時代劇のロケ地として頻繁に利用されている、近江八幡の八幡堀を散策してきました
編集部公式ライターの奥野です。
江戸時代、東京は水の都だったと聞きます。小説家・池波正太郎さんの作品にも、江戸にある船宿が盗賊の巣窟になっていたり、老剣客の奥さんが旦那さんを乗せて船を漕いでいたり、日常の生活の中に川や船の描写が数多く表れています。現在でも日本橋から船で日本橋川、神田川、小名木川、深川などを巡るクルージングが出来るそうですね。
江戸の風情を感じられる地域・場所としては千葉県香取市佐原の水郷や、京都府太秦にある映画村などが挙げられますが、ひとつ忘れてはいけない場所があります。それが滋賀県・近江八幡にある八幡堀です。
2015年5月公開予定の映画『駆込み女と駆出し男』や2014年公開の『柘榴坂の仇討』、人気漫画が原作の映画『るろうに剣心』、ほか『武士の家計簿』『最後の忠臣蔵』など多くの映画のロケ地となっている八幡堀は懐かしさを感じてしまう風情と綺麗な街並みで、時代劇ファンの心をくすぐる地です。このたび、この地を訪れることが出来ましたので、その様子をレポートいたします。
近江商人の町
JR近江八幡駅を降りて、バスやタクシーで10分くらいの場所にある八幡堀。このあたりは室町時代後期、太閤・豊臣秀吉の甥・豊臣秀次が作り上げ・発展させた町だそうです。江戸時代は水運が盛んで、日本海でとれた海の幸などは琵琶湖を経由して京・大坂(*1)へ渡ったとも言われています。琵琶湖からつながる八幡堀は船が行き来し、近江商人の町として栄えたのでしょう。
*1 大阪という地名が定着したのは明治時代と言われています。
近くで戦国武将や足軽など時代劇のコスプレをさせてもらえるサービスがあるらしく、周りにはそのような格好をしている人もちらほら。写真に収めることができませんでしたが、戦国武将の格好をした人が新撰組の格好をした人と並び歩いているなど、シュールさも楽しめました。
筆者も傘と槍だけの簡単装備ですが、戦国時代の足軽の雰囲気を楽しみました。
桜が残る八幡堀
訪れたのは桜が半分くらい散ってしまい、花びらがお堀に降り注ぎ風情を感じられるころでした。1週間ほど早く満開のころに訪れたら、それはそれは美しい光景が見られたことでしょう。お堀に覆いかぶさるような桜の枝振りが印象的でした。
お堀は街並みから一段下がったところを流れていました。水面と同じ高さに人一人が通れそうなくらいの小道もあり、散策もできます。部分的にはぬかるんでいたり湿っていたりすることもあるのですが、そんな場所を歩くことで街中の水郷を体感できました。
石垣の上に見える建物は白壁の土蔵があったり、木造の家が並んでいたりと「昔ながら」の様子を楽しむことができます。これならそのまま江戸時代といっても違和感なさそう、と切り取れる場所が沢山ありました。
そして筆者が『駆込み女と駆出し男』の序盤で印象に残ったシーン、多分ここだと思うのですが・・・という場所を見つけました。何気ない場所ではあるのですが、この写真中央やや下にある、歩道からお堀端へ降りる石段が妙に印象に残っていたのです。
試写会と今回の散策の間は時が経っており、記憶が違っている可能性もあります。その際はご容赦いただきたいのですが、時代映画でみたあのシーン、を実際に訪れ、自らの足で確かめることが出来たことは何とも言えない感動を覚えました。
乗合船でお堀散策
散策をしていると、10人程度が乗船している乗合の船を見かけました。
舟でお堀を巡る「八幡堀めぐり」という小さなクルーズがあるのですね。30分ほどの乗船時間で一人1,000円でした。大して違わないかも、と思った陸からの景色とは、全く違う景色がありました。
筆者が乗ったときの乗客は6人程度。水面はお堀端よりもさらに一段低く感じられ、時速10キロ弱くらいの速度で船が進みます。徒歩で進むのと違って階段も障壁もなくどんどんお堀を進めますので効率よく全体を知ることが出来ます。全景を知るために最初に乗っておいてもよかったかもしれません。
両岸を流れる江戸風情の景色は美しく、眺めていて飽きることがありませんでした。折り返して船着き場へ戻るまでの30分ほどの時間は、あっという間に過ぎていきました。
近江八幡のさまざまな楽しみ方
今回桜の季節の終わりに訪れた八幡堀ですが、春は桜、夏は柳、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々の景色が楽しめるそうです。そしてこの八幡堀では近くのお店で近江牛に舌鼓を打ったり、有名和菓子店「たねや」の看板菓子”つぶら餅”を味わったりするなどの楽しみもあります。
お昼は近江牛のしゃぶしゃぶを堪能しました。
「たねや」のつぶら餅は皮のかりかり感と内のもちもち感のバランスが絶品です。
また、戦国時代が好きな方にも近江八幡はとても魅力ある街です。
戦国大名・織田信長が築城した幻の城・安土城があった安土は近江八幡から近く、この地域の名産の瓦・八幡瓦と信長・秀吉にまつわる歴史をお堀端にある「かわらミュージアム」で学べます。
また、すこしマニアックなテーマとしては、豊臣政権の終わりの方で高野山に蟄居させられ切腹となった豊臣秀次が「秀次公」と敬愛されていることが挙げられます。近江八幡で良い行政活動を行っていた秀次は命日の7月15日に市内の八幡山で今でも供養が行われるほど慕われているのです。教科書や本では分からない戦国武将の一面をうかがい知ることができました。
戦国時代から江戸時代に興味のある方、時代劇の風景が好きな方なら、ぜひとも訪れたいエリアです。私も別の季節にまた訪れたいなと考えています。
(文・写真 奥野大児)
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