俳優・映画人コラム

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2016年08月21日

1960年代後半を白馬のように駆け抜けた伝説的アイドル女優の極み、内藤洋子

1960年代後半を白馬のように駆け抜けた伝説的アイドル女優の極み、内藤洋子

■「キネマニア共和国」

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.38


現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

内藤 洋子さん



今の60代くらいの男性に内藤洋子のことを聞くと、ほぼ例外なく目を輝かせながら、彼女がいかに可愛く素敵であったかをとうとうと語り始めてくれます。実際、彼女が出演した当時の映画などを見ると、なるほどとうなづけるほどの、今のアイドルにはない清純な可愛らしさ(おでこの大きさもたまらなくいい!)に目を奪われるほどで、同時に世界に名だたる大巨匠・黒澤明監督に見い出されただけあって、女優としての存在感も素晴らしいものがあるのでした……。

巨匠・黒澤明に見いだされて
映画デビュー


内藤洋子は1950年5月28日、茨城県鹿島郡の生まれ。幼い頃に神奈川県鎌倉に家族で移り、小学校のときに雑誌『りぼん』のカバー・ガールを7年間務めています。

64年、黒澤明監督の『赤ひげ』(65)の中で、加山雄三扮する若き医者の許婚まさえ役がなかなか決まらずにいたところ、黒澤監督の長女・和子が『りぼん』を定期購読していたことがきっかけとなり、表紙の彼女を見た黒澤監督がひと目で気に入り、彼女には理由を告げないまま東宝撮影所へ招いて面接し、まさえ役に決定。
(ちなみに、このとき最終候補まで残っていたのが酒井和歌子で、黒澤監督はどちらにするか悩みに悩み、最終的には長男・久雄が選んだ内藤洋子に決定したとの説もあり)

1か月に及ぶリハーサルを経て撮影に臨み、公開されるやその清純さが好評で、65年度の製作者協会新人賞を受賞しました。

66年にはテレビドラマ『氷点』ヒロインに抜擢され、お茶の間の人気も得、また同年、岡本喜八監督の時代劇『大菩薩峠』を経て恩地日出夫監督による青春映画『あこがれ』で初主演し、同年度のNHK映画賞最優秀新人賞を受賞。本多猪四郎監督『お嫁においで』で加山雄三と再共演も果たしています。

67年は恩地監督『伊豆の踊子』で従来にない瑞々しいヒロインの踊子・薫を演じ、つづいて松山善三監督『その人は昔』で舟木一夫と共演し、このとき彼女自身が歌った挿入歌《白馬のルンナ》は50万枚のセールスを記録しました。そして森谷司郎監督の青春3部作第1弾として人気の高い『育ちざかり』では明るい高校生ヒロインを演じ、ゴールデンアロー賞新人賞を受賞。

3年連続新人賞を受賞する初々しさとみずみずしさ、これが当時の彼女ならではの魅力でもあったと思います。

人気絶頂の折に結婚、引退
そして現在は絵本作家に


68年は青春3部作の第2弾で森谷監督の代表作ともいえる『兄貴の恋人』で、兄(加山雄三)の縁談をことごとくぶち壊してきた妹の複雑な内面を、見事に演じきりました。またこのころから『社長えんま帖』『続社長えんま帖』と東宝ゴラク喜劇路線にも花を添えるようになっていきます。

69年は芥川龍之介原作、豊田四郎監督の時代劇問題作『地獄変』で、公家と絵師との確執に翻弄され、やがて悲劇を迎える絵師の娘を熱演し、新境地を開いていますが、それだけに続く『娘ざかり』で再び明朗快活な女子大生を演じてくれたときは、正直ほっとさせてくれるものすらあったと、当時の彼女のファンから聞いたこともありました。

ところが70年の『日本一のワルノリ男』を最後に映画出演は途絶え、71年3月26日、ギタリストの喜多嶋修と結婚し、芸能界を完全に引退してアメリカへ移住。後に女優となる喜多嶋舞は、彼女の長女です。

現在は喜多嶋洋子として絵本を執筆するなどの活動もしていますが、マスコミへの露出はさほど多くはありません。しかし、だからこそ今もなお伝説的存在として語り継がれているのでしょう。

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(文:増當竜也)

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