映画コラム

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2018年07月20日

細田守監督『時をかける少女』もっと奥深く考察できる7つのポイント

細田守監督『時をかける少女』もっと奥深く考察できる7つのポイント


(C)「時をかける少女」製作委員会2006 

2006年に劇場公開された当時、はじめは全国21館のみという小規模で上映されていた『時をかける少女』は、口コミで話題を呼び、満席の回が続出し、9ヶ月に及ぶロングランヒットを記録していました。今では夏の定番映画と言えるまでの有名な作品となり、細田守監督の名前も一躍有名にしたことは言うまでもありません。

ここでは、青春映画として最高クラスの完成度に仕上がった理由を交えつつ、作品をさらに奥深く考察できる7つのポイントについて解説してみます。

※以下からはアニメ映画版『時をかける少女』本編のネタバレに触れています。まだ観たことがないという方は、鑑賞後に読むことをオススメします。

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1:モラトリアム期間における青春と成長の物語だった


アニメ映画版『時をかける少女』は多層的な構造を持っていますが、何よりも重要なポイントは“モラトリアム期間における(そこから脱する)青春と成長の物語”であることでしょう。

例えば、真琴は序盤にナレーションで「そんなに頭良くないけど、バカってほどじゃない」「後から思い出してやんなっちゃう失敗も、そんなにしない」などと自身を“そこそこ”に評価していますが、実際は数学のテストが全然解けなかったり、調理実習であわや火事を起こしそうになったりと失敗ばかり。そのくせ「今のは例外」とそれらの失敗について反省もしてなさそうでした。

その上、真琴は文系か理系かの選択を友人の友梨に聞いた時に「よかったー、先のことなんかわかんないもん」と返したり、キャッチボールをしながら将来の夢を聞かれると「ホテル王か石油王」と適当なことを言ったりもします。千昭と功介との関係についても「ずっと3人でいられる気がする」と言っており、まさに真琴は“このままで良いのに”や“未来を決めたくない”といったモラトリアム期間の真っただ中にいたのです。

そんな彼女はタイムループの能力を手にすると、プリンを妹より先回りして食べたり、2日前の鉄板焼きも食べたり、カラオケで10時間くらい歌ったりと欲望に忠実かつ、しょうもないことに使って行きます。しかし、その後に真琴はせっかくの千昭の告白を“なかったこと”にしてしまったり、クラスメイトの高瀬は真琴が回避した不幸(調理実習でのボヤ)のせいでイジメにもあってしまったりもしました。

今まで気楽でいた真琴が「最低だ、私。(千昭が)大事なことを話しているのに、それをなかったことにしちゃったのかな」などと反省し、その後にはタイムリープの残り使用回数をゼロにしてしまったせいで「止まれ!」と何度も絶叫し、さらには屋上ではまるで子供のように泣きじゃくる……これらのシーンは痛切な印象を残すでしょう。

こうして同じ時間を繰り返すというファンタジー(SF)を描いていながら、逆説的に二度と戻ってこない大切な時間を無為に過ごしてはならないという気づきを、これらの真琴の反省から得られるということ……これこそがアニメ映画版『時をかける少女』の大きな魅力です。そのモラトリアム期間からの脱出、そして人間としての成長は誰もが通る道であるからこそ、本作は青春映画の傑作として語り継がれるようになったのでしょう。

2:野球とキャッチボールが象徴しているものとは?


前述した主人公の真琴のモラトリアム期間を、最も端的に表しているのがファーストシーンです。“いつもの3人”が野球をしていて、真琴が妹へのグチをこぼしていると、その妹に「そろそろ起きなよ」と言われるのですから。このシーンが“夢”であることも含め、「そろそろ(モラトリアム期間を抜け出して)“現実”で大人になりなよ」という諫言にも思えてきます。

この野球というシチュエーションは、細田監督によると「普通に3人が歩いているだけだと“どっちがカレシなのか”と思っちゃうけど、野球をしていればそうならない」「真琴のアクティブさも出せる」という利点があったそうです。確かに、この3人が野球をしている間は色恋沙汰に発展しなさそうに見えますし、真琴はただただ元気の良い性格に見えますよね。

脚本家の奥寺佐渡子さんも“3人では野球の基本動作が一通りできるけど、1人でも欠けるとキャッチボールしかできない。その関係性が崩れるところから話が始まる”ということで、この放課後に野球をしているという基本設定を思いついたのだそうです。そして、3人で野球ができなくなってしまう(関係性が崩れてしまう)のは、やはり千昭または功介から恋愛の話題が出た時でした。いわば、野球が彼女たちのモラトリアム期間中の関係性を表している、または野球そのものが友情やコミュニケーションのメタファーとして有効に機能している、というのも本作の上手いところです。

しかも、ラストではたとえ千昭がいなくなったとしても、新たに誘った後輩たちも仲間になり、野球(コミュニケーション)を続けられています。これは、真琴が今までの3人だけの関係性から抜け出し、新たな世界(未来)でも頑張っていける、ということも象徴しているのでしょう。

3:「Time waits for no one」と顔文字の意味とは?


