めて自身の居場所を失った二人が、再び勇気を持って自身の居場所を取り戻す物語だ。

OPタイトルから序盤にかけて、驚くほど原作コミックを忠実に再現して物語が進む本作だが、永井聡監督の前作『帝一の國』と同様に、基本は原作コミックの世界観を踏襲しながら、徐々に映画独自の展開へとシフトして行くことになる。そう、出演キャスト陣の魅力を上手く取り込んで、単なる原作コミックのビジュアルの再現に終始しない映画独自のアレンジこそ、永井聡監督作品が観客を引きつける理由の一つなのだ。

今回の映画化で原作と印象が異なるのは、やはりあきらが店長に惹かれるきっかけとなった、雨のファミレスでの出逢いのエピソードだろう。映画版では、深い孤独の中にいたあきらがファミレスで雨宿りをしていた際に、気を使って言葉をかけてくれた店長の優しさに彼女が涙する描写が出て来る。

それに対して、原作でのあきらは部活以外にクラスの友達とも普段から仲良くしていて、普通に楽しそうに学校生活を送っている様子が描かれており、実際このシーンでも涙を流すことは無いのだ。この様に、陸上競技という自身の存在価値を失った途端に、周囲から孤立してしまった気分でいたあきらが、そんな自分に目を向けて励ましてくれた店長に好意と興味を抱くという映画独自のアレンジは、確かに何故これほど年の離れた店長に彼女が惹かれたのかについて、観客に充分な共感と説得力を与えてくれていて実に見事!

ただ、映画版では上映時間との兼ね合いもあってか、終始あきらが相手の気持ちを無視して自分の思うままに関係を進めようとしている様にも見えてしまい、ひょっとして陸上から離れた喪失感を埋めるために、自分に優しくしてくれた店長に気持ちを向けている?とも取れるようになっている。

その点原作コミックでは、あきらのちょっとしたしぐさやセリフにも、本当に店長に恋している気持ちが現れているのだが、実は今回の映画版では、こうしたあきらの恋心を表現した細かい描写が結構省略されているのだ。

例えば、お見舞いに来た店長とあきらが近所のファミレスで会うシーン。あきらの足のペティキュアを店長が血豆と間違えるという展開になるのだが、原作では病院に運ばれて治療を受けるあきらが、店長の前で靴下を脱ぐのを躊躇するという描写がまずあるのだ。これはアキレス腱の傷跡を見られるのが嫌だったからではなく、店長の前で自分の足の爪を見せたく無かったということが後に語られる。包帯を巻かれて靴を履けなくなったあきらが足の爪にペティキュアをしているのは、実はこうした恋する乙女の恥じらいの証なのだが、映画版ではこの描写が省かれているため、単なる笑いを得るためのシーンの様になってしまっているのが非常に残念!

ただ映画版では、原作に色濃く描かれている恋愛要素よりも、学生時代の経験や友人関係がいかに個人の財産として大切な物かを物語の主題とすることで、より幅広い観客層にも共感出来る内容になっている。

映画をご覧になってこの二人のその後が気になった方は、是非原作コミックの方にも一度目を通されることをオススメします!



(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館 



主演キャストの魅力で更に輝きを増した登場人物に注目!


全編原作コミックの雰囲気を生かしながら、主役を演じる二人のイメージが更に加わることで、映画版独自の世界観が生まれている本作。若さと純粋さでグイグイ接近してくるあきらに振り回される大泉洋の人の良さと、小松菜奈の若さゆえの不器用さとの対比が、今回の映画版の大きな魅力と言えるだろう。



(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館 


ただ、原作よりもあきらの可愛らしさが減って鋭さと孤独感が増し、逆に店長の方からは鋭さと大人の余裕が減っているのは、やはり今回主役に起用された二人が持つイメージによるところが大きい。そのため自然と二人のキャラクターも、映画版では原作のそれと若干逆転することになる。

実際、原作の店長はもっと大人の落ち着きがあり、どちらかと言うと松重豊のような外見なのだが、確かに今回の映画版の展開を考えると、無茶ぶりに対してのリアクションや泣き言を言う姿が実にハマる大泉洋の起用は、正に適役としか言いようがない。



(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館 


対する小松菜奈の方は、原作の恋する女子高生のイメージとは違って、不慮の出来事で自分のいるべき場所を失った喪失感と孤独を見事に表現しており、原作よりも大人っぽいあきらを実に魅力的に演じている。

今回特に印象的なのが、本作の随所で大泉洋が見せる、あきらの直球の告白や行動に対しての素晴らしすぎるリアクションだ。困れば困るほどその持ち味が発揮される、「水曜どうでしょう」で鍛えられた彼のリアクション芸が存分に発揮される本作こそ、『水曜どうでしょう』時代からのファンには正に必見の作品と言えるだろう。



