キーパンチャーとは?寅さんにみる当時の言葉の興味深い世界
画像:寅の巻全作品データベース
どうも。タクスズキです。
みなさんは『キーパンチャー』という職業をご存知でしょうか。これは映画『寅さん』の第1作【昭和44(1969)年】で登場した当時の職業の名前です。そうした当時を振り返れるデータベースが『男はつらいよ 寅の巻』にまとまっていますので、いくつか気になったものを紹介してみます。
若い方々は、当時の特徴を捉えるために、上の世代の方々は、当時を懐かしむために読んでみてください。
キーパンチャーとして勤めるビジネスガール?
まず、第1作のデータベースに記載してあったのが、以下の文章。
丸の内の一流電機メーカーオリエンタル電機にキーパンチャーとして勤めるBG(ビジネスガール)のさくらが、通勤時に着用しているのが、ミニのワンピース。
参照:第1作 男はつらいよ|寅の巻全作品データベース
気になるワードが2つありますね。
1つは『キーパンチャー』というもの。冒頭でちょっと触れましたが、「コンピュータで処理(情報処理)するためのデータを、入力する職業に従事する人」を指すようです。データ入力者ですね。
もう1つの気になるワードは『ビジネスガール』。これは、女子事務員を指しているようです。今でいう、OL(オフィスレディー)ですね。
こうした、今からは推測が難しい用語がデータベースサイトでは、いくつも登場するのです。他にも見てみましょう。
テレビがモノクロの時代
シリーズ第2作『続・おとこはつらいよ』【昭和44(1969)年】のデータには、こんな記述がありました。
テレビ
とらやの茶の間にあるテレビは、まだモノクロ。京都から傷心の寅さんが戻って来ての昼餉、気まずい雰囲気のなかテレビを付けると…
参照:第2作 続 男はつらいよ|寅の巻全作品データベース
今や4Kと言われるテレビも登場していますが、当時はまだ白黒テレビが現役だったんですね。白黒テレビを見たことのない記者からすれば、非常に新鮮な光景とも言えるでしょう。
それにしても、「気まずい雰囲気のなかテレビを付けると…」の続きが気になりますね。笑
みなさん、第2作を見て確認してみましょう。
最近流行ったトレンチコートは当時も
シリーズ第3作『男はつらいよ フーテンの寅』【昭和45(1970)年】では、トレンチコートが登場しています。
トレンチコート
騒動の翌朝、寅さんはトレンチコートの襟を立てて、博とさくらに見送られながら旅立つ。寅さんがコートを羽織る珍しい場面。
参照:第3作 男はつらいよ フーテンの寅|寅の巻全作品データベース
ここ数年、流行っているトレンチコート。45年前にも流行っていたんですね。ファッションの流行は繰り返すと言いますが、まさにその通りです。寅さんのトレンチコート姿も見てみたいもの。
タクシーの初乗りが激安!
シリーズ第4作『新・男はつらいよ』【昭和45(1970)年】では、衝撃的なタクシーの乗車料金も明らかになります。
名古屋のタクシー
大穴を当てた寅さんが、なんと名古屋からタクシーで柴又へ。公開時の初乗り料金は100円(20円/450m)で、柴又までの料金は二万九千円!!
参照:第4作 新男はつらいよ|寅の巻全作品データベース
東京23区、武蔵野市、三鷹市ですと、今日現在(2015/03/21)で初乗が2000mまで730円ですから、初乗りの100円が相当安く感じますよね。当時の物価レベルを想像しやすい記述です。それにしても安い。
また『洋行スタイル』という聞きなれない言葉も登場します。
洋行スタイル
ハワイ旅行に旅立つ朝、寅さんは胸に日の丸をあしらった白いジャケットに雪駄。おばちゃんは最新流行のワンピースに帽子、おいちゃんも晴れがましいよそ行きを着て、ウキウキしている。
参照:第4作 新男はつらいよ|寅の巻全作品データベース
"洋行"とは欧米などへ旅行・留学することです。
「1970年に『ジャンボジェット』が大量送客を可能とし、ハワイは『高嶺の花』から『手を伸ばせば実現できる憧れ』になった」(参照:日本人の海外旅行時代の幕開け-ハワイの歴史(4)|トラベルビジョン株式会社)
とのことで、当時の日本では、ハワイがホットワードだったようです。ハワイ旅行に行くときの"洋行スタイル"が当時流行のひとつだったようですね。この辺も当時を想像できて、面白いです。
CMも話題になった"缶ビール"
シリーズ第6作『男はつらいよ 純情篇』【昭和46(1971)年】では、当時の"缶ビール"のCMが一世を風靡した話が紹介されています。
缶ビール
冒頭、夜汽車のなかで寅さんが飲む缶ビール。当時、三船敏郎が「男は黙って…」とのキャッチコピーのCMが一世を風靡。寅さんが空けて、泡を吹き飛ばすのは三船CMを意識してのことか。
参照:第6作 男はつらいよ 純情篇|寅の巻全作品データベース
出演していた俳優さんが名優・三船敏郎さんと、時代の流れを感じます。
1ヶ月の給食費は1,000円程度だった!
シリーズ第7作『男はつらいよ 奮闘篇』【昭和46(1971)年】で登場する給食からも、時代背景を知ることができます。
給食
花子が働く、青森県の田野沢小学校を訪ねたさくらが、給食を御馳走になる。日本で学校給食が初めて行われたのは、山田洋次“時代劇三部作”の舞台となった山形県鶴岡市。1971年当時はまだパン食中心で、一ヶ月の給食費は1000円程度だった。
参照:第7作 男はつらいよ 奮闘篇|寅の巻全作品データベース
1ヶ月の給食費は1,000円と現在から考えると、非常に安く感じますね。これも今との物価の違いでしょう。
また、記者の地元である山形県の鶴岡市が『給食発祥の地』とは知りませんでした。個人的には、テンションの上がるデータでしたね。笑
これからも寅さんに注目!
第1〜7話までのデータでこれだけ楽しめる『寅さん』。まだまだ、知りたい当時の時代背景がたくさん登場しそうです。こういったところにも注目すると、作品自体をもっと楽しめそうです。
ぜひ、みなさんも『男はつらいよ 寅の巻』 で当時の時代背景を確認してみてください。面白いですので。
ではまた!
(文/タクスズキ)
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