インタビュー

2018年03月03日

モードの物語はエベレットとの出会いから始まった!「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」監督インタビュー 

モードの物語はエベレットとの出会いから始まった!「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」監督インタビュー 



(c)2016 Small Shack Productions Inc./ Painted House Films Inc./ Parallel Films (Maudie) Ltd.

 

3月3日(土)より公開の『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』は、カナダで最も有名な画家モード・ルイスとその夫エベレット・ルイスの姿を描いている。ときに反発しあいながら、やがて互いに支え合っていく夫婦を『シェイプ・オブ・ウォーター』のサリー・ホーキンスと、『6才のボクが、大人になるまで』のイーサン・ホークが演じた。

実在の画家の物語を丹念に掘り起こした本作は、世界の映画祭で観客賞を受賞するなど高い評価を受けている。そんな作品を手がけたアシュリング・ウォルシュ監督に話を伺うことができたので、監督の口から溢れるように語られる言葉を頼りに、モードとエベレットが紡いだ物語をじっくりと紐解いていきたい。




──モード・ルイスのことを知ったきっかけについて教えてください。

モード・ルイスについて実は全く知らず、脚本を読んで初めてこんな人がいたことを知りました。この作品を撮りたいと思ってから初めて見た絵が、「クロネコ3匹の絵」。もう本当に、言葉では表現できないくらい感動しました。絵の色彩やフィーリングに驚かされて、それから彼女本人の写真を見て、この人がこの身体で描いたのかと感動を覚えたのです。プロデューサーとは脚本をもらった翌朝に話をして、「やりたい」と伝えました。私も画家として訓練されていたこともあってずっと画家の人生を撮りたいという思いがあったので、この作品が私にとって唯一のチャンスになると思ったのです。

──作品を通して、一番伝えたかったことは何でしょうか。

人生というものについて考えた時に、シンプルな生き方というのは現代社会で際立ち、多くのものがなくても人間は幸せになり得ます。人は芸術家になろうと奮闘するし、私も美術学校に行っていたので今でも奮闘している人を多く知っていますが、モード・ルイスという女性も“自分がなりたいもの”になろうとして努力したのです。それから、モードとエベレットの結婚のすばらしさも伝えたいと私は考えました。

──嘘偽りのない夫婦愛が胸に迫るものがありました。男女間のバランスで気を配ったところはありましたか?
バランスを意識したというよりはその逆で、モードとエベレットがどういった夫婦であったかということを自然に描いたことで有機的な表現になっただけなんです。もともと2人の生活は外からの干渉というものがほとんどなく2人が一緒に過ごす時間はとても長かったわけですが、私にとって面白かったのは、多くの場合が“沈黙”であったということがあります。それをどう表現するかというのは挑戦でもありました。私をよく知る人から私と夫の関係に非常に似ていると言われて、こういった物語を描いているとき自分自身もどこか影響してしまうのかな、とも思いました。

あとはサリーとイーサンという役者が均等な力を持っている、ということもあったのだと思います。脚本でどちらのキャラクターが台詞が多いとか割合が多いとかに関わらず、演じているときにお互い自然に、有機的に存在が大きくなったり小さくなったりということがあったのではないでしょうか。



(c)2016 Small Shack Productions Inc./ Painted House Films Inc./ Parallel Films (Maudie) Ltd.

 


──実在の人物を映画にするにあたって、描ける部分と描けない部分があったと思います。特に意識を置いて描いたという部分はありましたか?
もともと実在した人物・物語というのは映画作家として興味を惹かれるものでもありますし、実際に何度か手がけてきた経験もありますが、“どこを描いてどこを描かないか”は等しく重要なことだと思っています。10年ほど前、私が関わる前の企画開発のときにプロデューサーたちには子ども時代を描いたりだとか、モードが親と実家で過ごすというシーン構想もあったそうです。けれど私の中でモードの物語というのは、夫となるエベレットと出会ったときから始まると思っていました。映画ではその前に兄に勘当されたところからスタートして家政婦募集のメモを自らの意思で破り取るというところが描かれていますが、本当の意味でのモードの物語はやはりエベレットとの出会いから始まったのだと思います。

