私と映画Vol.8「カトープレジャーグループ 加藤友康社長を支えるストーリー」[PR]
『オキナワグランメールリゾート』(沖縄県)、『きれいな海と四季旬味 長崎温泉 やすらぎ伊王島』(長崎県)など、ラグジュアリーホテル・高級旅館等を運営するカトープレジャーグループ。うどん店「つるとんたん」の展開も成功し、年商はグループ全体で250億円を突破、加藤友康社長は「飲食業界の雄」として名を馳せる存在だ。そんな彼に、ビジネス論と好きな映画を聞いた。
映画のほか、劇などにも造詣が深い加藤友康社長。
私の父は兵役に就いたあと、大阪の商店街で洋服屋を営んでいました。浪曲が好きで、義理人情に厚くて――たまに、お客さんへ妙なことを言うのです。例えば高齢の女性に向かって「お母さん、心配するな、葬式は俺が出してやる」とか。子ども心に「なぜ縁起でもないことを!?」と不思議に思いましたね(苦笑)。
また、私が大人になってからもこんなことを言っていました。「結婚式に招かれても行けないことはあるだろう。でも葬式は『行けない』で済ますな。100回は行っておけ」と。
今は意味がわかります。「受けたご恩には絶対に報いよ」と言いたかったのでしょう。なぜなら、お葬式は恩返しの最後の機会だからです。また「見返りは求めるな」「いい時だけでなく、悪い時こそ顔を見せろ」という意味にもとることができます。
また、父は自分の生き方通りに行動もしていたのでしょう。私がビジネスを始めたあと「あなたのお父さんにお世話になったから」と私をかわいがってくれる方に何人も会いました。そんな父が言うことだからこそ、私の胸にも、しっかり刻み込まれたのだと思います。
そう、人を動かすには、リーダー格の人間が思いを言葉で伝えるだけでなく、行動で示すことが重要なのです。むしろ、それが唯一、人を動かすすべかもしれません。
そういった私の生き様が自分の子どもたちに「伝わっている」と感じたこともあります。東日本大震災の時、東京も消費が一気に冷え込み、一時的に売上が対前年比10%台にまで落ち込む時期もありました。幸いにして日本はすぐ復興へ歩み始めましたが、経営者は、このどん底が長期化した場合も考えなければなりません。
この時期、私は妻に「家も売らなければいけないかも」と話しました。子どもたちには「学校に通わせてやれないかもしれない」と言いました。すると皆が口をそろえ「わかっています。すぐに働いてもいい」と言うのです。18歳で結婚して以来、私を支え続けてくれた妻には、感謝の気持ちでいっぱいです。同時に、私は感じました。自分が命がけで事業を続けてきたことが、妻や子どもたちにも伝わっていたのだな、と。この時、中学生の子どもまで「働く!」と言うから、家族で「きみは働かなくていい」「義務教育は受けてくれ」と話したのは、今も心に残る思い出です(笑)。
リーダーの生き方、生き様は「伝わっていく」。そして、これが私のビジネスの原点になっています。
「家なんか、売ります」その言葉の背景は?
当社は飲食店のほか、ラグジュアリーホテルや、高級旅館等を経営しています。また、自治体が経営するホテル等を魅力的にリニューアルして運営する事業も行っています。これらのお店やホテルをつくるには、それ相応の感性が必要です。しかし、それより重要なのが、運営を行なう「人材」です。
では、どうすれば人材は育つか。教育のカリキュラムを組むことも大切ですし、すぐれたマニュアルを作ることも大切でしょう。でも、それより大事なことがあるのです。
それは、一緒に時を過ごし、仲間になり、感性や価値観を共有すること。
例えば私は22歳で父の会社を引き継いでから今まで、365日24時間、仕事のことばかり考えていて、夢にまで見るほどです。同時に、私はよく「人は享楽の世界では生きていけない」と話していました。ただ楽しいことだけ追いかけても、人間は必ず、そんなものは飽きてしまう。そうでなく、努力を重ね、成長し、いままでできなかったことができるようになり、名誉もお金も自分の身についてくる……この過程が一番楽しいのです。私自身、強く「成功したい!」と願って実現してきた自負があります。
そして、こんな情熱が周囲に伝わることで、初めて、人材が育つのです。
立ち上げ期、私が必死だったからか、かけがえない仲間たちは、私と一緒に我を忘れて働いてくれました。そして、12年前のことです。私は東京のビルのオーナーから『つるとんたん』の出店を打診されました。当時、我々は大阪を中心に出店していて、東京に店を構える自信はなかった。そこで、当社立ち上げメンバーの一人である前田崇行(現KPG Restaurant East 取締役社長 兼 COO)に相談すると、彼は「出店すべきです」と言い、彼自身が東京へ行くと言ってくれるのです。でもこの時、彼は大阪で家を買ったばかり。本当に大丈夫か訪ねると、彼はこう宣言しました。
「家なんか、売ります」
レストランイーストチームのメンバー。最前列、一番左端の男性が前田崇行氏。中段一番右が加藤社長。
普通は出てこない言葉かもしれません。私と彼との間で、生き方、生き様が通じ合っていたからこその言葉でしょう。