理科室の黒板に書かれていた「Time waits for no one」という英文と、そこに矢印と共に書かれた“( ゚Д゚) ハァ?”の顔文字はどういった意味を持つでしょうか。

「Time waits for no one」を直訳すれば「時は誰も待ってくれない」で、日本のことわざでは「光陰矢の如し」「歳月人を待たず」に当たるでしょう。それは「時間が経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、ムダにするんじゃないよ」という諫言であり、本作におけるテーマの1つとも言えます。

細田守監督によると、この「Time waits for no one」は「おそらく千昭が書いたんでしょうね」とのこと。後に千昭は「帰らなきゃいけなかったのに、いつの間にか夏になった。おまえらと一緒にいるのがあんまり楽しくてさ」と告げており、彼も真琴と同様に“このままで良いのに”と考えていて、そのモラトリアム期間にいた自分への戒めとしてこの英文を書いたのだと想像ができます。

では、その正論そのものとも言える英文に、“( ゚Д゚) ハァ?”と添えられているのでしょうか。それは、千昭の最後のセリフ「未来で待ってる」と、それに対する「うん、すぐ行く。走って行く」という真琴の言葉にも繋がっているのだと思います。つまり(時間は不可逆的なもので待ってくれないことも事実ではあるけれど)「こっちから全力で未来に向かって進んでいくよ」というある種の反骨精神が、この顔文字から伝わってくるのです(誰がこの顔文字を書いたのかは、最後まではっきりとはしませんが)。

ちなみに、「Time waits for no one」はローリング・ストーンズの名曲が元ネタで、細田守監督はそれを主題歌にしたいと冗談で言っていたものの、「権利費だけで制作費が飛んじゃうよね」ということで、結局劇中でその曲が使われることはなかったのだそうです(カラオケでもこのフレーズを繰り返す曲を千昭が歌っていますが、ローリング・ストーンズではないオリジナルの楽曲になっています)。その「Time waits for no one」の歌詞は良くも悪くも辛辣で後ろ向きなものでもあるので、その反論という意味でも“( ゚Д゚) ハァ?”が使われたのかもしれませんね(ちなみにこの顔文字はロケ地の学校で見つけた落書きでもあったそうです)。



(C)「時をかける少女」製作委員会2006 




4:架空の絵画が示しているものとは?


未来人であった千昭が現代にやって来た理由は、“白梅ニ椿菊図”という絵画を観ること、ただそれだけでした。これは大戦争と飢饉の時代の“世界が終わろうとしていた時”に描かれたという設定の架空の絵画で、未来もそれと同じような時代になったのではないかと、千昭の言葉の端々から想像できるようになっています。

細田守監督は「涅槃や、ある種の救いを感じさせる」こともこの絵画に求めていたそうで、確かに絵画からは混沌あるいは絶望的な状況にあっても、仏のように誰かを慈しむという優しさが伝わってくるようでした。千昭はこの絵画から、何かしらの希望を見出したかったのかもしれません。

そして、千昭が世界を救うだとかそういうことではなく、あくまで“個人的な理由”でこの絵画を観に来ていることも、重要になっていました(詳しくは次の項で解説します)。

5:主人公は“現代の女性像”が反映されていた! それでも変わらない価値観とは?


細田守監督は、このアニメ映画版『時をかける少女』の主人公像について「主体性を持たせて、失敗して後悔することも含めて、自己責任で行動するバイタリティーがないといけない」と考えていたのだとか。それは、これまでの『時をかける少女』の主人公像が“その時代の女性の理想像”であり、新しく作るのであれば現代の価値観を反映させる必要がある、という信念に基づいていたようです。

事実、過去の『時をかける少女』の主人公はおしとやかな性格で、勝手にタイムリープの能力が発動して過去に戻ってしまう、物語上では“受け身”な立場でした。原作小説が書かれた1960年代、または有名な大林宣彦監督版が公開されていた1980年代はまだ経済もテクノロジーも成長途中で、社会全体がどんどん豊かになっていくという希望があり、同時に“女性が責任を自分で引き受ける必要がなかった”、“社会が幸せになっていくから個人も幸せになっていく”という価値観も凝り固まっていたとも言えます。それこそが、今までの『時をかける少女』の物語上で受け身な主人公像(女性像)として反映されていた、と細田監督は考えていたのです。

しかしながら、現代でそうした価値観が通用しなくなっているのは、誰の前にも明らかです。そこで、細田監督は“個人(女性)が自分の幸せや未来を考えて、そこからアクティブに社会に働きかけて行く”ことが現代では重要と考え、その女性像を新たな『時をかける少女』の主人公に反映させたいと考えたのです。確かに、本作の主人公の真琴は(はじめはモラトリアム期間にいたものの)主体的にタイムリープの能力を使っており、自身の幸せと未来を考えるようになっていますよね。

また、主人公の真琴だけでなく、前述したように未来人の千昭も、元々は(現代にしかなかった絵画を観るという)“個人的な理由”でタイムリープの能力を使っていた、ということも重要です。

なぜなら、その真琴と千昭は“仲の良い3人のままでいる”というモラトリアム期間から脱し、さらには個人的な損得をも超えて“大切な人のため”に“最後の1回”のタイムリープの能力を使うようになるのですから。現代に合わせた新たな主人公像を作りながらも、時代が変わっても大切な人のために行動する、その価値観だけは絶対に変わらないと示している(その行動の発端が個人的な理由によるものでも良いと肯定している)ことも、アニメ映画版『時をかける少女』の素敵なところです。

6:“自分で自分の道を選択していくことを肯定する”メッセージとは?