描かなかった部分でいうと、モードが絵を描くようになってから有名になるまでの間は結構な時間を端折っています。実は彼ら2人の生活というものを誰も知らないというところがあって、実際にどういった生活だったのか情報がない部分もありました。その部分のバランスが今回の物語を作るにあたって一番難しかったところでもあり、実際に撮影したもののカットしたシーンもあります。まずは若い女性としてのモードが結婚に至るまでを描いたあと、次にどこまで描くかというのが思ったよりも複雑で難しい部分でもあったのです。ただ、私は2人の40年にわたる結婚生活も描きたいと思ったと同時に、モードがいかに何もないところから今私たちが知るアーティストになったのか、その道のりも描きたいという気持ちがあったので作品に反映しました。

──エベレットとモードの関係性について、映画完成前のイメージと映画完成後のイメージで変化はありましたか?

特に変わるようなことはありませんでした。エベレットという男は複雑で気難しくて、けれど最後には観客がどこか好きになったり愛おしくなったりするようにしなければいけません。それこそモードがエベレットに惚れたように、観客も彼に少しずつ惚れてもらうように描かなければなりませんでした。ただ、彼が“むかしの時代の男”だというのは私も分かるところがあります。アイルランドのそれこそ子どもの頃から知っているような、しかも田舎に住んでいるようなおじいちゃんクラスという、今とは価値観の違う男性像だったわけです。それでもエベレットという人物を正確に描くことは重要なことであり、彼がモードに手をあげるシーンは観客によっては暴力的すぎると感じる方もいらっしゃいました。正直なところ、当時はああいった形でしか自己表現をできない人というのは結構多かったんじゃないかと思うんです。でも、手をあげたあの瞬間から2人の関係が変わっていく。あの瞬間からすべてが変わり、エベレットも少しずつモードのことを好きになっていくし、そもそも自分の身の回りをケアしてほしい人を募集していたのに、あの瞬間から彼がケアをする側に変わっていったのだと思います。それが、私の描きたかった2人の物語であり関係性でもありました。

あの時代においては、モードも今の時代とは違うタイプの女性でした。メインの撮影を終えたときに雪深いシーンを撮ることができず、大雪のときに役者なしで再びカメラマンと撮影に向かったときのことです。そのときにハッとしたことがあって、モードたちが住んでいた場所がいかに人里から離れ非常に孤独なものであったか、ということです。物音もしないような場所で40年間同じような日々が過ぎていく暮らしなど想像もできなくて、私なんて1週間くらいしか住めないと思いました。たぶん朝起きて最初にすることは火を起こすことで、火がなければ食事も作ることができないし何もすることができません。そんなエベレットの生活ぶりというのも同じように捉えたいと思いましたし、それが彼らの関係であり置かれた環境だったのです。ほかにも2人の人生の側面というのを描くのもきっと面白いとは思うし、現場でも冗談で話していましたが、「それは若かりし頃のエベレット、モードなんじゃない?」となって。つまりこの映画で語る部分ではない、とも話していました。



(c)2016 Small Shack Productions Inc./ Painted House Films Inc./ Parallel Films (Maudie) Ltd.

 