(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館 


加えて今回のキャスティングで特に効果的だったのは、何と言っても店長の大学時代の文芸仲間で、現在は人気作家となっている九条ちひろに、同じTEAM NACSの戸次重幸を起用した点だろう。この再会シーンは演じるキャスト本人たちの現実の関係性も加わって、10年ぶりに会っても直ぐに昔の関係に戻れる二人の間の空気と、九条の「俺たちは同級生だ」というセリフに抜群の説得力が生まれる実に良いシーンに仕上がっている。この部分は『水曜どうでしょう』やTEAM NACSのファンには必見のシーンなので、是非劇場で!



(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館 



『帝一の國』で見せた永井聡監督の演出は、今回もやっぱり凄かった!


本作が劇場長編映画4作目となる永井聡監督。

思えば前作『帝一の國』も、一見漫画原作の騒がしいコメディ映画と思わせて、実は主人公の成長を描きながら、周囲の大勢の登場キャラを見事に交通整理して個々の見せ場を作り、多くの観客から高い評価と満足度を得ることになった。

帝一の國



今回も単に原作コミックをそのまま再現し映像化するのではなく、基本は原作に忠実だが実はかなりのアレンジを加えて映画独自の作品として成立させているのが見事!もちろん全10巻に及ぶ原作を、そのまま110分の映画に納めることは到底不可能なため、省略されてしまっている部分も実は多いのだが、その反面原作ではちょっとしか登場しないエピソードを膨らませて、映画では重要な要素にしている(キーホルダーの件)など、様々な映画独自のアレンジが盛り込まれている本作。

中でも見事なのは、前述した主演キャスト二人が持つイメージを取り込むことで、未成年とバツイチ中年男の恋愛を現実的な物語に上手く移し変えた点だ。終始保護者的な視点を捨てられず、あきらの将来を第一に考えて行動する店長の大人の行動は、観客にも好感を残すものであり、これによって、自身の気持ちに従って相手のことを考えず行動するあきらとの対比が効いてくる。親子ほど年の離れた二人の恋愛を、決しておとぎ話やファンタジーの様に甘く描くのではなく、現実の良識ある大人ならこうする、というレベルで描いているからこそ、ラストのあきらの成長が爽やかな余韻を生むのだ。それまで厳しい顔が多かったあきらの笑顔が印象的なそのラストシーンは、是非劇場でご確認を!



(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館 



最後に


実は原作であきらが店長に質問するセリフは「ラインとかします?」なのだが、映画では諸般の事情のためか全編に渡って「メッセージ」に変えられている。それに対して店長が答えるのが、「メッセージって何?」という絶妙な返しの一言。ここは原作ではサラっと流されてしまうのだが、映画では演じる大泉洋の絶妙の返し方により、思わぬ笑いを誘う名場面となっている。

しかしこの何気ない描写に注目すると、ラストであきらが笑顔で言う「店長とメールがしたいです!」と言うセリフに、あきらの人間的成長と目の前の優しさに頼ろうとしていた自分からの旅立ちを見ることができるのだ。

ともすれば甘い恋愛物語や、男性目線による都合のいいおとぎ話になりそうなところを、未成年であるあきらの将来を思いやった店長の大人の選択と、店長の立場を考えて高校生の自分が出来る範囲から、二人の関係を再スタートしようとするあきらの選択を描き、見事に映画的な結末に着地させた本作の選択は素晴らしく、それを象徴するのがこの「メール」という言葉に込められたあきらの想いなのだ。

今まで自分のペースでグイグイ迫っていたあきらが、様々な経験を経て店長の身になって考えるまでに成長したことを、「メール」の一言で表現したこのラストは実に上手い!
もちろん、この後二人が改めて接近する可能性を残したこの素晴らしいエンディングは、ようやくお互いの程良い距離感を見つけた二人のスタートラインを象徴するものであり、この続きは観客それぞれが考えられるようになっている。

この様に続編の可能性を残しつつ、親子ほど歳の離れた二人の恋愛物としては正に100点の結末に仕上げた永井聡監督の手腕だけに、ここは是非続編にも大いに期待したいところだが、そのためにはまず本作がヒットしなければならない。

なにしろ、あきらの父親や叔母、それに店長の離婚した奥さんなど、原作に登場する重要なキャラクターが本作には一切登場していないのも事実なのだ。
更なる新キャラの登場と、この魅力的な主役二人のその後を観るためにも、是非今すぐ劇場へ足を運んで本作を応援して頂ければと思う。

(文:滝口アキラ)

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