『7500』を機に、日本人監督の海外進出に目を向ける
清水崇監督の新作『7500(ナナゴーゼロゼロ)』が7月25日より公開中です。『THE JUON/呪怨』でハリウッド進出し、2週連続で全米興行成績第1位を果たした清水監督のハリウッド映画第3弾の日本公開を記念して、
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街~vol.2》
では、日本人監督の海外進出について触れてみようと思います。
フライト・ショッキング・ホラー『7500』
まず『7500』の内容は、ロサンゼルス発東京行きのジャンボ旅客機7500便が突然激しい乱気流に襲われ、乗客の一人が「息が出来ない」と苦しみ出し、死んでしまう所から始まります。死体を乗せたまま飛び続ける機内に流れる不穏な空気にプレッシャーを感じる乗客たち。それに応じるかのように、徐々に謎の怪異現象が起きてゆきます。
飛行機の中という密室空間を活かしたサスペンス・ホラー映画は、ひとつのジャンルとして認知できるほどの数がありますが、ここでは清水監督ならではのショック演出や、幽玄的な闇の描出、70年代パニック映画に倣ったグランドホテル形式の人間描写などにより、ひとくちにホラーとジャンルを定義しきれないユニークな仕上がりになっています。
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提供:カルチュア・パブリッシャーズ 配給:プレシディオ
7月25日(土)より新宿バルト9ほかにて全国ロードショー
J・ホラー・ブームによる日本人監督の海外進出
さて、清水監督は99年のVシネマ『呪怨』『呪怨2』で注目され、その劇場版『呪怨』(01)『呪怨2』(03)がJ・ホラー・ブームの中、サム・ライミ監督の目に留まり、彼のプロデュースで『The JUON/呪怨』(04)『呪怨 パンデミック』(06)を監督したわけですが、中国や香港、台湾などアジア系の監督が続々ハリウッド進出していく中、どうしてもその波に乗り切れなかった日本の映画監督に希望の光を与えてくれたようにも思えます。
またその意味でもJ・ホラー・ブームの果たした役割は大きく、その火付け役となった『リング』(98)の中田秀夫監督は、ハリウッドで『ザ・リング2』(05)を監督し、そのときの体験を基にしたドキュメンタリー映画『ハリウッド監督学入門』を発表。2010年にはイギリス映画『Chatroom/チャットルーム』も演出しています。
J・ホラー・ブームということで忘れてはならないのが、鶴田法男監督。この人こそオリジナルビデオ『ほんとにあった怖い話』シリーズ(91~92)などで、まだ日本映画界の中でホラーというジャンルが意識されていない頃から徹底して恐怖とは何かにこだわり続け、先の中田監督や黒沢清監督などに多大な影響を与えた監督でもあり、その流れで『リング0~バースディ』(00)の監督に抜擢されるなど、まさに“キング・オブ・J・ホラー”と呼ぶべき存在で、「鶴田作品を見ずに日本のホラー映画を語るなかれ」といった貫禄を示し続けている異能の才人ですが、そんな鶴田監督もアメリカ資本で、海に出たクルーザーの中で巻き起こる男女の忌まわしき怪異譚を描いた『ドリームクルーズ』(07)を演出しています。
これはミック・ギャリスなどが製作総指揮を務めたホラー・アンソロジー・プロジェクト〈マスター・オブ・ホラー〉シリーズの1本で、三池崇史監督もこのプロジェクトの中で『インプリント~ぼっけえ、きょうてえ~』(05)を発表しています。主演は『アンタッチャブル』の殺し屋役で注目された怪優ビリー・ドラゴ。日本の明治時代を舞台にした極彩色の地獄絵図の物語でした。
単身海外に飛び込んでいく猛者たち
こういったJ・ホラー的な流れとは別に、単身ハリウッドに渡って独自の熱い活動を続けているのが北村龍平監督です。オーストラリアで映画を学び、『VERSUS ヴァーサス』(00)で世界的に注目され、日本映画の枠から逸脱すべく大海に飛び出した北村監督は既に『ミッドナイト・ミート・トレイン』(08・未)と『NO ONE LIVES ノー・ワン・リヴズ』(12)と2本のヴァイオレンス・ホラー映画を発表。昨年、日本に凱旋して撮った実写版『ルパン三世』(14)は、そんな彼のワールドワイドなセンスが遺憾なく発揮されていました。現在もロスを拠点にしており、今後の活躍も大いに期待したいところです。
岩井俊二監督も2012年にハリウッドで『ヴァンパイア』を監督しています。実は彼も2005年よりロスを拠点に活動しており、複数の監督たちの短編をひとつのストーリーに紡ぐ仏・米合作の恋愛映画『ニューヨーク、アイラブユー』(09)にも参加しています。どちらかというとホラー的なものとは無縁のイメージがあった岩井監督ですが、作品を見るとなるほどと頷ける岩井美学が描出されていました。脇に美少女青春映画の快作『シーズ・オール・ザット』(99)のレイチェル・リー・クックが出ていたのも、この監督ならではのキャスティング?
