『グランドフィナーレ』で到達したマイケル・ケインの映画人生

グランドフィナーレ ポスター

(C)2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHÉ PRODUCTION, FRANCE 2 CINÉMA, NUMBER 9 FILMS, C -FILMS,FILM4

映画『グランドフィナーレ』は、その名のごとく人生のフィナーレをいかに迎えるかを試行錯誤している人々の物語ですが、その主人公でもあり、やがて生きることの真実を見つける天才音楽家に扮しているのは……

キネマニア共和国~レインボー通りの映画街~vol.122

私が最も好きな名優マイケル・ケインなのです!

二人の老芸術家の生きざまから醸し出される
人生の機微

『グランドフィナーレ』は、アルプスの高級リゾートホテルでバカンスを過ごしているイギリス人音楽家フレッド(マイケル・ケイン)とその周囲の人々の物語。

すでに引退して久しいフレッドは、かつて彼が作った名曲をフィリップ殿下の誕生日に指揮してほしいという女王陛下の依頼を即座に断ります。

それはなぜ?

一方、フレッドの長年友人でもある映画監督ミック(ハーヴェイ・カイテル)は、遺作の覚悟で新作の準備を進めています。

老いて何もしようとはしない男と、老いてますます仕事に盛んな男、二人の男の対比を中心に、映画は誰もがやがては必ず迎える「死」の視線から「生」を、イタリアの鬼才パオロ・ソレンティーノ監督は飄々としたユーモラスなオペラ感覚で描いていきます。

『ケイン号の反乱』から
名付けられた芸名

本作はマイケル・ケインをこよなく愛し続けてきた私のようなファンにとってたまらないものがあるのですが、ではここで少しマイケル・ケインのキャリアを振り返ってみましょう。

マイケル・ケインは1933年3月14日、イギリスは南ロンドンのロザーハイド生まれ。戦後、兵役を経て演技を志し、ロンドンの演劇学校で学んで舞台に立つようになります。

当初マイケル・スコットの芸名でデビューしますが、既に同じ名前の俳優がいたことで改名を余儀なくされ、エージェントと公衆電話で相談していたときにあたりを見渡したら、近くの映画館で『ケイン号の反乱』が上映されており、それでマイケル・ケインと名乗るようになりました。

映画デビューは56年『韓国の丘』の脇役で(彼は兵役で韓国にも進駐していました)、その後下積みが続きますが、64年の『ズール戦争』の好演で注目され、翌65年、レン・デイトン原作のスパイ映画『国際諜報局』で主役のハリー・パーマーを演じ、一躍人気を得ました(この後もケインは映画やTVムービーで幾度もハリー・パーマーを演じることになります)。

続く『アルフィー』(66)のプレイボーイ役ではアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、その後も順調にキャリアを重ねていきます。出演者ふたりだけのミステリ映画の傑作『探偵スルース』(72)ではローレンス・オリヴィエと共演し、ともに主演男優賞候補となりました。

ただし、日本におけるマイケル・ケイン人気は、同じイギリス人スターのショーン・コネリーなどと比べると地味な存在でもあり、また「オファーされた役は原則として断らない」主義の彼は、それゆえに出演する作品の出来不出来も激しく、中には「B級ヒーロー役者」と揶揄する評論家もいたほどです。

そんな彼が「A級のヒーロー」として見事銀幕に花を咲かせたのが76年のジョン・スタージェス監督の遺作『鷲は舞いおりた』でした。

ヒトラーの気まぐれで始まった、時の英国首相チャーチル誘拐計画の全貌を虚実まみえながら描いたジャック・ヒギンズの戦争スパイ小説を原作に、マイケル・ケインはユダヤ人を助けたことから作戦の遂行に駆り出されていくドイツ軍部隊の将校を名演。まさに「男が男に惚れる」といった魅力にあふれていました。

1980年代以降の
個性派名優としての名声

70年代後半よりアメリカ映画に進出するマイケル・ケインですが、やはり当初はヒーローを演じた失敗作が続き難戦しますが、80年のブライアン・デ・パルマ監督『殺しのドレス』で精神科医を演じて以降、『キラーハンド』(81/未)や『デストラップ・死の罠』(82)など、どちらかというと怪演での活躍が目立つようになっていきます。これこそ、そもそも役を選ばない彼の個性が全面開花していく前ぶれでもありました。

そんな彼の魅力が全面開花した作品がウディ・アレン監督・主演映画『ハンナとその姉妹』(86)で、ここで彼は三姉妹の長女ハンナの夫を演じて、アカデミー賞助演男優賞を受賞しました。

ここで彼らしいエピソードが、その授賞式の日に彼は何と『ジョーズ87復讐篇』(87/DVDタイトルは『ジョーズ4/復讐篇』撮影のため欠席していたことで(ちなみにこの作品、ラジー賞候補となり、ケインも主演男優賞候補に上ってしまいました。惜しくも受賞は逃しましたが⁉)、その翌年の授賞式に登壇した彼は、いきなりその場で受賞の喜びをスピーチしはじめ、場内を沸かせたりもしました。

この後、彼は主演助演にこだわらず、それこそオファーされるがまま、何でも出演し続け、99年の『サイダーハウスルール』で二度目のアカデミー賞助演男優賞を受賞し、このときは前回を反省(?)して出席し、そのスピーチの際、同じく助演男優賞にノミネートされていたトム・クルーズに向かって、「トム、助演のギャラがどのくらいかよくわかっただろ?」と、何とも皮肉なギャグを飛ばしました。

ギャラの額が多いオファーを単純に喜ぶこの名優(このあたり、何となく日本の丹波哲郎を彷彿させるものもあります⁉)、「2週間もグリーンバックの前に立たなければいけない作品なら、ギャラは倍でないといやだ!」などと、ホントかウソかわからないこともよく言っています⁉

実は『サイダーハウス・ルール』日本公開を前に、私はマイケル・ケインの電話インタビューを頼まれたことがあり、配給会社のアスミックエースにて先方から電話がかかってくるのを待つことになっていたのですが、当日、何時間経っても電話はかかってきません……。

ついにこちらから問い合わせてみたら、何と本人が単純に忘れていた(!)とのこと。それまでの間、憧れのケインと話ができると思ってガチガチになっていたこちらはもう脱力状態で、でもそれも彼らしいな……と、何となく悪い気はしませんでした(取材はその後、FAXインタビューとなりました)。

最近では“ダークナイト”3部作などクリストファー・ノーラン監督の常連でもある彼は、『グランドフィナーレ』で第28回ヨーロッパ映画賞男優賞を受賞しています。現在83歳、現実の映画人生はまだまだフィナーレなどと言わず、今後も元気でしたたかな姿を見せ続けていただきたいものです。

(本当はもう一人の主演ハーヴェイ・カイテルについても書きたかったのですが、それはまた別の機会に)

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(文:増當竜也

    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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