「これ1本」の約束から始まった司葉子の女優人生

写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.21

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

司葉子

新人時代の東宝プログラムピクチュアにおける清楚さから、松竹映画『紀ノ川』(66)での貫録ある熱演、横溝正史シリーズのミステリ快作『獄門島』(77)ヒロインなどなど、どの作品でも映画をより壮麗に輝かせる個性を、ごく自然に醸し出し続けている希有な女優、それが司葉子の魅力でもあります。

名家の出に恥じない
「柔らかい好感の持てる」新人時代

司葉子は1934年8月20日、鳥取県境港市の生まれ。生家は因幡三郷士のひとつに数えられた名家でした。

53年に上京して共立女子短期大学家政科に進み、、翌54年に卒業して大阪の新日本放送(現・毎日放送)に入社して総務課・専務秘書を務めますが、ひょんなことから知人の推薦で『家庭よみうり』誌の表紙を飾ることになり、それを目にした東宝の丸山誠治監督が、折しも主演女優が病気で出演できなくなり、企画がストップしていた『君死に給うことなかれ』の代役として、相手役の池部良とともに彼女のスカウトに乗り出します。

当然ながら家族は大反対で、本人もただただ戸惑うばかり。しかし義兄の知人であった笠置シヅ子に相談した結果、これ1本だけという約束で出演を承諾することになりました。

司葉子という芸名は、池部良がこのとき名付けたものです。

『君死に給うことなかれ』は54年の夏に公開され、批評家からも「柔らかい好感の持てる容貌」の新人女優として褒められ、本人はまだ女優を続ける意思はありませんでしたが、「もう1本だけ池部良の相手役をやってみないか」と勧められて読んだ、伝説の投手・沢村栄治の伝記映画『不滅の熱球』(55)シナリオの面白さに惹かれて出演を承諾。

そうこうしているうちに、いつのまにか司葉子は東宝を代表する若手女優として人気を得ていくのでした。

当初は『雪の炎』(55)『花嫁会議』(56)『忘却の花びら』(57)『愛情の都』(58)などなど、清潔感のある雰囲気を活かした良家の子女役などが多く、それはそれで男性ファンには嬉しいところではあり、58年には雑誌『平凡』読者人気投票ベスト・テンで女優部門第9位に東宝の女優として唯一ランク・インしています。

このあたりからお嬢様女優からの脱皮が始まり、久松静児監督の『愛妻記』(59)、堀川弘通監督『青い野獣』(60)などで熱演を示すようになり、これらが認められて松竹の小津安二郎監督に招かれ、『秋日和』(60)で初の他社出演を果たすとともに、その透明感あふれる演技と存在感が高く評価されました。

なお、このとき彼女の母を演じた原節子とは、その後も良き友として交流を深め合っていったようです。

1960年代における
映画女優としての大飛躍

61年には黒澤明監督による娯楽時代劇の最高峰『用心棒』に薄幸の女役で出演し、出番こそそう多くはないものの鮮烈な印象を残しました。

62年には司葉子を『秋日和』で松竹に貸し出したバーターとして、今度は小津監督が東宝に出向いて『小早川家の秋』を撮り、当然ながら彼女も出演しています。また同年、鈴木英夫監督のハードボイルドOL映画の快作『その場所に女ありて』におけるシャープなヒロインも忘れられません。

ただし司葉子の真の転機となったのは66年、再び松竹に出向いて主演した中村登監督による女性映画大作『紀ノ川』でしょう。これは彼女が原作者の有吉佐和子と親しかったことから実現したもので、紀州の旧家に嫁いだ女の一生を、明治・大正・昭和と移り変わっていく時代の流れとともに描いていく物語でしたが、このとき特に好評だったのは娘時代よりも、老いてからの演技で、結果としてキネマ旬報女優賞をはじめ、その年の映画賞を独占し、女優生活13年の集大成としました。

翌67年も小林正樹監督による骨太な封建主義批判時代劇『上意討ち・拝領妻始末』と、成瀬己喜男監督の遺作となった『乱れ雲』でともにヒロインを演じ、女優として円熟した姿を銀幕で披露します。

もっとも、この時期には既に日本映画界の斜陽化が加速し始めており、彼女もやがて映画から舞台、テレビへと活躍の場を移行させ、さらには69年に当時の大蔵省主計局次長・相沢英之と結婚し、75年には夫の衆議院議員選挙の出馬を応援すべく、一時芸能界から離れますが、77年の市川崑監督による名探偵・金田一耕助シリーズ第3作『獄門島』ヒロインで銀幕復帰してファンを喜ばせ、その勢いで第4作『女王蜂』(78)にも出演しました。

その後も佐藤純彌監督によるトヨタ自動車を築いた豊田喜一郎の伝記映画『遥かなる走路』(80)で喜一郎の父の後妻を好演。当時大人気だった“たのきんトリオ”主演映画『ブルージーンズ・メモリー』(81)では田原俊彦の母親役を演じていました。

誇り高き男たちにとっての
美しき永遠のマドンナとして

90年代には、社長シリーズなど東宝ゴラク映画の雄・松林宗惠監督がゲートボールを題材に、老いてなお誇り高き職人たちの意気を描いたスポーツ映画『勝利者たち』(92)で彼女は男たちのマドンナを務め上げ、若き日同様、その美しき姿を銀幕に留め置いてくれていました。

現在のところ2003年の宮藤官九郎初主演映画『福耳』を最後に映画出演は途絶えており、舞台は『女の一生』(09)などや、テレビでは『おひさま』(11)などに出演していますが、やはり出来れば今一度、銀幕で気品高い司葉子の姿を拝見したいものではあります。

そういえば映画がらみのエピソードとして、97年に三船敏郎が死去した後、司葉子は彼に国民栄誉賞を授与させるべく政府に直訴しています。残念ながら実現はなりませんでしたが、彼女は三船と8回共演していました。

ちなみに彼女の三男の妻は、元Winkでもおなじみのタレント相田翔子です。

※「東京スポーツ」「中京スポーツ」「大阪スポーツ」は毎週月曜、「九州スポーツ」は毎週火曜発行紙面で、「生誕100年 写真家・早田雄二が撮った銀幕の名女優」を好評連載中。

(文:増當竜也)

    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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