──監督はこれまでにも芸術家を描いた作品を多く手がけていますが、作り手のどういった部分に惹かれているのでしょうか。

アーティストが自分のクリエイティビティには執着しつつ、けれど世界とは違った見方を持っているという部分に惹かれます。日本にも女性アーティストは沢山いると思いますが、ピカソやゴッホみたいに知られていない無名の女性アーティストもきっと大勢いて、そんな人たちがどんなふうにものを見て、どんな作品を作っていたのかにもとても興味を感じます。私はフリーダ・カーロが大好きなのですが、女性に限らず多くのアーティストは自分自身と葛藤していて、それは自分自身の身体的なハンデもあれば単純に生活の中でものを作る時間があまりないといったものですが、作り出す作品は物凄く素晴らしいものだったりするところが面白いと思いますし、映画作りと似ているところがあるとも思います。私たちは映画を作り続けなければいけないような強迫観念的なものがありますし、物書きや小説家も一緒で「書き続けなければ」と思わせる、なにか生まれつき“やらなければ”という気持ちを持っているのがアーティストなのではないかと考えています。モードのことを考えると、毎日絵を描いていて幸せだったのかはもちろん誰にも分からないですよね。おそらく向上したいという気持ちはアーティストとしてあったと思いますが、「売らなければ」とか「もっと売れるものを」というような気持ちは彼女にはなくて、稼いだお金というのも薪代であったり生活に最低限必要な物を揃えるためのお金として使っていただけ。それくらい、彼女たちは遠隔地に住んでいたのです。

モードについて私が面白いと感じるのは、30マイル圏内でしか生活していなくてそれ以上は外に足を踏み出していないところですね。ほかのアーティストの作品は新聞記事で見る以外は目にしたこともないし、当然展覧会にも一切行ったことがない中であのような作品たちを作っていたのだと思うと、凄いと思いませんか? しかも今は東京で皆さんと彼女の話をしているなんて、あの小さな家からここまで広がっているというのは本当に物凄いことです。葛藤とは多くのアーティストが経験するものですが、モードの場合はあの小さな家で絵を描くことに平穏を見つけることができたのが良かったのだと思います。華氏−25度という厳しい冬、時には陽も短いという環境に置かれながらもこれだけのものを作っているのは凄いことだと感じました。

──作品の中で虫や鳥の鳴き声など“音”が印象的でしが、監督の中でこだわりがあったのですか?

私は映画の半分は音響と音楽だと思っています。以前、若いアシスタントのトレーニングのために音がないバージョンを観てもらってその後に音響と音楽をつけたものを観てもらったら「まったく違う映画ですね」と言っていました。観客は映画の半分を音が担っていることを忘れがちで、絵ばかりに目が行ってしまうところがあると思います。映画というのはやはり、“サウンド”と“サイレンス(沈黙)”というのが同じくらい重要で、特に今回の場合は2人が住んでいた場所がテレビもラジオもなくて、彼らの環境が自然音と沈黙の世界だったからこそそれを表現することが大切でした。ダブリンをベースにしていて15年来一緒に仕事をしている効果音アーティストがいるのですが、この方に任せれば足音やコップを置く音などディテールまでしっかり表現してくれるのは分かっていたので、今回もお願いしました。ほかの監督と話していても、そういった細かいことを気にしていなかったり、こだわらないという方もとても多いのですが、私はすごく重要なポイントだと考えていて。今回の場合はモードが足を引きずっているので、彼女の足音というのを2人できっちり考えて作りました。あるいは坂を上ってくるエベレットの荷車が立てる音や、モードが走らせる絵筆の音なども細かく考えて作っています。そういった些細な音というのも、ちゃんと観ている観客には聞こえている音なのだと思います。

──ケルトサウンドなど音楽も印象的で、監督もアイデアを出されたのでしょうか。

もちろんオーケストラを使って大掛かりなスコアにすることも可能でしたが、この映画についてはそうではなく、もっとシンプルな方が良いと感じました。実はニューファンドランドはアイルランドとスコットランドの影響を受けていますが、カナダの作曲家を使うことも重要な要素だと考えてカウボーイ・ジャンキーズというバンドにお願いしました。メンバーの1人でソングライティングを担当しているマイケル・ティモンズが作曲のアイデアを出してくれただけでなくダブリンまで実際に来てくれて、数日間一緒に過ごす中でいろいろ話し合いながら彼は作曲してくれました。この映画のテーマというべきシンプルな楽曲ですごく良いと思いましたし、私は楽曲の良し悪しは曲を聴いて部屋を出たときに自分が口ずさめるかどうかで判断していますが、それらの楽曲も当てはまりました。

