アカデミー賞受賞作『セールスマン』で描かれる、イラン映画の現在

■「〜幻影は映画に乗って旅をする〜」

(C)MEMENTOFILMS PRODUCTION – ASGHAR FARHADI PRODUCTION – ARTE FRANCE CINEMA 2016

<〜幻影は映画に乗って旅をする〜vol.34:アカデミー賞受賞の『セールスマン』で描かれる、イラン映画の現在>

テヘランの町に佇むアパートが強引な工事によって倒壊の危機に晒され、そこに住む夫婦が慌てて家を飛び出すという衝撃的なオープニングで幕を開ける。新しいアパートに越してきた彼らだったが、ある日家に何者かが忍び込み、シャワー中だった妻に怪我を負わせる。犯人をなんとしても捕まえたい夫は、警察に相談しようとするが、それを妻が制止。自ら調査を続ける夫は、その部屋の前の住人がいかがわしい商売をして部屋に男を連れ込んでいたことを知るのである。

(C)MEMENTOFILMS PRODUCTION – ASGHAR FARHADI PRODUCTION – ARTE FRANCE CINEMA 2016

まずイラン映画といえば、アッバス・キアロスタミやモフセン・マフマルバフの出現によって90年代前半に世界的な注目を浴びる。日本でもその時代からミニシアターブームと共に人気を博し、90年代後半にはマジット・マジディの『運動靴と赤い金魚』が大ヒットし、その人気を不動のものにした。

とはいえ、その時代のイラン映画のイメージといえば、荒涼とした大地に子供が駆け抜け、大人たちは民族衣装を身にまとい、保守的な空気を漂わせた、いかにも先進国が想像したままの発展途上国の姿であったと言っても過言ではない。

ところが2000年代に入り、そのイメージが180度覆される。そのきっかけを作ったのが、本作の監督であるアスガー・ファルハディの監督4作目である『彼女が消えた浜辺』なのだ。

彼女が消えた浜辺(字幕版)

カスピ海沿岸にヴァカンスに訪れたセピデーたち三組の家族とその友人たち。彼らは、離婚したばかりの青年アーマドに、セピデーの知人の女性エリを紹介しようとしていたのだ。ところが突然、エリが姿を消してしまう。捜索を始める彼らであったが、彼女を招いたセピデーさえも、エリという名前以外彼女のことを知らなかったのである。

開放された密室ミステリーという、なかなか狂気に満ちた設定もさることながら、そこに描き出されるテヘランの中流階級の人々の生活は、前述したようなイラン映画の保守的なイメージをすべてひっくり返したのである。当然のように携帯電話を使いこなし、車から叫び、ヴァカンスを楽しむ。いかに世界の映画界が、この国の進歩を無視していたのかが判る瞬間であった。

しかも、そんな現代的な、まるでヨーロッパのミステリー映画を見ているような気分にさせられる画面の中に、イスラム教の厳粛な教えが自然と溶け込んでいることに驚きを隠しきれなかった。

もっとも、今回の『セールスマン』は、同じタラネ・アリドゥスティをヒロインに迎えたミステリー寄りの作品とはいえ、路線としてはファルハディの十八番である〝中流階級の夫婦に突然訪れた危機〟がメインテーマであろう。これまで『火祭り』『別離』、そしてフランスに渡って撮った『ある過去の行方』で実践してきた、会話劇によって構築されるスタイルだ。

これはイラン映画の新しい潮流となり、他の作家にも影響を与えている。数年前に東京国際映画祭で上映されたニマ・ジャワディの『メルボルン』もこの流れに乗った作品のひとつとして記憶している。

ファルハディの登場によって、イランの映画界が活気付いたことはいうまでもない。『彼女が消えた浜辺』が発表されて映画祭で高い評価を受けた翌年、2010年には年間の製作本数が300本を超え、その次の年にはさらに増加した。しかしながら、近年はまた200本を下回る状態が続いている。

それを考えると、今回の第89回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞したことで、再びイラン映画が世界的な注目を浴びて、活気付くきっかけになってもらいたいところである。

しかし、その影にあるのが、現在のアメリカ政治への反発なのであれば(トランプ政権の大統領令を受けて、関係者が授賞式をボイコットしたことが大きな話題となり、結果的に受賞の後押しとなったことは否定できない)、今回の受賞を素直に喜べないというのが正直なところだ。

■「〜幻影は映画に乗って旅をする〜」の連載をもっと読みたい方は、こちら

(文:久保田和馬)


    ライタープロフィール

    久保田和馬

    久保田和馬

    久保田 和馬 1989年生まれ。映画評論家/映画ライター/映像作家。フランス映画とアジア圏の映画をこよなく愛する。大学時代からの自主制作の延長で映像制作を行い、2013年から文筆業を開始。「図書新聞」へ映画評の寄稿、「リアルサウンド映画部」への寄稿など。

    ピックアップ

    関連記事

    新着記事

    WP Facebook Auto Publish Powered By : XYZScripts.com