仲谷昇の演劇に対する飽くなきこだわり人生

■「キネマニア共和国」

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.20


現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

仲谷 昇さん


今回は異色の個性派男優・仲谷昇の登場です。

どこか繊細なインテリ的風貌から善悪両面を巧みに演じ分けていく巧さと個性は、20世紀後半の日本演劇・映画界に欠かせない存在でもありましたが、若き日の二枚目ぶりも見逃せないところです。

妥協のない
演劇と演技へのこだわり


仲谷昇は1929年5月4日、東京市芝区の生まれ。麻布中学時代、加藤武や小沢昭一がクラスメイトだったものの、当時は演劇に興味を示すことはなく、法律家を志し、49年、中央大学法学部に入学。しかし、そこで演劇に強く惹かれていき、翌50年には大学を中退して文学座付属演劇研究所に入所。同期には北村和夫や小池朝雄などがいました。

51年には文学座研究生となり、『武蔵野夫人』で初舞台を踏み、文学座の中堅俳優として活動するようになります。

53年には今井正監督のオムニバス映画『にごりえ』(第2話「大つごもり」)で映画デビューしますが、この撮影中にラッシュを見た彼が今井監督に「我ながら芝居にすきがありすぎる。もっと別のやり方をすべきでした」というと、今井監督は一旦解体したそのシーンのセットをもう一度組み直させて撮り直しをしたというエピソードが残されています。

63年、芥川比呂志とともに文学座を辞めて現代演劇協会付属劇団“雲”を創立。75年には再び芥川らと脱退し、演劇集団“円”を旗揚げしました。

60年代の映画における活躍としては、『学生野郎と娘たち』(60)で出会った中平康監督とのコンビネーションが挙げられます。『猟人日記』(63)『砂の上の植物群』(64)『おんなの渦と渦の流れ』(64)と連続主演。中でも『猟人日記』は原作者・戸川昌子を妻役に迎えつつ、浮気を続ける財閥の娘婿を巧演しました。

小林正樹監督のオムニバス映画『怪談』(64)の第4話「茶碗の中」の侍役も、インパクト大の不気味さでした。

70年代以降の
映像作品への意欲的出演


70年代なかばに入ると『さらば夏の光よ』(76)『江戸川乱歩の陰獣』(77)『日本の首領(ドン)完結編』(78)『悪魔が来りて笛を吹く』(79)『ザ・ウーマン』(80)『ラブレター』(81)『小説吉田学校』(84)などなど、映画出演にも精力的になっていきます。

TVでも『帝銀事件大量殺人・獄中31年の死刑囚』(80)で平沢貞道を熱演。また『ウルトラマンレオ』(74)『スパイダーマン』(78)『大戦隊ゴーグルファイブ』(82)『巨獣特捜ジャスピオン』(85)など、実はテレビ特撮ヒーローものへの出演も多く、さらにはフジテレビの深夜バラエティ番組『カノッサの屈辱』(90~91)での案内人“教授”に扮し、当時の若者たちからカルト的な支持を得ました。

92年の映画『ひき逃げファミリー』での、ちょっとボケが始まっている祖父役も、見事な演技力に裏打ちされた好演でした。

もっとも本人は演劇人として舞台活動を怠ることなく、92年からは演劇集団“円”の代表を務めるようにもなりますが、それを機とするかのように映画出演は一気に減り、97年の『マルタイの女』以降、銀幕で彼の姿を見かけることはほとんどなくなりました。

2006年11月16日、慢性閉塞性肺疾患のため、77歳で死去。

プライベートでは競馬雑誌で連載を執筆するほどの競馬好きで、野球は読売ジャイアンツの大ファン。そして1日100本はタバコを吸うヘビースモーカーでもあったとのことです。

結婚は3回。最初の結婚(54~78)相手は、女優の岸田今日子でした。

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(文:増當竜也

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