映画の中盤に流れる楽曲はカナダ人アーティストの作品で、彼女はアルバムを1枚しか出していませんがアイルランドではすごく人気のあるアルバムです。仮でつけていた楽曲で最終的には完パケでも使うことにしたのですが、この曲がケルト的な要素を感じるような楽曲になっているのではないでしょうか。それはおそらくニューファンドランド自体がアイルランドの影響を受けているからかもしれないし、それがあるからこそすごく惚れ込んでしまうと同時に「この場所から出られないのではないか」という気持ちにさせるような場所でもあるのです。

──監督にとって良い役者としての共通点とは何でしょうか。

その瞬間を生きてくれる、演技をしているのではなく誠実にキャラクターを生きてくれている、あるいはキャラクターと存在しているところだと思います。私も経験があるので「こういう役者さんと仕事をするのが好きなんだな」と分かってきたのですが、イーサンやサリーのような、あれだけのレベルの役者になることはすごく大変なことです。自分が誰であるのかということを忘れてキャラクターになりきることができる、あるいはそのキャラクターであることを受け入れることができる、というのもあります。サリーはモードそのものという感じで、今回は絵を描くレッスンも受けてくれましたし、実は衣装の中で最初に決まったのが靴でしたがその靴でサリーはモードの歩き方を見いだしてくれました。イーサンは子役出身ということもあって、エベレットという物静かなキャラクターに対して自己表現力があるので、イーサンとエベレットは似ているところもあれば全然違うところもあります。誰と一緒に演技をしているかというのも影響してくると思います。イーサンとサリーの場合は、2人で演技することでお互いにレベルがよりアップするような役者さんですね。



(c)2016 Small Shack Productions Inc./ Painted House Films Inc./ Parallel Films (Maudie) Ltd.

 

──モードを演じたサリー・ホーキンスについて教えてください。

サリーとは長い間、「何かまた一緒にやりたいね」と話していました。この役を演じきることができる女優はなかなかいませんが、彼女ならできるということを私は分かっていました。この物語では若くてナイーブでイノセントな女性がより成熟した女性になるのですが、サリーなら1人で演じきると信じていましたし、彼女は私が監督するということで脚本も読まないで引き受けてくれて。モードの絵と本人の写真をサリーに送り、「こういう物語なんだけど、興味はある?」と私が聞くと、彼女は「やるわ」と即答してくれました。そして、サリーにしかできないモード・ルイスが誕生したのです。

 ──モードの何が人を動かしたと考えていますか?

彼女が常に幸福だったということです。モードはいつもハッピーで、いつも前向きな、すばらしい精神の持ち主でもあった。私たちも、映画の中でがんばる役柄や困難を乗り越えて成功する役柄を愛しますよね。

──モードは成功してもライフスタイルを変えませんでした。

実際のところ、モードは元来かなり立派な中産階級の良い家庭の出身でした。でも、そこで彼女は幸せではなかった。エベレットに会うまで彼女の人生は大変で、学校ではいじめられ、通りではやじられ、母親がホームスクールし、孤立していました。だからこそ、エベレットとの住まいが周囲から孤絶していていても、あの家で絵が描ける以上は彼女にとって問題なかったのではないでしょうか。もちろん、冬は凍えただろうし、年をとってもあの家に住み続けるのは大変だっただろうと思います。でも、彼女はトライし続け、それが人を引きつけました。人生で幸せになったり何かを達成したりするには、多くは必要でないということなのです。彼女は、自分から家政婦という仕事を得ようと動きました。自分の人生をちょっとずつ変えるためには自分から動かないといけないことを彼女は分かっていて、それが成功に繋がったのです。

──ありがとうございました。

モードはエベレットとの出会いを通して、どういった人生を歩むことになったのか。また、エベレットという偏屈な男もモードとともに暮らすようになってどのように変化していったのか。2人の人生にそっと寄り添う優しい眼差しのようなカメラアングルから耳に心地よい環境音まで、じっくり丁寧に描かれた夫婦の物語を見守ってほしい。

(取材・文:葦見川和哉)

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