『許された子どもたち』レビュー:6・1後の生きる覚悟をイジメ問題から示唆

(C)2020「許された子どもたち」製作委員会
 

1か月半以上にわたる非常事態宣言がようやく全国的に解除されて、東京も多くの映画館が6月上旬から再開できる見通しになってきました。

その中で待望の新作も徐々に公開される予定となっています。

いち早くお目見えする中の1本が、6月1日より東京ユーロスペースや大阪テアトル梅田で、その他の地域も順次公開予定となっている『許された子どもたち』です。

実に嬉しいニュースではありますが、それはそれとしてこの作品、単に再び映画館で映画を見られる喜びとは別の面で、とてもシビアで、見る側に何某かの覚悟を要求するであろう問題作でもあります……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街472》

アフター・コロナかウィズ・コロナか、いずれにしてもこの映画はまさに“今”の、そしてこれからの過酷な現実社会を生き抜くためのヒントが隠されているようにも思えてなりません。

その意味でも要注目の必見作なのです!

イジメが昂じて人を殺した
少年の罪と罰

『許された子どもたち』の舞台は、とある地方都市。

中学1年の不良グループのリーダー、絆星(キラと読みます/演じるは上村侑)は仲間と共に同級生の樹(安部匠晟)を日頃からイジメていました。

やがて、ふとした衝動で絆星は樹を殺してしまいます……。

最初、絆星は警察に犯行を自供しますが、最愛の我が子の無罪を信じて疑わない母・真理(黒岩よし)の説得により、一転して罪を否認。

まもなくして少年審判は彼に「不処分(無罪に相当)」を言い渡しました。

ようやく自由になったと思いきや、絆星を許すまいとする(もしくはストレス発散であったり、単に面白がっている輩も含め)人々の批判とも誹謗中傷ともつかない激しいバッシングがSNSはもとより日常的に巻き起こり、絆星と両親はその地に住めなくなっていきます。

一方、樹の両親は民事訴訟で絆星ら不良グループの罪を改めて問うことを決意。

当の絆星は、世間から隠れるように生きのびようとする両親に対しても心を開くことなく、一体何を考えているのかわからない風情を通しつつ、あるときひとりの少女・桃子(名倉雪乃)と出会います。

彼女もまた日頃から手ひどいイジメを受けながら生きていました……。

SNS問題やコロナ禍の
今こそ必見の意欲作

イジメをモチーフにした映画は古今東西数多く見受けられるところですが、その大半はイジメを受けた側からの告発であったり哀しみであったりといったものでした。

しかしこの作品は、イジメを行った側からの目線で、人が複数集まるだけでどうしても起きてしまう人間関係の闇を描出すべく腐心した、意欲的な問題作です。

とかくイジメというものは、イジメられた側の多くはその過酷な体験が一生癒えることのない心の傷となって残ってしまうものですが、イジメた側はそうした行為を覚えていない、もしくは大したことはしていない(下手すると正しいことをしたと勘違いしている輩も)と認識している者が多いように見受けられます。

しかし「イジメ」という言葉を「犯罪」と置き替えてみたら、イジメを行ったことのある側の意識も多少は変わってくるのかもしれません。

先ごろ、SNSで誹謗中傷された女子プロレスラーが自らの命を絶った痛ましい事件も、一種の犯罪ではあるでしょう。

数か月ぶりの学校の再開は喜ばしいことではある一方、それまでイジメを受け続けている子たちからすると悪夢の再来に他ならないかもしれません。

今年の流行語大賞候補にもなりそうな「自粛警察」もまた、己を正義と信じて疑わない者たちによるイジメであり、犯罪行為であると捉えることは大いに可能です。

しかし、これらのイジメや誹謗中傷、過剰な正義行動などは、誰もが気づかぬうちに実践してしまっていることなのかもしれない……。

これまで『先生を流産させる会』(12)『ミスミソウ』(18)など、罪を犯す少年少女にこだわった作品を多く手がけてきた内藤瑛亮監督は、イジメに関するさまざまな事件から着想を得て、8年がかりで本作を企画し、自主映画スタイルでようやく具現化。

その執念は、8年前よりもSNS問題やコロナ禍の今こそ、ショッキングなまでに実り得ているようにも思えてなりません。

本作に出演している少年少女たちはイジメにまつわるワークショップに参加して、実際の加害者&被害者双方の話を聞いたり、加害者も被害者も演じてみたりするなど、この問題の複雑怪奇さと真摯に対峙しながら撮影に臨んでいます。

その意味でも今回の主人公を演じる上村侑の、これまでどの映画でも見たことのないような、強くも弱くもない、それでいて虚無的とも思えない不可思議な目力に圧倒されます。

また大人の立場からすると、我が子がイジメを犯していたら、そして人を殺したら、その罪を素直に受け入れられるものかどうか? といった家族の絆がもたらす闇の問題までも白日の下にさらしていきます。

正直、大なり小なりのイジメを受けたことのある人からすると、こういった作品は生理的に見たくないと思われるかもしれません。

実は私自身も、見るまでは憂鬱なものがありました。

しかしいざ見始めると、加害者と被害者、その周囲の人々の心情の波がうねりとなって、現代社会の闇を見事に映し得ていく秀作として、最後まで飽きさせることがありませんでした。

真のエンタテインメントとは単に面白いものを指すのではなく、そこに触れた人々に何某かの啓蒙を与えるものであると固く信じている身としては、この映画はまさにエンタテインメントと呼ぶにふさわしい作品です。

最後まで見終えた人の心に何がこびりつくか、そしてそのこびりつきは本格的にアフター(もしくはウィズ)コロナが始まる6月1日以降、どのような生きる覚悟を示唆してくれるのか、それらを明らかにしてくれることでしょう。

いやはや、映画は常に現実社会と呼応し合いながら変貌しては秀逸なメッセージサービスを送り得るメディアであることを、改めて痛感しています。

(文:増當竜也)

※この記事は、劇場での鑑賞を必ずしも推奨するものではございません。みなさま各々のご判断で、ソフト販売/配信開始の後での鑑賞も併せてご検討ください。


    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画レビュー・コーナー『戯画日誌』を連載中。近著に『映画よ憤怒の河を渉れ 映画監督佐藤純彌』(DU BOOKS刊)がある。

    ピックアップ

    新着記事

    WP Facebook Auto Publish Powered By : XYZScripts.com