まもなく『アンフェア the end』が公開される佐藤嗣麻子監督も、商業映画監督としてのデビューは英・日合作(実質はイギリス映画)『ヴァージニア』(92)で、これが認められて『エコエコアザラク』2部作(95・96)などパワフルかつスタイリッシュなホラーを連打し、注目を集めながら『アンフェア』シリーズに行き着いたのでした。
93年にH.P.ラブクロフトの小説をベースに、英・日・米の監督がそれぞれの恐怖世界観オムニバス形式で描いた映画『ネクロノミカン』第2話“ザ・コールド”を演出したのは金子修介監督です。本作での経験が、後の平成『ガメラ』シリーズ(95・96・99)で世界中の特撮怪獣映画ファンにその名を轟かせ、『DEATH NOTE』2部作(06)も海外で高評価を得るなどの名声につながっているのかもしれません。
日本人監督の海外進出の元祖・原田眞人
さて、そもそもこういった日本人監督の海外進出は、本来黒澤明監督が1960年代後半に『暴走機関車』『トラ・トラ・トラ!』というふたつのハリウッド企画で先陣を切ってなされるはずだったのですが、前者は製作中止、後者は監督解任といった仕打ちを受け、ともに幻となってしまいました。しかし、黒澤監督時代の『トラ・トラ・トラ!』でセカンド監督を務めていた佐藤純彌監督は、このあと海外ロケ作品に積極的な活動を示すようになり、特に日中戦争における両国の悲劇と戦後の和解を合作スタイルで描いた秀作『未完の対局』(82)などで、アジアとの映画交流の原点的存在となりました。
また、海外進出ということでの元祖といえるのは、黒澤監督を信奉してやまない原田眞人監督でしょう。彼は70年代に渡米して映画ジャーナリスト&評論家として活動しながら数々のハリウッド映画人と交流を持ちながら映画を学んだ先駆的存在で、監督第2作『ウィンディー』(84)は西独・日合作で、世界を転戦するバイクレーサーとその娘のヒューマン・ストーリーが描かれていきます。スタッフ&キャストのほとんどが海外勢で、『X-MEN』シリーズでおなじみパトリック・スチュアートも重要な役割で出演しています。
原田監督が90年代に入ってオール・アメリカ・ロケで撮った『ペインテッド・デザート タフ劇場版』(94)は、殺し屋の非情な世界を描いたオリジナルビデオ・シリーズ『タフ』の主人公のその後を描いたハードボイルド映画ですが、ここでの彼は謎の人物といった扱いがなされており、メインとなるのはカフェを営む日系人女性(ノブ・マッカーシー)と彼女を愛する無骨な男(ジェームズ・ギャモン)のたどたどしくも微笑ましい心の交流とその機微なのでした。また、ここでは太平洋戦争における“東京ローズ”の要素が挿入され、戦争の闇にも触れられているあたり、最新作『日本のいちばん長い日』(15)にまで連なる原田監督ならではの秀逸な戦争観が垣間見られます。
96年にはオール・カナダ・ロケで、モスクワ・オリンピックをアメリカがボイコットしたため、4年後のロス五輪を目指すボート・チーム主将の闘いを描いた『栄光と狂気』を発表。一応日・米・加合作となっていますが、スタッフ&キャストのほとんどは現地の人間で、『ペインテッド・デザート』も含めて、完全に洋画として扱うべきものでしょう。
こういった国際的な活動を続けてきた原田監督の異邦人的視線が、『日本のいちばん長い日』に至る作品群に独自のユニークな味わいを与えていることは疑いようもありません。
なお、今年『駆込み女と駆出し男』で初の時代劇、『日本のいちばん長い日』で初の戦争映画を手がけることのできた原田監督の最後の夢は、アメリカで西部劇を撮ることだそうです。
『ラスト・ナイツ』以降も続いてほしい映画的海外進出
この秋は、『CASSHERN』『GOEMON』(08)と独自のCGワールドを形成した紀里谷和明監督がハリウッドで撮ったアクション・ファンタジー巨編『ラスト・ナイツ』も公開予定です。キャストもクライヴ・オーエンやモーガン・フリーマン、韓国のアン・ソンギ、日本からは伊原剛志が参加。こういった日本の映画人の海外進出や国際的映画交流こそは、映画ファンの大きな喜びのひとつとなるだけでなく、現在の国際政治における各国間の軋轢までも凌駕してくれると期待したいものです。
(C)2015 Luka Productions.
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(文:増當竜也)
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