旅館の経営を、吉川久也(現KPG LUXURY HOTELS 取締役社長 兼 COO)に託した時も、感激しました。歴史と伝統がある旅館を再生するにあたり、なんの経験もない人物を経営者に据えても、現場は「よそから来た人だから」と冷めた目で見る可能性があります。そこで、私は彼に「毎日、風呂洗いをやってみては?」と助言しました。
もし、吉川がずるい人間であれば、私が言わんとすることだけ受け取って、従業員の信頼を得る努力はしても、風呂洗いまでしないかもしれません。ところが彼は、実際に毎日、お風呂を洗った。そして、従業員たちは吉川の思いの強さに打たれ、現場は新たな経営陣についてきたのです。
ならば、私は彼らにどう報いたか。私は、仕事を託しました。東京出店も、旅館の経営も、社の命運がかかっていた。これを人に託すのは、山にのぼっている時、仲間に命綱を握ってもらうようなものです。でも、自分と生き方を共有した仲間は、信じてこそ、力を発揮してくれるんです。そして私が「もし命綱ごと落ちてしまったなら、あいつらも落ちてくるだろう」くらいの気持ちでいると、業績はどんどん上向いてきたのです。
事業家にとって最も大切な仕事は、周囲に生き方や生き様を伝えることなのだ、と思っています。私が父から様々な教えを受け取ったように。
吉川久也氏が率いるチームのマネジメントメンバー。最前列、左から2番目が吉川氏。
長崎・伊王島で見た「奇跡」
そんな私が好きな映画は、終戦を描いた『日本の一番長い日』です。
私は戦後の教育の中で育ち、そして「戦前の日本の政治家や軍部は悪いことをした」と聞かされて成長しました。しかし、歴史を学ぶと「それは戦後、誰かに押しつけられた価値観だったのではないか?」と気付いたのです。
この映画では、終戦間際の昭和20年8月、日本の中枢にいた人物が何を考え、どう動いたかが描かれています。原子爆弾が落ち、まさに日本国が修羅場を迎える中、政治家や軍人たちは、連合国に徹底抗戦するか、降伏するかで激しい争い――議論だけでなく実力行使も含めた政治闘争を繰り広げます。そんな中、日本の軍人や政治家が、立場こそ違え、双方が命がけで国を思う姿が描かれています。
結果については、話すのを避けましょう。この映画で私が感じたのは、こうした純粋な思いや、日本人のルーツを伝えることがいかに大切かです。そう、私の家族や当社が、どこかで私の生き方を反映するように、日本の歴史や、その登場人物たちの熱い思いは、必ず、後世の日本人に伝わるのです。
今も日本人の道徳心がゆるがないのは、その一例でしょう。例えば震災の時も、略奪は起きず、配給も我先にと奪い合うのでなく、秩序を保って列を作りました。日本人は修羅場でこそ、自分のためだけを考えるのでなく、公のことを思うのだ、という価値観が、心の奥底に根付いているのです。そして、一見関係ないように思えますが、こうした映画が後世の我々に、日本人の価値観、日本人の魂を伝えてくれているのです。
もちろん、私自身も影響を受けています。例えば長崎県の伊王島のリゾート施設を再生した時のこと。最初、施設を見に行った時、率直に言えば魅力を感じませんでした。しかし地元の自治体の方々が「この施設を頼みます」と私の手を握って離してくれないのです。この思いは、私に伝わりました。「地域活性化のための熱い思いを裏切れない」と新戦略を考え続けるようになったのです。また「この仕事は、公のためにも成功させなければ」と強い使命感も持ったのです。
その結果、私は「大胆な方向転換が必要だ」と考えました。今までは全国から集客しようとしていたのですが、遠くから来るお客様にとっては、北海道、沖縄など、魅力的な地域が競合になります。そこで、地元の佐賀や福岡の方たちを主な顧客対象とし、何度も来たくなる施設をつくれば再生できる、と考えたのです。
のちに温泉を掘った時は、さらに大きなリスクを背負うことになりました。もし撤退する場合、温泉を持っていくわけにはいきません。でも、私は地域活性化の切り札を任されているのです。約束は「果たすため全力を出す」のでなく、ただ「果たす」以外にない。また、父に教わったとおり、義理や人情は、時に経営上の数字と同じくらい大切なのです。
そんな思いを持って、伊王島の再出発を迎えた日、私は信じられない光景を目にしました。見れば、見慣れない方たちが、施設の草むしりをして下さっている。どなたかと聞けば――見知らぬ島民の方たちが「この施設のために」と汗をかいて下さっていたのです。
思いは、伝わる。家族でも、企業でも、国家でも。今後も、事業家として、社員に、地元に、そしてお客様に熱い思いを伝え続けられる人間でありたいですね。
【プロフィール】
加藤友康
1965年、大阪府生まれ。22歳のときに父親の急逝により事業を引き継ぎ、代表取締役に就任。日本全国に事業所を展開し、総スタッフ数役3500名、年間500万人に及ぶ顧客を動員している。代表的な事業として「麺匠の心つくし つるとんたん」「熱海 ふふ」「Kafuu Resort Fuchaku CONDO・HOTEL」などがある。
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