視聴率20パーセント女優の仕事一筋の頑なな人生

 

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.35

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

1970年代から80年代にかけてのテレビ・ホームドラマ・ブームの中、いつも見かける顔の中に、池内淳子も含まれていました。当時は白い割烹着姿で煮物でも作っているかのような頼もしい女将さんとでもいったイメージだったように思います(そんなCMにも出ていた記憶も……)。

池内 淳子さん

しかし実は彼女、映画界出身で、若き日に波瀾の日々を過ごしたことで、逆に肝っ玉の据わった女を演じ続けることができたのだと、私などが知ったのはかなり大人になってからでした……。

昔気質の環境からの映画界入り
そして突然の結婚と離婚

池内淳子は1933年11月4日、東京市本所区の生まれ。生家は祖父の代まで8代続いた乾物屋で(父は会社員)52年3月の高校卒業後、三越本店に入社し、呉服部に所属するも1年半後に退社して花嫁修業のために和裁と料理の学校に通います。
(どうも祖父が昔気質の頑固者で、就職そのものも反対されていたようです)

54年、友人の勧めで『サンケイグラフ』のカバーガールに応募し、当選して同誌の10月下旬号の表紙を飾りますが、その清楚な姿が新東宝の宣伝マンの目に留まり、翌55年、小森白監督の『皇太子の花嫁』で映画デビューしました。

このとき、祖父の猛反対で映画出演は1本だけという約束だったようですが、会社の説得でようやく正式な入社が叶い、以後、若手清純女優として清水宏監督の『次郎物語』(55)『何故彼女等はそうなったか』(56)などに出演。志村敏夫監督の『新妻鏡』(55)では初主演を飾るなど順調にキャリアを進めていき、56年には第1回日本映画製作者協会新人賞を受賞し、久保菜穂子、三ツ矢歌子とともに新東宝の女優三羽烏として一躍脚光を浴びていきます。

しかし、同年秋にラジオで共演した歌手・柳沢真一と恋愛関係になり、翌57年に新東宝を退社して彼と結婚し、何と芸能界を引退してしまいます。

ところが翌58年には離婚(このあたりの真相は今も不明のままです)。この後、新東宝時代の仲間たちの励ましもあって芸能界に復帰。新東宝とも再契約を結ぶことになりました。

もっともこの時期の新東宝は、経営不振でエロ、グロ、アナクロ戦争映画を量産し始めており、清純派で売っていた彼女としては『花嫁吸血鬼』(60)を代表に、かなり不本意であったであろう作品の出演が続きますが、これによって逆に女優としてのしたたかさを身に着け、人間的にも成長していったと評価する向きもあります。

なお新東宝復帰後の池内淳子は、もともと結婚に反対していた時の社長・大蔵貢に冷遇されていたとする説がありますが、当時の新東宝スタッフらはそれを否定しています。実際、大蔵貢の葬儀には彼女も参列しています。

やがて60年12月にその大蔵社長が退陣し、いよいよ終焉のときが近づいていく新東宝ではありましたが、そこで育った女優として最後まで運命を共にしようという意地のもと、池内淳子は翌61年の『湯の町姉妹』に出演し、5月の契約切れとともに、既に製作停止状態に陥っていた新東宝を去りました。

映画の代表作『けものみち』から
テレビ、舞台へ

その後、池内淳子はテレビ出演OKの条件で東京映画と契約を結び、岡本喜八監督『地獄の饗宴(うたげ)』(61)や川島雄三監督『花影』(61)、豊田四郎監督『如何なる星の下に』(61)、稲垣浩監督『どぶろくの辰』(61)などそうそうたる監督たちの作品群に出演し、一方では“社長”“駅前”といった人気喜劇シリーズでも才を発揮。中でもシリーズ第4作『駅前温泉』(62)から最終作『駅前桟橋』(69)まで21本出演し続けました。

そして65年、彼女の代表作といえる須川栄三監督の『けものみち』に主演します。松本清張の同名小説を原作とする、寝たきりの夫を殺害して右翼の大物の愛人となりふてぶてしく生きていこうとするヒロインを熱演。

また東映に出向しての加藤泰監督『沓掛時次郎 遊侠一匹』(66)では薄幸の生涯を送るやくざの女房おきぬを情感たっぷりに醸し出しながら演じ切りました。

ただし、このころから彼女の魅力を活かした題材が映画ではなかなか見い出せなくなっていき、同時にテレビ出演が増加していきます。

そもそも、池内淳子の資質を開花させてくれたのはテレビドラマでした。60年の『今日を生きる』『日日の背信』といった昼帯の主演作品がお茶の間の人気となり、いわゆるよろめきドラマの口火を切ることになり、65年に始まる東芝日曜劇場『女と味噌汁』は80年まで計38回も続く人気シリーズとなります。それとともに、「お嫁さんにしたい女優」「割烹着が似合う女優」「料亭の女将など粋な姿が似合う女優」として、どちらかというと和のイメージを前面に出しながら、お茶の間の支持をどんどん得ていくのでした。

舞台も69年『天と地と』に初出演し、以後は完全にテレビと舞台を中心とした活動へ移行していきました。

70年には日本舞踊の水木流家元・栗島すみ子のもと、水木紅澄の名で名取ととなっています。

映画出演は、東京映画を70年に辞めてフリーになった後、『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(71)マドンナ役以降ずっと途絶えていましたが、フランス映画『ヘッドライト』(56)を翻案した蔵原惟繕監督の『道』(86)で仲代達矢扮する主人公の妻を演じ、久々に映画復帰。また松山善三監督『虹の橋』(93)では大店の女将を気丈に演じ、さらに時を経て2004年の『同窓会』に出演。最後の映画出演となりました。

2002年に紫綬褒章、2008年に旭日小綬章を受章。

若き日の結婚に破れて以来、ずっと独身を貫き、仕事一筋の人生を送った池内淳子は2010年5月、名古屋中日劇場の舞台『三婆』を生涯最後の出演作とし、同年9月26日に肺腺癌で亡くなりました。76歳でした。

(文:増當竜也)

    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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