本作は前述したように「Time waits for no one」をテーマとしながら、同時に“自分で自分の道を選択していくことを肯定する”というメッセージも含んでいます。それは、真琴の叔母である芳山和子の言葉でわかることでした。

その芳山和子とは、『時をかける少女』の原作小説および過去の映像作品における主人公の名前です(飾ってあった写真のそばには原作で登場したラベンダーの花も添えられていました)。彼女は初恋の男の子のことについて「待つつもりはなかったけど、こんなに時間が経っちゃった」などと語っており、少し寂しい物言いではあったものの、後悔はしていなさそうでした。

そして和子は、「あなたは、私みたいなタイプじゃないでしょ。待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ」と真琴に告げます。これは真琴がもともと持っている性格および、前述した“現代ならではの主人公像(女性像)”を最大限に肯定する言葉に他なりません。

つまり、和子は自分の選択を受け入れている一方で、真琴(転じて現代の女性)にはそれとは違う選択肢(生き方)もあるとアドバイスをしているのです。“どちらかが間違っているからどちらかが正しい”という二項対立ではなく、その人が良いと思えば良い選択であり、ベストな生き方であるというメッセージが、この和子のセリフに込められていると言っても良いでしょう。

7:“シュレディンガーの猫”の意味とは? まだまだ気づいていないこともある?


アニメーション作品は、実写とは違って画面に偶然映り込むものはなく、その全てに作り手がなんらかの意味を与えることができます。本作『時をかける少女』も、繊細に描きこまれた風景、背景にいる名もなき人々など、それぞれに意味がある、だからこそ何度観ても新しい発見のある、豊かな作品になっていると言っていいでしょう。

例えば終盤、時間が止まった世界では1カットだけ、箱の中に猫、ガラスのビン、金槌、ガイガーカウンターが入れられているという “シュレディンガーの猫”が映り込んでいます。これは量子力学における有名な思考実験で、タイムリープの理屈が「量子力学的なものらしいよ」と“わかる人だけわかるように”示されたものだったのか。本作の主題はあくまでもモラトリアム期間における青春と成長の物語なので、科学的な理屈は確かにこのくらいの描写で良いのかもしれませんね。

この他にも、学校の中で生徒たちが勉強をしている光景や、入道雲をはじめとした様々な形の雲に至るまで、アニメ映画版『時をかける少女』はこだわり抜かれた表現の数々を堪能でき、そしてそれらの意味を考察する楽しさに溢れています。ぜひ、繰り返し観て、さらなる魅力を探してみてください。

おまけ:細田守監督が演出を手がけた、この作品も観て欲しい!


細田守監督の『サマーウォーズ』には、そのプロトタイプと呼ぶべき、物語や演出がとてもよく似ている『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』という作品があるのは有名です。同様に、アニメ映画版『時をかける少女』にも、その前身となる作品があったのをご存知でしょうか。それは、テレビアニメ「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」の第40話「どれみと魔女をやめた魔女」です。

細田守監督が演出を手がけた「どれみと魔女をやめた魔女」と、アニメ映画版『時をかける少女』の共通点には、“やりたいことが見つかってない少女”が重大な選択を迫られるということ、“分かれ道”とその標識がその選択のメタファーとして登場すること、不可逆的な“時間”についてのメッセージがあること、大人の“魔女”が主人公に何かを教えるということなどがあります。(しかも、この魔女の声優を務めているのは、大林宣彦監督版『時をかける少女』の主人公を演じていた原田知世であったりもします)

わずか20数分の作品ながら、ガラス作りを繊細かつ丁寧に見せる演出などに、細田守監督のこだわりを随所に感じられるでしょう。とある選択を突きつけられてしまうという残酷性と辛辣さはアニメ映画版『時をかける少女』以上でしたが、同時に人生の岐路にいる女性への優しい視点もそこにはありました。細田守監督の最高傑作との呼び声も高く、その作家性が全面に表れた作品でもあるので、ぜひご覧になって欲しいです。

さらに、「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」の第49話「ずっとずっと、フレンズ」も細田守監督が演出を務めており、こちらも親友への“告白”の悩みが描かれるなど、アニメ映画版『時をかける少女』に通ずる要素がありますよ。

参考図書:時をかける少女 NOTEBOOK

(文:ヒナタカ)

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