世界中にコマキストを拡散させていった栗原小巻

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.32

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

栗原 小巻さん

まだ小さかったころ、確かNHKの大河ドラマ特番のような番組だったと思いますが、そのとき司会者やコメンテーターたちがやたらと”コマキスト”という言葉を連発するので、不思議な響きだなあと妙に耳に残ったのですが、それが栗原小巻ファンの総称であることを知ったのはまもなくしてからのことでした。

バレリーナから俳優座“花の15期生”へ

栗原小巻は1945年3月14日、東京都生まれ。父は児童劇作家の栗原一登で、弟は脚本家の加来英治。幼い頃からヴァイオリンを習い、ヴァイオリニストをめざしていましたが、やがて志望をバレリーナに切り替えて東京バレエ学校に入学。そこでボリショイ・バレエ団のメッセレル女史らの指導を受けた際に「バレエをやるには演技力の基礎訓練が必要」と言われたことがきっかけとなって、63年、俳優座養成所に15期生として入りました。

ちなみにこの15期生、原田芳雄に地井武男、夏八木勲、林隆三、高橋長英、前田吟、小野武彦、村井国夫、赤座美代子、三田和代などなど、そうそうたる顔ぶれで、のちに“花の15期生”と呼ばれる存在でもありました。

64年、フジテレビのドラマ『みつめいたり』(森川時久演出)で初主演しますが、内容が暗すぎるとしてオクラ入りとなりますが(4年後に放映)、同年『虹の設計』や65年『山ほととぎすほしいまま』でお茶の間の前に登場となりました。

66年3月、養成所卒業公演『自由少年』でヒロインを演じ、4月から俳優座準劇団員に。そして67年、NHK大河ドラマ『三姉妹』で末の妹お雪に扮し、岡田茉利子、藤村志保と共演。この作品で一躍注目を浴び、特に世の男性陣からは熱烈な支持を得て、先に掲げた“コマキスト”なる言葉が生まれたほどでした。

同年4月にはドラマ『ゴメスの名はゴメス』で仲代達矢と競演し、その劇場版『ゴメスの名はゴメス・流沙』(67)で映画デビューを果たし、その後『若者たち』(67)にも出演。

68年にはチェーホフの『三人姉妹』で末娘イリーナに扮し、このあたりから舞台でも大きな役を演じるようになり、TV、映画とバランスよく活動していくようになっていきます。68年度・第9回日本放送作家協会賞女性演技車掌、69年度・第1回テレビ大賞優秀タレント賞、71年には第6回紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。

映画では70年の小林俊一監督『新・男はつらいよ』でマドンナを務め、71年、中村登監督の『愛と死』で初主演、そして72年の熊井啓監督による清冽なラブストーリー『忍ぶ川』でヒロインを演じ、これが大ヒット。特に加藤剛扮する夫との新婚初夜のシーンはエロティシズムと叙情を両立させた映画史上に残る名シーンとも讃えられており、同時に映画館の中では多くのコマキストの嘆息を誘ったとも言われています。彼女はこの作品で毎日映画コンクール女優演技賞を受賞しました。

73年には加藤剛と再びコンビを組んで出目昌伸監督『忍ぶ糸』に主演し、74年は熊井監督『サンダカン八番娼館・望郷』で女性史研究ジャーナリストに扮し、南方の地に売られた女たち“からゆきさん”の悲愴な人生を調べあげていきます。

コマキストとサユリスト、
昭和後期の男性を二分させた二大女優

栗原小巻の映画的キャリアがユニークになっていくのは、74年の日本とソ連(現ロシア)の合作映画『モスクワわが愛』からでしょうか。ここで彼女は白血病に侵されたバレリーナ役で、かつて目指していたバレエをここで披露するとともに、ソ連の映画ファンから絶大なる支持を受けることになり、78年の日ソ合作『白夜の調べ』にも主演します。76年にはスリランカ長期ロケの『スリランカの愛と別れ』もあり、また文革後の中国で『愛と死』が上映されるや、こちらも大評判となり、世界各地にコマキストを拡散させていくことになりました。

85年には『菩提樹(ピパル)の丘』でネパールの地に幼稚園を作るべく奔走する日本人女性を、90年には日ソ合作としては3作目となる『未来への伝言』を企画し、出演。そして91年、中国残留孤児を題材にした謝晋(シェ・チン)監督の中国映画『乳泉村の子』で、我が子を捨てざるをえなかった悲劇の日本人女性を演じるなど、インターナショナルな活動を続けていきます。

国内では、71年に倒産した大映が復活しての第1弾、森川時久監督『わが青春のとき』(75)や、山内鉄也監督『水戸黄門』(78)では凛々しい男装の侍姿を、今井正監督の『子育てごっこ』(79)ではメガネの小学校教師姿をそれぞれ披露。エラリー・クイーン原作、野村芳太郎監督のエレガントなミステリー大作『配達されない三通の手紙』(79)では三姉妹の次女を演じ(彼女はテレビでも舞台でも映画でも、不思議と三姉妹という設定が似合うみたいです)、今井監督が自身のモノクロ代表作を自らカラー・リメイクした『ひめゆりの塔』(82)などが印象的で、山田洋次監督『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』(85)では再びマドンナを演じています。

2004年の『ミラーを拭く男』以降、映画出演が途絶えているのは残念な限りです。

TV出演は『樅の木は残った』(70)で主人公・原田甲斐の悲恋相手のたよを、『新・平家物語』(72)で若き日の北条政子を、『黄金の日日』(78)ではヒロインと、70年代のNHK大河ドラマに連続出演。81年の長時間ドラマ『関ケ原』では細川ガラシャを演じていますが、80年代以降は2時間ドラマを中心とする単発ドラマの出演が多くなっていきます。

また映画史上不朽の名作『風と共に去りぬ』(39)が75年にテレビ初放送(日本テレビ『水曜ロードショー』)された際、主演ヴィヴィアン・リーの声を演じたことも話題になりました。

舞台では『ロミオとジュリエット』(81)で芸術祭賞優秀賞、『復活』(91)で芸術祭賞を受賞。81年にはソ9連の演出家A/エーフロフを招いて『櫻の園』に主演。85年には蜷川幸雄演出の『NINAGAWAマクベス』でイギリス・エジンバラ芸術祭に参加し、86年には女優生活20周年を記念して、俳優座劇場で『恋愛論』を初プロデュースしました。

俳優座を退団した現在も、フリーで舞台を中心にした活動を続けています。

彼女がデビューした1960年代から70年代まで、世の男性はコマキストかサユリスト(吉永小百合ファン)に大きく二分されていたと聞きますが、どうやら栗原小巻は舞台に、吉永小百合は映画にと、昭和を代表する二大女優は活動の主力を移していったようです。

栗原小巻の場合、気品高い愛らしさや美しさゆえに、若い頃は良家の令嬢的役柄が似合ったりもしていましたが、そういった容貌の奥では常にどこか芯の強さをにじませており、それがまた気品高さに循環されていく、そんな個性を持った女優ではないかと思われます。

彼女が最近映画出演しなくなったのは、日本映画自体に気品がなくなってしまったからかもしれませんね。

※「東京スポーツ」「中京スポーツ」「大阪スポーツ」は毎週月曜、「九州スポーツ」は毎週火曜発行紙面で、「生誕100年 写真家・早田雄二が撮った銀幕の名女優」を好評連載中。

(文:増當竜也

    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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